『あいまいな日本の私』と反核の論理

 

は じ め に

大江健三郎のノーベル文学賞受賞(1994)を機に、その受賞講演をはじめ、1992年5月以降に大江が世界各地で行った9つの講演の記録を集めた『あいまいな日本の私』が、岩波新書の一冊として出版された(1996)。筆者はこれらの発言における大江の核兵器問題に対する姿勢に、強い疑問を抱くものである。

もちろん、大江は純粋に核兵器の廃絶を願う真摯な気持ちから発言しているのだろう。しかし、純粋な動機に発する真摯な言動が好ましくない結果をもたらすこともある。言論人としては、それは自分の責任ではないということでは困るのだ。

かつて吉本隆明は、大江の『ヒロシマ・ノート』を批判したことがある。そのときの吉本の論点は、「戦争による死は、どのような死に方であれ、無意味で理不尽な死を強制されることにおいてすべて同等である。平和運動にとって特別に意味のある有名な死のみによって戦争の本質を考えるのは間違いだ」というものであった。きわめて真っ当な批判だと思うが、大江が日本の代表的な知識人の一人として世界に向けて発言している現在では、また別の視点からの批判が必要だろう。以下にそれを試みる。

1.大江健三郎の反核発言

初めに、『あいまいな日本の私』の中から核兵器と先の大戦に関する発言をすべて引用する。少々長いので恐縮だが、公平を期すためであるゆえ、ご容赦いただきたい。以下の文中の( )は筆者による補足である。

日本と日本人は、ほぼ五十年前の敗戦を機に――つまり近代化の歴史の真ん中に、当の近代化のひずみそのものがもたらした太平洋戦争があったのです――、「戦後文学者」が当事者として表現したとおりに、大きい悲惨と苦しみの中から再出発しました。新生に向かう日本人をささえていたのは、民主主義と不戦の誓いであって、それが新しい日本の根本のモラルでありました。しかもそのモラルを内包する個人と社会は、イノセントな、無傷のものではなく、アジアへの侵略者としての経験にしみをつけられていたのでした。また、広島、長崎の、人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち、放射能障害を背負う生存者と二世たちが――それは日本人にとどまらず、朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいますが――、われわれのモラルを問いかけているのでもありました。(p.9)

この不戦の誓いを日本国の憲法から取り外せば(中略)、なによりもまずわれわれは、アジアと広島、長崎の犠牲者たちを裏切ることになるのです。(p.10)

日本、あるいは日本人が病んだ、病気をした、それを最も大きいスケールで見るならば、それはこの二十世紀において、どういう病気だったでしょうか? 私は、それが太平洋戦争に至る日本の近代化においての帝国主義の膨張だったと思います。この日本と日本人が病んだいちばん大きい病気によって、アジア全域にわたって大きい死者が出たのみならず、国内でも広島と長崎で、一挙に死にあるいは傷ついた数十万の人間をはじめとして、数知れぬ犠牲者が出た。そのようにして日本・日本人の、近代化の過程で担い込んだ大きい病気が顕在化したのです。そしていまも、病む者、病気をする者としての日本人を大きいメタファーで把えなおすことをめざすならば、広島、長崎の原爆被害を顧みるということは有効だと思います。(p.20〜21)

(アメリカの外交評論家)ケナンの結論はこうです。「自分たちが、自分たちの目先の政治的な課題のために自然の構造を破壊してしまう、そういう核兵器の使用というものを行ってしまうならば、それは傲慢、涜神、そして侮蔑だと思う。しかもそれは、怪物的なほど大きい規模の、神に向けられた侮蔑にほかならない。」私がこのケナンの言葉から教わるものの中心にあるものは、こういうことです。日本人は、広島、長崎の原爆の経験を、過去から未来に向けての大きい文明の展望として把えてきただろうか。そうではないのではないか? 広島を神に向けられた大きい侮蔑として把えただろうか? 私はそうではないと思う。(中略)日本人は原爆を投下させるような戦争を起こした国の人間としての反省を、このように文明的に大きい規模で行ってきたでしょうか?(p.22〜23)

(被爆者団体協議会の)思想運動ともいっていいものが、(私が)これまで申しあげてきたことをほぼ具体化しているように思います。運動が直接になにを主張しているかといいますと、広島、長崎への原爆投下をアメリカと日本の両者の、国家としての責任のあるものだと考える。その認識にたって、日本政府は核廃絶を世界に向けて主張せよ、それと同時に、被爆者に国家補償をせよ、ということです。ここにはケナンのいう、人類の文明全体に対する傲慢、涜神、そして侮蔑が核兵器の使用だという、大きい文明的な構想に結びつけうる考え方があると思います。(p.25〜26)

戦後五十年たって、日本人がいちばん記憶しなきゃいけないのは、広島でそういうことが行われた、長崎でそういうことが行われた、ということです。人類は黒色火薬をつくった、TNT火薬をつくった。それで人間を破壊することが始まった。しかし原爆・水爆というものは全く違った規模のもので、核兵器は本当に人類を絶滅してしまうことが可能になった最初の手段です。それが最初に日本人の頭上に落された。赤ん坊もいた、老人もいた、娘さんもいた、若者もいた。一挙に何十万の人が亡くなった。それも蒸発するようにして亡くなった。あるいは永く苦しんで亡くなられた。現在も苦しんでいられる人たちが多くいるのです。核兵器が人類の上に落とされる時どうなるか、それを日本人は五十年間考え続けてきた。そしてそういうことが改めて起こらないように、国家として、社会として、あるいは個人として力を尽くそうと思っていると、世界にいうべきじゃないか? それが戦後五十年における、日本人にとってのふるまい方ではないかと私は考えているのです。被爆者援護法も、世界に対して日本が本気で戦争の責任を取る、そしてこういうことはもう一度繰り返されてなはらないと、日本人が国家をあげて世界に向かって訴える、それを示す法律にしなければならないと私は考えています。(p.119〜120)

(被爆者の結婚に関する)こうした差別の背後に、原爆の放射能障害が遺伝的な影響を残すと科学と医学が証明した、ということがあるのは事実です。ますます原爆は、あるいは水爆はもう一度使われてはいけないわけです。人類の遺伝子を影響づけてしまいかねないような大きいものとして核兵器はあるのです。(p.121)

私はブルクハルトに賛成なんです。わたしたちはいま広島について考え続けねばならない。広島を忘れてはいけないと思うんです。(p.133)

悲惨な太平洋戦争をなかにはさみ――それはアジアに荒廃をもたらした日中戦争の展開として、わが国に広島・長崎の原爆と東京を含む大都市の消失をもたらしました――(p.177)

家庭における、障害児が持っている「癒し」の力ということから、私は核時代の病んだ社会に対する、被爆者の「癒し」の力を考えるにいたりました。すくなくともいま広島・長崎で核兵器廃絶のために発言し、活動している被爆者たちに……社会全体あるいはこの惑星の人間全体に対する「癒し」への積極的な願いを見てとらぬわけにはゆきません。(p.183〜184)

日本の戦争責任のアジアからの告発は、文学の側からみれば、むしろ日本人が閉じた回路から勇気を持って外に出るための励ましですらあります。私たちは単に償いとして金を払うというのみでなく、人間の課題として、それに応えねばなりません。(p.203)

私どもは、広島と長崎の経験を持っていますが、はたして日本人はそれを本当に思想化したか、日本文明の問題として考えてきたか? あるいは、日本人の文化の問題として捉えてきたかというと、私はそうではないのではないかと考えています。(p.226)

(ジョージ・ケナンに学んで)広島と長崎の課題を日本人が経験した二十世紀最大の出来事として把えなおすならば、そのとき初めて日本人は、この世紀末から次の世紀に橋渡しすべき思想を、あるいは文明をかちとりうるのではないでしょうか?(p.227)

私たちは、江戸時代に始まり維新に続いた近代の発生と展開を、開国以後の第二の近代でうまく生かすことができなかった。むしろ逆行する仕方で深い奈落のうちに落ち込み、そこに広島、長崎の閃光がきらめいたのでした。(中略)われわれは、ゆがんだ貧しい近代をつくってしまった。そして大きい戦争を引き起こして、悲惨な経験をした。その頂点に広島と長崎があります。そのことをわれわれは、自分たちの文化の問題として、文明の問題としてあらためて徹底的に考えるべきではないか?(中略)広島、長崎のあの大きい犠牲は、償われなければならないと思います。償うのは私たちです。また、広島、長崎にいたった、そしてそれ以後も決して完全に治っているとはいえない国家の疾患から、私たちは恢復しなければならない。(p.228)

この他に、別の話題の中で原爆、「広島・長崎」に触れているのは、p.23〜25(アメリカの心理学者リフトン、および井伏鱒二)、p.29(原爆病院の院長の話)、p.120〜121、131、134〜135(以上、井伏鱒二と『黒い雨』)、p.133〜134(『ヒロシマ・ノート』の反省。ただしこれは吉本隆明の批判に対する回答ではない)、同様に日本のアジア侵略に触れているのは、p.8〜9(戦後文学者たちの努力)であるが、いずれも大江自身の考えや主張ではないので省略する。

2.逆立ちした反核の論理

核兵器の使用がなぜ「人類の文明全体に対する傲慢、涜神」で「神に向けられた大きい侮蔑」なのか。ルーズヴェルト大統領やエノラ・ゲイの操縦士が――東洋人を見下してはいただろうが――人類の文明全体を見下していたとか神を侮蔑してやろうと考えていたとは想像しにくいし、人類を絶滅する目的で核ミサイルのボタンを押す人間などいるはずもないが、この部分はジョージ・ケナンの「大きい文明的な構想」の受け売りだから、あまり追及しても仕方がないだろう。

それにしても、「人類を絶滅してしまうことが可能になった最初の手段である」核兵器を「最初に頭上に落とされた」日本人が、なぜそのことを自分たちの「思想・文化・文明・モラルの問題」として引き受けなければならないのか(p.9、22、119、226、228)。常識的に考えればこれは、日本に原爆を落としたアメリカ人の思想・文化・文明・モラルの問題だろう。大江は原爆投下の責任はアメリカにもあるということを、一度だけ言っているが(p.25)、なぜかアメリカ人の思想や文化やモラルを問題にしてはいない。だから核廃絶を訴えるときも、アメリカなど少数の国が今なお大量の核兵器を保有していることに対してそれらの国の思想・文化・モラルを問うことは全くせず、逆に核廃絶を訴えることが日本人の思想的文明的課題だという形になる。

大江がこのように屈折した考え方をする理由は、「広島、長崎の、核攻撃の死者たち、放射能障害を背負う生存者と二世たちが……、われわれのモラルを問いかけているのでもありました」(p.9)という表現に現れていると思われるが、この表現は2とおりの解釈が可能だ。

第一は、「日本人は原爆を投下させるような戦争を起こした国の人間としての反省を」しなければならないということ(p.23、25)。だから「広島、長崎のあの大きい犠牲」を「償うのは私たち」なのだ(p.228)。つまり、原爆投下は日本人の思想や文化やモラルが国家の進路を誤らせた――日本が病気をした――ことに対する天罰のようなもので(p.20、177、228)、したがって自分たちで後始末をしなければならない。だから、「日本が本気で戦争の責任を取る」とは、まず第一に被爆者に国家補償をすることである(p.25、120)。

しかし、これまた常識的に考えれば、戦後の日本人がまず反省するべきだったのは、西欧列強に対抗してアジアを侵略したことであり、償うべきなのは第一にその侵略の被害ではないのか。アジアの国々には日本への原爆投下を天罰と考える人たちが多いことは想像できるが、われわれ自身が同じように考えてしまっては、被爆者に対して失礼だろうし、こういう発想をしていたのでは戦争犯罪や戦争責任について一般的に議論することは不可能になってしまう。

第二は、「核兵器が人類の上に落とされるときどうなるか」を最もよく知っているのは日本人だということ。したがって「そういうことが改めて起こらないように」しようと「国家をあげて世界に向かって訴える」ことは、日本人に課せられた使命であり(p.120)、この使命を立派に果たすかどうかでわれわれの思想や文明の質が決まることになる(p.227)。こちらの方が考え方としてはまだ理解できるように思われるが、「核兵器が人類の上に落とされるときどうなるか」という問いによって、大江は何を言わんとしているのだろうか。

一つには、被害者が死ぬまで後遺症に苦しんだり、遺伝子にまで影響が及ぶというような、核兵器の「残虐性・非人道性」だろう。しかし「人道的」な戦争兵器などというものは、国際法の世界での話ならともかく、形容矛盾であるし、大江もまさか肯定はしないだろう。それに、ある種の(この場合は核兵器の使用という)犯罪の非人道性を広く訴えるか否かによって、その犯罪の被害者や遺族の思想やモラルが問われるのだとすると、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺やベトナム戦争における枯れ葉剤散布やサリンによる無差別テロの犠牲者やその遺族たちは、これらの犯罪の非人道性を世界に向けて訴えないと、彼ら自身の思想やモラルが疑われることになってしまう。

したがって、核廃絶を世界に向かって訴えることが日本人の使命であると大江が考える理由として妥当性があるのは、結局、核兵器は人類を絶滅する可能性があるからということになるだろう。要するに彼は「人類の文明」の存続を心配しているのだ。遺伝子のことについても「被爆者の遺伝子」といわずに「人類の遺伝子」といっていることからも、それがわかる。しかし、「核兵器の使用は人類を絶滅させる可能性があり、したがってそれは人類の文明全体への侮蔑である」、「したがって、日本が唯一の被爆国であることは、日本人にとって文明的に大きな規模の問題であり、核廃絶の主張は日本人の思想・文化・文明・モラルにかかわる問題である」という文脈には論理的必然性がない。単に「人類の文明全体」―「日本人の文明的課題」という言葉の連想によりかかっているだけである。

3.核兵器の存在はなぜ許せないのか

核兵器の存在を許してはならないことは、いまさらいうまでもない。しかしその理由を、大江のように核兵器は「人類を絶滅する可能性があるから」とか、「悲惨な後遺症を残すから」というのでは、あまりに幼稚な議論だ。半世紀前ならともかく、少なくとも現代の核兵器は、戦争で使うために存在するのではない。第二次大戦後も地球上に戦火が絶えたことはないが、それらのほとんどは小国同士の小競り合いに大国がちょっかいを出したり、大国の横暴に弱小国家の民衆が泣かされるといったたぐいの小さな戦争や武力紛争で、その原因も経過も結果も核兵器の存在とは無関係である。ましてや冷戦が終結し、民族紛争がどっと増えた今日では、核兵器はますます実質的に使用不可能な兵器となっている(しかし本当に核兵器が使われたらどうするのか、という問いに対しては、核戦争の脅威よりも人口爆発や食糧危機や資源枯渇や環境汚染の方が、はるかに現実的で深刻な問題だと答えておこう)。

それでもなお核兵器の存在を許せない理由は、現在の核兵器は大国が他の国とくに発展途上国や第三世界の国々への支配力を強化するための道具となっているからだ。核兵器を持つ国は、他国に攻撃されないように核兵器で備えているのではなく、他国を攻撃するために持っているのではさらになく、核兵器を持てるほどの国力を誇示することによって他の国々を抑圧し搾取しているのである。支配する国々は支配することによって、核兵器を必要とする状況を自ら作り出しているのだ。核兵器の存在自体を「悪」とみなすと、このような状況が不問に付されてしまう危険がある。

ただし、核兵器がなければ支配できないわけではない。核兵器は大国の世界支配の道具の一つにすぎない。だから、仮に本当にすべての核兵器がなくなったとしても、この支配の構造がなくならないかぎり、現実はほとんど何も変わらないだろう。すぐに別の新しい――おそらくより有効な――道具が考えだされるだけのことだ。現に戦後の日本は核兵器を持たなくても、強大な経済力と日米安保条約によって、多くの国を直接間接に侵略し搾取してきた。アジアの民衆にとっては、戦後の日本が核兵器を持とうが持つまいが、現実には同じことだっただろう。核兵器があるかないかよりも、抑圧や支配の構造に目を向けることが必要なのだ。

もちろん、世界は支配する国とされる国とに、単純に二分できるわけではない。一つの国は他のある国から搾取されていても、別のある国に対しては搾取する側であったりする。そしてそれらの関係は単純に一面的ではなく、お互い様な部分もかなりあり、また時代とともに様相は変化しうる。しかし例えば現在の日本が、英米を中心とする一部の先進国からはいいように利用されることが多いけれど、他の大部分の国に対してはほとんど常に搾取する側に回っていることは、誰が見ても明らかだろう。

4.「広島・長崎を忘れるな」という日本人の叫びはなぜ有害か

「それでも、著名人の呼びかけが多くの人を動かして、核兵器廃絶へ向けての現実的な力を生み出す可能性はある」という考え方もあるかもしれない。たしかに核兵器がなくならないよりは、なくなった方が良いに決まっているし、この種の運動が実質的な成果を挙げるためには、より多くの大衆を動員してデモをかけたり署名を集めたりすることが必要だという、いわば政治的功利主義にも一理ある。しかし、そのような大衆的行動を起こすことやそれに参加することと、ノーベル賞作家が「広島・長崎を忘れるな」(p.133)と叫ぶこととは、質の違う問題だ。

先に引用したのは核兵器と第二次大戦に関するすべての発言なのだが、そのほとんどは「広島・長崎」に集中している(この中だけでも「広島」が18回、「長崎」が15回も出てくる)。そして「広島・長崎」から出発して、大江の思考は一挙に「人類の文明全体」へと飛翔する。要するに大江は、今度核兵器が使われたら人類はおしまいだと思うからこそ、広島・長崎を忘れるなと叫んでいるのである(そして日本人は全員そうする義務があると思っている)。

しかし、日本が核の支配力を見せつける世界の体制側の一員であるかぎり、「広島、長崎」に執拗にこだわるこのような日本の知識人の訴えは、現実認識の欠如した被害者意識丸出しの厚顔な主張として、アジアをはじめ第三世界の人々の反発と憎悪を招くだけだろう。国際社会における日本と日本人の評価にとって、その有害性は政治的運動における功利性の原理で相殺できないほど大きい。たとえ誠実な動機に発するものであれ、あんな発言ならしない方がましである。筆者はなにも、世界の体制側にいる者には発言する資格がない、といっているのではない。問題は自分の立っている位置をどう自覚しているかだ。

原爆の被害のみを強調することの危険性については、他ならぬ大江自身の発言が見事な実例を提供している。彼はかつて、「世界はヒロシマを覚えているか」というテレビ番組で金芝河(韓国の詩人)にインタビューしたところ、「このタイトルは間違いだ。世界に対して、ヒロシマを覚えているか、と訴える前に、日本自身の道徳的な清算、歴史的な清算を行うという日本人の運動が必要だ」という、金芝河の「強い批判」にあい、「憐れにうなだれ背をかがめて耳をかたむけ」、そして「それ以来、金芝河さんの正しい批判は、私に対しても、また子どもたちに対しても、教育的な効果をはたした」そうだ(『日本の「私」からの手紙』岩波新書、1996、p.52〜54)。語るに落ちたとはこのことだ。こんなテーマで金芝河にインタビューすること自体、ずいぶん無神経だと思うが(アメリカ人に「世界はパール・ハーバーを覚えているか」と訊かれたら、大江はなんと答えるのだろうか)、彼自身と彼の子どもたちがこの問題についてそれ以前に誰からも「教育」を受けたことがなかったというのは、まったく信じ難い話だ。

ところが、さらに信じ難いことには、『あいまいな日本の私』に収載された講演はすべて、そのインタビューの前ではなく、後に行われたのである。先の引用のうち初めの3つと最後の1つには、日本のアジア侵略に触れた部分があるが、そこには驚くべき歴史認識が表明されている。日本の侵略によって「アジア全域にわたって」(まさか大江はロシアやインドや中近東は「アジア」ではないと思っているわけではないだろうから、この部分は言い間違いか)「大きい死者が出た」のは、日本の帝国主義の「膨張」という「病気」がもたらした「悲惨な経験」だ(ただし悲惨な経験の「頂点」は広島と長崎だそうだが)。戦後に「大きい悲惨と苦しみの中から新生に向かって再出発」した日本は、その経験によって「しみをつけられていた」。それさえなければ日本と日本人は「イノセント」で「無傷」だったはずなのに――大江のノーベル賞受賞講演に対して金芝河が激しくかみついたそうだが、さもありなん。アメリカのノーベル賞作家が「原爆投下により極東地域一帯にわたって大きい死者が出たのは、アメリカの経済と科学技術の無制限な膨張という病気がもたらした悲惨な経験だ。平和と民主主義の理想に燃えて戦後に世界の警察官となったアメリカは、その経験によってしみをつけられていた。それさえなければわれわれはイノセント無傷だったはずなのに」などと書いたら、そして同じ著書の中で「Remember Pearl Harbor !」を十数回も繰り返したら、大江以外の日本人はみな激怒するだろう。

5.文学者の錯覚─励まし、抗議、祈り

大江はまた、「日本の戦争責任のアジアからの告発は、文学の側からみれば、むしろ日本人が閉じた回路から勇気を持って外に出るための励ましですらあります。私たちは単に償いとして金を払うというのみでなく、人間の課題として、それに応えねばなりません」(p.203)と言う。「文学の側」にいる人間というのはおかしな見方をするものだ。日本の侵略を受けたアジアの人々が、どうして日本人を励まさなければならないのか。彼らの告発は「励まし」などではなくて、文字通り「告発」なのだ。人間の課題として(とはどういう意味かよくわからないが)応えることではなく、国家として公式に応えることを、彼らは求めているのだ(だから民間の金は拒否しているのだろう)。

フランスの核実験に対する抗議(1995年)においては、大江は相変わらずの「人類絶滅の暗い影」に加えて、核兵器の威力に頼る国家戦略が冷戦後にやっと現実的になった核廃絶への期待に逆行するものだということと、核実験は地球環境を破壊するということを、抗議の理由として繰り返し主張している(『日本の「私」からの手紙』p.2〜21、133〜138、168〜182)。

しかし、太平洋の島の人たちにとって核実験は、核廃絶への期待にではなく、冷戦のはるか以前、ポール・ゴーギャンの時代から何世代にもわたって続く他民族による苛酷な支配からの解放への、かすかな期待に逆行するものなのだ。核実験さえ行われなければ彼らは平穏な生活を送れる、というわけではない。「タヒチ島の住民の静かな祈りはもっと深いところで、明日の地球の健康に核が「良い」か「悪い」かをさぐりもとめてもいるようです」(同書p.11)などと見当違いなことを言う大江の抗議は、彼らにとって、問題の本質をすり替えてしまう迷惑な「支援」だろう。アメリカの政府高官が沖縄の米兵による少女暴行事件に触れて、「女性に対する性的暴力は人間の尊厳の破壊であり、人権思想の高まりへの期待に逆行するものだ。このような不幸な事件を根絶するために、軍紀を粛正せよ」などと言ったら、沖縄の人たちは「人間の尊厳なんかどうでもいいから、今すぐに基地をなくしてくれ」と叫ぶだろう。

む す び

筆者は大江の小説を読んだことはないが、彼は小説の中では、先に引用したことと違うことを言っているのだろうか。たとえそうだとしても、『あいまいな日本の私』は大江文学の読者に限られない一般人が相手の講演記録を集めた「岩波新書」の一冊である。その影響力は、難解といわれる彼の小説の比ではない。「本当に伝えたいことは小説に書いてあるから、そっちを読んでくれ」などという無責任なことではすまされないはずだ。いや、想像するにたぶん、小説の中でも同じようなことを訴えているのではないだろうか(筆者は今後も大江の作品を読むつもりはないし、読む必要はないと考えている。その理由は本稿の内容によって示したつもりだ)。

改めて私見を要約しよう。

(1) 戦争における死の中で原爆による死のみを特別視することは、日本の被害者としての側面のみを強調することになり、加害者としての側面を忘れさせる危険がある。また、一般に戦争というものの本質や、現代における核兵器によらない戦争や侵略の実態を覆い隠す危険がある。

(2) 核兵器の存在が許しがたいのは、核兵器が現代において日本を含む大国の世界支配のための道具だからである。しかし同時に、核兵器はそのための数ある道具の一つにすぎない。これらのことを忘れると、核兵器をなくすこと自体が目的となってしまう。核兵器をなくせば良いのではなく、核兵器が存在する理由を問い、その不当性を告発するべきだ。

(3) 現在、世界の支配体制側にいる日本の知識人が、そのことに無自覚なまま、「広島・長崎を忘れるな」と訴えることは、支配される側であるアジアや第三世界の人々の反感と憎悪を招くだけだ。また、日本人の多くがその訴えに共鳴することは、国際社会における(とくにアジアにおける)日本の立場に好ましくない影響を及ぼす可能性がある。このような発言はするべきではない。

(1998年4月1日)