「ニュースDrag」 December  30, 2002
9・11と「黙示録」──田川建三さんに聞く


高成田 享
タカナリタ・トオル
経済部記者、ワシントン特派員、アメリカ総局長などを経て、論説委員。



9・11とは何か、そして9・11で世界はどう変わったか。現在進行形のこの問いに答える作業を私たちは、常に続けなければならない。

その手がかりとして、聖書学者の田川建三さんに話を聞くことにした。9・11とその後の展開に対して、「黙示録的世界」だという人たちが多い。NYの世界貿易センターが自爆した旅客機の炎で焼かれる姿が「ヨハネ黙示録」にある「大いなる都」バビロンが火で焼かれる姿を想起させたからだけではなく、テロ組織や「テロ支援国家」が使うかもしれない大量破壊兵器のイメージや、米国が主導する「テロとの戦い」が世界に広げる戦乱が黙示録の終末論的な世界に想像を誘うからだろう。

田川さんは、新約聖書の研究家として、『書物としての新約聖書』(97年、勁草書房)や『イエスという男』(80年、三一書房)などの労作を著しているほか、『批判的主体の形成』(71年、三一書房)、『立ちつくす思想』(72年、勁草書房)、『歴史的類比の思想』(76年、勁草書房)などの著作を通じて、思想家としても多くの発言をしてきた人物である。

●「黙示録」の世界

──社会学者の見田宗介さんが『論座』の03年1月号で、9・11によって「黙示録」を思い浮かべたとして、次のように書いています。「冷戦後の『一極構造』、パクス・アメリカーナによるグローバリゼーションという世界の中で、原初のキリスト教徒たちのおかれていた位置は、今日ほとんど、不遜なイスラム教徒たちのおかれている位置と、構造的に等価のものであるようにみえます」(「アポカリプス|『関係の絶対性』の向こう側はあるか」)。「バビロン」という「悪徳の栄える都」は、当時の抑圧されたキリスト教徒にあっては、圧倒的な軍事力と貨幣経済の力で世界を支配するローマのことであり、かれらとローマとの絶望的な関係の落差は、今日の閉塞感を持つイスラム教徒と米国との関係と同じ構造(関係の絶対性)だというわけです。

田川 私もまさに黙示録の世界と同じ構図だと思います。ただローマ帝国の支配者は、現在の米国よりも、自分たちが何をどう支配し、どれだけ殺しているかを自覚していたと思います。その意味では、現在の米国のほうが重傷だともいえます。星条旗を担いで、おめでたく自分たちが正義だと言っている連中をみると、ローマ帝国で皇帝崇拝を押しつけてまわっていた連中のほうがまだましに見えます。もっとも、ローマ帝国の時代は、人を殺すには直接殺さなければならないのに対して、現代はボタンを押せば何人も殺すことができるという点では、古代のほうが自分で自分の行為がよく見えていたという違いはありますが。

──「黙示録」が書かれた当時のキリスト教徒は、ローマ帝国の支配下で、徹底的に弾圧されていて、それが「バビロン」あるいはローマ崩壊の物語を創りだした、ということですね。

田川 「黙示録」の著者が書いたことは、弾圧されていたキリスト教徒の思いだけではありません。黙示録18章の9節から11節にかけて、こんな下りがあります。

「彼女[ローマ]と不品行なまじわりをなし、ぜいたくな暮らしをしてきた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のことを嘆き、悼むだろう。遠くに立って彼女の苦しみを見て、身をよじり、言うだろう、『禍いだ、禍いだ、大いなる町よ、強大な町バビロンよ、あなたの裁きはほんのいっときの間に到来した』。地の商人たちは、彼女のことを嘆き、悼むだろう。もはや彼らの商品を買う者がいないからである。その商品とは、金、銀、宝石、真珠、ぜいたくな麻布、紫布、絹布、緋布、あらゆる香木、あらゆる象牙細工、高価な木材、銅、鉄、大理石でできたあらゆる器、シナモン、カルダモン、お香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、小麦粉、麦、家畜、羊、馬、車、奴隷、生きた人間である」

──いろいろな商品の名前が羅列してありますね。

田川 ローマ帝国の支配の根幹が経済支配だということを、ローマ帝国に反発する側で、ここまで露骨に指摘している文書はないと思います。ここに羅列された商品は、地中海経済でもうかった商品でしょう。それがローマという町の繁栄を築いたわけです。「地の王」というのは、ローマの傀儡政権で、「地の商人」とは、それに従って、利益を得ていた人たちでしょう。キリスト教の弾圧だけでなく、ローマの経済支配全体に対する憎悪がなければ、こんなすごい本は書けなかったと思いますね。

──黙示録の作者は、ローマに対する抵抗運動をしたのでしょうか。

田川 これはただの文学的な空想の世界です。当時としてはこういうものに逃げ込むほかに仕方がなかったのでしょう。いずれにせよアルカイダは、相当な世界的な組織と財力と軍事力をもっていますが、黙示録の著者には、ローマと戦う武器も組織も何もなかったのでしょう。その意味では、かれらはとても絶望的な状況にあった、ということです。

──米国民と星条旗の話ですが、外国からの移民が運転するタクシーも、星条旗を立てていました。かれらは、イスラム教徒であったり、ヒンズー教徒であったり、米国のアフガン攻撃などには非常に批判的でしたが、9・11直後は、星条旗がないと商売もできないような雰囲気でしたね。

田川 私は戦争中は、国民学校の生徒で、あの当時の日の丸の雰囲気というのを覚えています。教育勅語を読むときに、直立不動でいなければなぐられる、といった時代です。しかしいまの米国の星条旗の雰囲気は、米国人の陽気さはあるものの、あの当時の日本よりもすさまじいのではないでしょうか。

●世界宗教としてのグローバル化

──星条旗は、米国の一国主義の象徴ですが、米国が掲げる「民主主義と市場経済」は、まさに現代の世界宗教として、世界に広がっています。ただ、最近は、グローバリゼーションに対する不満や批判という形で、この世界宗教に対する反省が起きているのも事実ですね。

田川 純粋な市場経済の論理だけで動いている場所なんてないですよ。市場経済は権力を生み出しますからね。米国だって、エンロンやワールドコムの不正会計をみれば、市場経済の論理だけとはいえないでしょう。純粋に市場経済のなかだけで集中していく富は、本当の富と言えるかもしれませんが、権力によって作られた富は架空のものでしょう。たとえば、日本政府もいまの国家財政からはできるはずがないのに、膨大な国債を発行し、それにぶら下がっている人たちが多くの富を蓄えています。国債も架空の富で、市場経済が生み出したお金ではありません。

──米国には、もうひとつ「アメリカン・ドリーム」という神話というか宗教がありますね。米国という社会には、だれにも成功するチャンスが与えられているというわけで、成功した人たちをねたむよりも、自分もチャンスをつかんで、そうなりたいと思いたがるのです。

田川 いつそれが神話だと気づくのでしょうか。チャンスは平等ではないでしょう。もちろん、マイケル・ジョーダンのように自分の実力で成功をつかむ人もたまにはいますが、むしろうさん臭くもうかっている連中のほうがたくさんいるわけでしょう。その象徴がエンロンで、あれは機会の平等ではないですよ。資本主義は純粋の資本主義になりえない、というのは資本主義の必然ですね。ただ資本主義というのは、いまのところいちばん民主主義的な経済構造ではあるのですが……。

●テロとは何か

──ところで、ブッシュ政権は、9・11以降、すべてのテロを敵として、「テロとの戦い」を進めているのですが、テロというのは、戦争の手段であり、戦争は政治の手段だと考えると、すべてのテロをアルカイダと同じように敵とみなして、戦いを挑むというのは、無理がありますね。

田川 戦後の歴史でいうと、9・11と同じようなテロは、アルジェリアで民族独立を目指した解放戦線(FLN)による武力闘争が出発点ではないでしょうか。かれらは、フランスの政府・軍事施設への攻撃だけでなく、フランス人が出入りするカフェのような所も標的にしました。あの当時、世界で多数の人たちがFLNの闘争を支持しました。植民地支配からの独立という目的がはっきりしていたからでしょう。ベトナム戦争が本格的に始まる前のサイゴン(現ホーチミン)でも、アルジェリアの闘争が飛び火するような形で、爆弾テロがありましたが、同じように支持されていましたね。

──民族独立というかれらの主張がわかりやすかったからですね。

田川 いまは、世界中に米国の「一極支配」に対する怨念が漂っていて、アルカイダはそれを利用した戦争屋ということでしょう。アルジェリアやベトナムであれば、フランスや米国が民族独立を認めて、手を引けばよかったのですが、いまは、解決できない鬼子が世界中にできたようなもので、もうおさまりがつかないのではないですか。

──世界中にかれらの行為に拍手をしている人たちがいるということは、米国がモグラたたきのようにテロ組織をつぶしても、テロはなくならないでしょうね。世界中どこも安全なんてところはないということです。

田川 74年から76年にかけて、ザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサの大学で教えていた当時も、社会状況は騒然としていました。だから私はいつ殺されてもしかたがないと思ってましたね。大学のキャンパス内に住宅があったのですが、カーテンのないガラス窓の向こうから、7、8人の失業者が私が室内で食事をするのをまったく表情を変えずにのぞいて見ているのです。熱帯になれないよそ者が生きぬくには十分な栄養をとらないといけない、と自分で言い訳をしながらも、彼らの目の前で毎日、彼らが絶対に食べられないものを食べるのは、いやなものでしたね。一、二度、町のレストランで食事をしたこともありましたが、その食事のお金は、かれらの1、2カ月分の収入にもあたるわけでしょう。こういうレストランやカフェがあること自体が犯罪だと感覚的に思いました。

──「絶対的貧困」という言葉がありますが、世界の人口の2分の1が1日2ドル以下で暮らし、5分の1が1ドル以下で暮らしています。先進国と途上国との貧富の格差は、グローバリゼーションのおかげで両者が接する距離が短くなるのにつれて、ますます目立つようになっています。

田川 貧困は相対的なものだと思います。その社会の全体が貧しくても、自給自足的に安定して暮していれば、人々はさして貧しいとも思わない。しかし、食うや食わずで暮らしている人たちがいる場所に、外からどんどん押し寄せてきて、すごいぜいたくをするということは、しかもその連中が自分たちを抑圧、搾取しているとなれば、それだけで何か起きても不思議はないですね。そういう場所に観光に行く側が人間的な感覚をすでに喪失していると思います。

──バリ島もそうですが、テロ事件が起きたことで、観光客の足が遠のき、地元の経済はますます苦しくなっている、という現実もありますね。

田川 すごい矛盾です。沖縄だって、米軍基地をなくすというと、基地の経済的恩恵を受けている人たちは反対するでしょう。しかし、基地のせいで苦労するのは、たいていは、そこから利益を得ない大衆です。

──9・11が米国民に与えたショックのひとつは、あそこまで米国が憎まれる対象になっていたのか、ということですね。

田川 あれどころではない殺戮を米国は世界中でやってきたということが頭に入っている人は少ないでしょうね。タリバーンやイラクだって、米国がソ連やイランに対抗するために育ててきた暴力集団でしょう。いまだにアンゴラが内戦で苦労しているのは、アンゴラが75年に独立したときに、南アフリカと米国のカネと武器に支えられたアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)がゲリラ戦を始めたからで、それがいまだに尾を引いているからじゃないですか。チョムスキーの本を読めば、米国が世界中でやってきたことが列挙されています。
(たとえばリトル・モア発行の『ノーム・チョムスキー』、トランスビュー発行の『チョムスキー世界を語る』では、80年代のニカラグア介入や90年代のソマリア出兵など、米国の直接、間接の軍事的な介入が多くの犠牲者を出したことを列挙している)

──先進国はみなそうかもしれませんが、途上国の人の命には鈍感なうえ、米メディアも米軍の行動による一般市民への被害は、あまり大きく扱いません。

田川 たとえば9・11とそれに対するアフガン攻撃を考えてみましょう。ひとりひとりの死はとても重要なものですが、しかし、米国民のひとりの死はひとつの死と計算されます。アフガニスタンの場合は、いわゆる「誤爆」でひとりの働き手が死ねば、その周りの何人もが生活を奪われ、難民化して、その先で死んでいくわけです。統計の世界にある死者の数よりも、ずっと多い人々が死んでいるのです。

●アメリカ文化の質

──米国の「テロとの戦い」をみていると、「十字軍」を思い浮かべます。世界中のテロを撲滅するという神から与えられた使命を果たすために全力を尽くす、というのです。

田川 世界が見えていないという意味で、アメリカ文化の質の低さを感じますね。アメリカ生まれのキリスト教的新興宗教をみても感じるのですが、ある種の安っぽさというか、キリスト教のなかでも、質が低いですね。

──米国人の友人が米国のアフガン攻撃でタリバーン政権が崩壊して本当によかったと言うのです。そのおかげで、女性たちはブルカをはずせるようになり、自由な国になった、というわけです。そういう面もあるが、数多くの誤爆による被害のことは考えないのでしょう。

田川 どうしたらいまのテロリズムがなくなるかといえば、そういうテロを生み出している世界が米国人にちゃんと見えてこないとなくなりませんよ。それが見えてくるためには、米国人の文化水準が全体として上がらないとだめです。

──その前に、政権の水準が高くならないと……

田川 政権は国民が支えているわけでしょう。小泉政権を支えているのは日本人です。日本の文化水準を考えれば、米国の悪口なんか言えませんけどね。

●アンチがないと……

──テロの育つ土壌には、世界企業による搾取や収奪という問題もあると思います。しかし、いまの世界企業は、投資した資金に対してどれだけの配当が得られるか、というのを最大の目標とするように、株価やら格付けやらで、抑え込まれています。地域への貢献とか地球環境への配慮とかで、企業を統御していこうという運動もありますが、社会主義という代替物が消えたなかで、企業活動あるいは資本主義を制御していくのは、難しい問題ですね。

田川 冷戦時代のソ連は、「近くの国には悪、遠くの国には善」とよく言われていました。具体的な援助もしましたし、世界的な資本主義の搾取に対して平等な世界を作るという理念をいちおう提示しました。ソ連がそれ自体として正しいかったかどうかは別にして、世界全体としては、ともかくアンチの勢力が存在しないといけませんね。その意味では、冷戦の崩壊は非常に不幸でした。

──世界貿易機関(WTO)のこれまでの動きをみても、米国を中心とする先進国側が途上国に対して工業製品を売り込むための関税引き下げや市場開放に力が入っていた。これからは、途上国が先進国に農産物を売り込む動きが強まると思いますが、米国は姿勢は「やらずぶったくり」ですからね。

田川 私は素朴なマルクス主義者でして、マルクスが言っていたのは、資本主義が行きづまった先にそれを是正するものとしてはじめて出現するはずのものが真の社会主義社会だ、ということでしょう。これまでのあんな奇妙きてれつ、まぬけな「社会主義」なんぞマルクスと関係ないですよ。マルクスの理想としたことなんて、100年や200年ではなくて、場合によっては1000年ぐらいの単位で考えなければならないことでしょう。マルクスが言っていたのは、すべての人間がおのずと自由に行動し、その自由の結果としておのずと万人が平等な社会が生み出される、ということです。そういう理想を持っていた人間が、あの種の独裁政治に賛成するわけがないでしょう。

──しかし、北朝鮮のように、みごとな独裁国家が社会主義を標榜しているのも現実ですね。私自身の反省を言えば、韓国の民主化が進み、北朝鮮の独裁が見えてきたのですが、より自由な社会主義への通過点ではないかと期待するところがあったということです。

田川 私は「プロレタリア独裁」なんて、カール・マルクスに対する裏切りだと強く思いますね。何であろうと独裁が生み出すものは、すごい抑圧と賄賂です。

話は違うけれども、私は統一前の西独ゲッティンゲンに住んだことがあるのですが、いつも圧迫感がありました。すぐ東側に越えることのできない「壁」があったからです。そういう「壁」の存在は長いこと住んでいると、じわりと心理的な閉塞感を生み出します。しかし結局は人々の流れがその壁を崩した。北朝鮮もロシアや中国が国境を開ければ、すぐに崩壊するのではないですか。

──それには、北朝鮮からの脱出者を「難民」と認定することが必要で、そうなれば、国連なども保護に動き出せるのですが。

田川 北朝鮮が独裁ファシズム国家だという背景には、米国が日本の基地から攻撃すれば、瞬く間に全土が破壊されてしまうという恐怖感をいつも抱いているということがありますね。そのような恐怖感のなかにいれば、人間は異常にもなります。

──とくに、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」のひとつとして北朝鮮を名指ししたことは恐怖心をふくらませたでしょうね。拉致事件を部分的にせよ明らかにしたのも、米国との対話路線を志向したためという見方もあります。その点で言えば、北朝鮮のような国を相手にするには、「太陽政策」ではなく、強硬路線でなければ、という見方が強くなっています。

田川 最近の流れを見ればそうかもしれませんが、彼らにすれば、あの恐怖心は半世紀も続いているわけです。そのすごい恐怖心が、あの社会を異様にしている一つの原因ですよ。

──韓国の大統領選挙では、金大中大統領がはじめた「太陽政策」の是非が問われましたね。

田川 西独のW・ブラント首相が東独との融和を掲げた「東方政策」を始めたのが69年で、それからベルリンの壁が崩れるまで20年以上もかかっています。太陽政策が効果を発揮するには早くても10年、多分20年も30年も腰を落ち着けて待たないといけない。

──そこまで待てないといういらだちが日本のなかにもあり、強硬論を勢いづかせている面もあります。日本は長期的な不況のなかで、悪いのは米国あるいは中国といった排外的なナショナリズムも強くなっています。

●飢えも渇きもない世界

田川 ヨハネ黙示録の著者は、ローマが崩壊したときにどうなるかということを7章のなかに記しています。

「彼らはもはや飢えることもなく、渇くこともない。太陽も、いかなる炎暑も彼らにおそいかかることはない。」

──「飢えと渇き」というのは現実感がありますが、そこから救われるのはキリスト教徒ですか。

田川 キリスト教徒だけではなく、「あらゆる民族、氏族、民、言語のうちから」とあります。パウロなんかが考えていたのは、狭くクリスチャンの宗教的な救済だけですが、黙示録の著者が期待したのは、すべての民衆がもはや飢えも渇きもないという新しい世界です。それが実現するためには、ローマが崩壊する必要があると考えていたのです。そんなことを考えていた人が2000年前にいたということです。

──今も昔もあまり変わらないと……。

田川 古代のことをやっている人間の欠点でもあり、長所でもあるのですが、2000年も前からああいうことを言っていた人のおかげで、今では多少はよくなっているとすれば、我々がいまじたばた言っていることが、数百年後には少しはよくなるかもしれない、というような世界観を持つようになります。

──ずいぶんと気の長い話ですね。

田川 旧ザイールにいたときに、ずいぶん学生と議論しました。彼らとは正直に何でも口に出して議論できたのですが、たとえば、「こういうひどい社会状況の中ではあなたがたは世の中が良くなるまで生きていられないだろう。それなのに、何のために努力するのか」とわざと尋ねてみたら、「自分が死ぬ程度の短い未来のことしか考えられないようでは、しょうがないじゃないか」と言われました。それが気の長さですよ。

──気を長くもって、じたばたと言い続ける、というところで、話を終わりにしたいと思います。長時間、ありがとうございます。