Title: the fox and the bird
Author: kujoshi
Rating: NC-17(including non-consensual sex)
Disclaimer: This is a work of fiction. I own nothing but the story line.



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そうして季節が過ぎた。
日が少しずつ長くなり、また少しずつ短くなった。
浴衣一枚で過ごせる季節が終わり、単衣では何とはなしに心もとないが、しかし袷にはまだ少し早い、そんな日が続くようになった。

(半端な季節だ)
日が長くなっていく日々同様、毎日その日の塩梅で着る物を変えねばならぬような、こういう季節が川地は億劫であまり好きでない。
若い時からそうだったが、年を取ってからはますますそうなった。
体力があった時分ならば、多少暑かったり寒かったりしても体に我慢をさせればよかったが、年を取るとそういうわけにもいかぬ。
(これ以上長生きをしたところでさほどの意味もないが)
しかしまだ多少の不調がすぐに命取りになる年でもなし、ただ患ってうっとおしい思いをするだけということになるのであれば、内心では文句を言いつつ日々の生活をこなしていく方がマシである。
(人間の方も、半端な年齢というわけだな)
自嘲するように川地は思った。

「今日は夜は冷えそうですから、肩掛けでもお持ちしましょうか」
川地の億劫がる心を読んだかのように、部屋の隅に控えていた雅近が言った。
いつもの料亭の離れである。
今日はこれからこの少年も伴って何やら流の会とやらに出かけることになっている。月見の宴などと風流めかしてはいるが、実際には素人の発表会である。もちろん、見たくて行くわけではない。世間のつきあいというやつである。
謡だか踊りだか、そういう方面に一切興味の無い川地はそのどちらかだかも覚えておらぬ。どちらとも違ったかもしれない。誰も川地に本気で感想を聞こうなどとは思わぬのだから、そんなことは構わない。
「顔を出してやった」ということだけが肝要である。
少年の方はとうに絹の白シャツに薄手の三つ揃いという洋装に身を包んでいた。銀座町にある英国帰りの仕立て屋で誂えてやったもので、寸法はぴったりである。
真っ直ぐな黒髪を昔の童子のような切り下げ髪にしているのが、雛人形の男雛のような顔によく似合っている。
そんな顔だから着物の方が似合うかと思えば、今日のような洋装もまた不思議に映えるという、要するにこれは美童というものであった。

(それもこういう、女の着るようなヒラヒラした襟のついたシャツに、これも大きく結んだリボンのようなタイなぞが似合うのだから、なにやらおかしなものだ。似たような顔でも、「あれ」には全然似合わんだろうに)
ふとそんなことを思って川地は首を振った。
詮無いことを思う癖は早くなくさねばならぬ。
「うむ、おまえが持っておれ」
尋ねてそのまま、口元に微笑を浮かべている少年に川地は答え、着替えを手伝わせた。少年は畳の上で丁寧にたとう紙を開いていく。
うつむいて前髪が額にかかり、細い眉を完全に隠してしまうと、その下の伏せた目を覆う長い睫毛に何かが呼び起こされそうになり、川地は再び首を振るようにして背を向けた。
そんな川地をどう思っているのか内心のことはわからぬが、少年はとりあえず不審がって問うたりはしない。黙って広げた衣を川地に着せかける。
賢しらな、とは思うが、それを憎むという気にはならない。
前もって成沢からある程度の因果を含められているのだろうと想像しているからである。

成沢が、川地とこの雅近というやや古風な名の少年を引き合わせたのは二月ほど前のことだった。偶然と見せかけてはいるが、周到に用意された場であることはすぐにわかった。しかしそんなことを一々言い立てるのも下らないので黙っている。成沢も一応、あれ以来どことなくふさぎがちな日々の増えた主人のことを案じ、何かよい慰みでもないかと気を回していたのであろうし、何にしろ、気に入ればそれでよし、気に染まぬならそのまま返せばよい話である。

現れたその少年を一目見て、川地は動悸が一つ強く打つのを感じた。
何かがどうかして、あの少年が現れたのかと思った。
今一度よく見れば、実際にはそれ程似ているわけでもない。背は低めで柄も細めである。着ているものも羽織袴の着物姿で、長めの切り下げ髪である。錯覚を起こさせたのは、動じず、それでいて物柔らかな雰囲気であった。どことはなしの立ち居振る舞いが、古い血のつながりでもあるかのように同種の空気を醸し出していた。

これはいかん、と思った。似すぎていてつらくなる、と思った。だが同時に興味も持った。
(中身の方は、どうなのか。あれ程ということはないのだろうが)
成沢は仕事の出来る人間であるが、それでもこんな手合いを探し出すには苦労したものであろう。一度はその顔を立てて試してみてもよいという気になった。
それで料亭に呼んでみると、姿かたちは多少似ていても中身はまるで違うものだということがわかった。ごく普通の反応をする、ただ美しいばかりの少年である。
成金の川地に対して大抵の育ちのよい子弟が感じるほどのことを感じてはいるのだろうが、川地の財や権力を慮ってそれを隠し、機嫌を損ねぬようにわざとらしくなく努める才はある。もちろん外見のことなどは気づかぬ風を装っている。

(これが普通なのだ。「あれ」のようでは、この世間では生きていけまい)
外は似ていても中は違う。そのことで川地は何故か安堵するような心持ちになった。
そして内心はどうあれ綺麗な子供が側にいて、まめに面倒をみてくれるのは便利なことである。便利なことには人間はすぐに慣れる。それでこの、少しは名のある家の養子だとかいう十代半ばの美童は週に一、二度この料亭にやってきて、たまには泊まってもいく習慣になっていた。
「行儀見習い」という名目である。それが名目だけであることは養父母も含めて誰もが承知であって、それ以上は言い立てない。そして養父の世間での地位は自然に上がるという、よくある話である。

その美童に仕度を整えさせて、川地は車に乗り込んだ。少年も続いて、自分で言った通り薄い更紗の肩掛けを持って隣に座る。
「帝国ホテルでよろしゅうございましたか。途中お寄りになるところは」
運転手が聞くのに、
「ああ、ゆっくりでよい」
返事をしてあらためてシートの背に寄りかかると、少年はわずかにこちらに身を寄せるようにする。重みはほとんど感じない。甘えているのだ、という合図で、川地もそれに従って少年の片手を取ってやる。少年は恥らうような微笑を見せる。
(好色な老人を上手く操っている、と得意なのだろうな)
それもそれで可愛く思えないこともない、という心持ちである。

「まったく、お稽古ごとの成果を見せるのに帝国ホテルのバンケットルームを借り切るとは、大した道楽だな。先日の厄災の後が残る地もあるというのに、金があるとそれはまあ色々な使い方が出来るものだな」
「イケズ」の癖がまだ抜けない川地が少年の顔を見ながら言ってみると、少年はまた艶やかな笑みを見せつつ、
「そうですね、どうせお使いになるのなら本当に喜ぶ者がいるような、お上手ななさり方がいくらでもありましょうに」
などと言う。
その流れに乗って川地は、
「今嵌めている指輪はもう二度ほど使っていたな。先に村松にでも回ってみるか」
などと言ってやる。少年は少し驚いたような恐縮するような顔を見せ、そして最後には感謝の喜びで頬を染めてみせる。
(裏で舌を出していようと別に構わぬ)
美しい花があればそれを見て愛でればよいので、花は他の生き物に奉仕させるために美しくなっているのだなどと学者めいたことを思ったところで益はない…
上得意のための部屋でソファに座ってぬるい茶をすすり、店の者が持ってくる宝石の煌めきを次々に灯りに映しては頬を紅潮させる少年を見ながら、川地はそんなことを考えていた。

***

会場のほとんどの人間にとって退屈な時間が過ぎ、ようやく本番の交流の時間になった。
演台が片付けられ、部屋全体が明るくなる。テーブルにあらためてオードブルや軽食の類が並べられ、新しい酒が配られる。楽団が歓談の邪魔にならぬ程度の演奏を始める。
席に付いたままの者もいるが、大抵はグラスを片手に立ち歩き、知己と挨拶をかわし始める。
座ったままの川地のところには、知己だけではなく、「これを機会にお見知りおきを」と名刺を捧げ持って頭を下げる者たちがやってきて囲む。
それらはホテルの玄関で川地と少年を出迎えた成沢が首尾よくさばいていた。
少年は川地の椅子の斜め後ろに立ち、声をかけられれば控えめな返事をする。

「やあ、雅近君、今日の演し物はいかがでしたかな?」
親しそうに微笑んで少年に声をかけてくる男がいた。
年は向こうの方が五つ六つ上というあたりのようで、後ろには同じ年の頃らしい連れが数人いる。全員が誂えた背広姿ではあるが、顔つきなどから見ると大方大学生だろう。
「お久しぶりです。お父上はまた腕をお上げになられましたか」
少年はそちらに向き直って丁寧に頭を下げる。
相手は微笑を浮かべたまま、
「これはこれは。君にお褒めの言葉をいただいたと知れば父も喜ぶよ。なにしろその道の家の血を引かれたお方だからね。父が今日奏でた笛も元はといえば君の家のものだったのだし」
「……」
少年は少し頬を染め、目を落とす。

「ほお、そのような名家の出でいらっしゃいましたか。知らずに失礼を致しました。いえ、そのようなお方が誰かの側仕えのようなご様子でいらっしゃるとは思いもよりませんでしたので」
連れの男が頭を下げつつ言う。最初の男はそちらへ向き直って、
「本当なら我らなどお側近くにも寄れぬお方だよ。その家の格を今でも健気に保っていらっしゃるのだ」
「なんと、そんなお方を侍らせている方ともなれば、もう我らには口をきくことすら許されぬでしょうな。ええ、身の程を知り、退散することに致しましょう」
男たちはわざとらしく川地の方をちらりと見やって一礼をし、口の端で笑いつつ去っていく。少年は両の手を握り合わせるようにしながらうつむいた。
周りで聞いている者たちは、事情を知っている者は目を眇めたり小さく笑い、知らない者は知っていそうな者を離れたところまで引っぱっていって話を聞く。

(まったく下らん猿芝居が好きだな、ここいらの連中は)
この少年も含めてのことだ。
男は言葉の上では少年の出自を尊びながら、実は嗤いものにしている。連れの男も当然何もかも知った上で言っているのだ。だが、少年が恥辱に震えると見せかけて内心では毛ほども動じてなどおらぬということはたぶん知らないだろう。そう見せているのは争わず、波風を立てず世を渡る術であって、それも家の技の一つであるとも言える。
成沢が調べてきたところでは、この少年の養家もなかなかの家であるが、本来の母親の血筋の方は更に上だったのだという。その姫君が平民の男と恋に落ちて勘当され、少年がまだ幼い頃父親が事故で死んだのを機に母親は家へ連れ戻され、幼い少年は他家へ出されたということらしい。

(儂のことなどは、何も知らない成金のヒヒ爺いがいいように手玉に取られているくらいに思っているのだろう)
自分たちの揶揄などはまったくわかるまいと思い、わざわざそれを人の目の前で芝居ごとにしてみせるという心根が腹立たしいが、ここでそれをぶち壊すようなことを言ったりすればまた「野暮だ」という話になるのである。
(つきあってやるしかないのだな)

川地は若い者の会話には興味がない、という風にグラスを傾けつつ、成沢に目で命じて、相手の素性を探らせる。いずれ彼ら本人やその家には、その職業や身分に応じてなんらかの躓きが生じるだろう。それこそは同じように芝居に加わっている少年の望みであって、まさしく男たちの言う通りに「家の技を継いでいる」という皮肉なのだ。
少年の母親の生家は平安の頃には「近衛を出す家」と呼ばれた家だった。それはつまり家の格の高いことはもちろん、優れた容色で時の権力者から目をかけられて力を得たということなのである。少年が美しく賢しいのは、まさにその血のなせるわざと言ってよかった。

(まったく、成沢もえらい玉を見つけてきたものだ。別にそんなすごいものを引き当てるつもりではなく、「あれ」に少しでも似ていて、条件次第で使えるというのを探しただけなのだろうが…)
そんなことを思っていると、
「ご主人様、ちょっと…」
部屋の外へ出て色々と聞いて回っていたらしい成沢が走るように戻ってきた。なんともいえぬ表情である。事業関係の場ならともかく、こんな席で何か困惑するようなことが起きることがあるわけもないのだが、
「どうした」
「楽屋部屋の方に行ってみたのですが」
少年の控える側とは反対の方から身を近づけて、ささやくように言う。
自分の命じた件で、その演奏した父親という方も探っておくつもりだったのだろう。少しあたりを見回して、先程の青年たちがもう近くにいないことを確認してから言う。
「なにやら、笛が少々面倒な話に」

少年が鋭い目を成沢に向けた。
すぐにいつもの大人しやかな顔に戻ったが、一瞬その目に宿った光は本来の芯の強さを見せるようだった。
(元は自分の家に伝わる家宝の話かと思えば血も騒ぐのであろう)
少年のためにも見てきてやるかと思い、川地は立ち上がった。
「あ、あの、おいでに?」
ご注進をしておいて、成沢はそんなことを言う。
「なんだ、まずいことでもあるのか」
「え、いえ、その、そういうわけでも」
冷や汗をかいている。
どうも相当混乱しているようだ。ますます、自分で確認しないとわけがわからないままになりそうである。川地は成沢を放って一人楽屋の方へ通じる廊下へ向かった。

楽屋に使われている控え室のドアから中を覗いて、川地は成沢の当惑のわけを知ることになった。
部屋の中にはかなりの人数がいたが、その大部分が壁に沿うように立ち、人垣を作っている。人垣が囲んでいる部屋の真ん中には、少しの間をおいて対峙している人間たちがいた。
片方は、先程それを奏でていた壮年の男とその演奏仲間のようだ。
そしてもう片方は、いつぞや見かけた探偵とその助手--あの少年であった。





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