March 27, 1999 〜 April 7, 1999
工事中
バンコク、ドン・ムアン空港での6時間の滞在の後に、ようやくプノンペン行きの飛行機に乗り込んだ。聞けば、どこへ行くにせよバンコクでは乗り継ぎにこのくらいの滞在を強いられるとのことだ。 「お金を落とさせるためよ」とは後で聞いた。なおちゃんだったかな。彼女は現地在住の日本語教師で友人の妹さんである。今回のカンボジア旅行ではずいぶんお世話になった。 プノンペンのポチェトン空港につく。機内から出たとたん熱帯特有の粘っこい空気がまとわりついた。入国手続きを行うために建物へ向かう。場末のスーパーマーケットのようだ。滑走路のコンクリートの路面から立ち上る陽炎で、一階建ての貧相な建物がかすかに揺らいで見えた。
入国手続きにどうしてこんなにポリスが必要なのだろう。軍服は圧迫感を感じていやだ。安ホテルのカウンターのような長机に7,8人のポリスが並んで座り、パスポートを流れ作業でチェックしてゆく。自分の書類がちゃんと処理されているのかが気になって手元を覗きこむが、書類がどのような流れで処理されているのかさっぱりわからなかった。痺れをきらして抗議するフランス人がいる。気をつけてみると元の宗主国だけあってフランス人が目に付いた。 ようやく開放され、建物を出るととたんに人の群。一応アンコール遺跡のあるシェムリアップ行きの国内便の状況を確認しようとカウンターに向かう途中でバイクタクシーに捕まった。 ソックヴァンと名乗った彼の説明によれば、今日の便は予約済みだとのこと。信じたわけではないが、英語が聞き取りやすかったのと、立ち居振る舞いが洗練されていて、印象がよかったので条件を聞く気になった。 市内まで$7ドル。せっかくだし一日プノンペン観光はどうかという。$20程度のホテルを紹介するとのこと。わるくない。次の日にスピード・ボートの乗り場まで案内するということで折り合いが付いた。シェムリアップまで飛行機なら$50。スピードボートなら$25だ。元々そのつもりだったので、これは大丈夫。 ちなみに後で知ったのであるが市内までバイクタクシーだと1$程度。 |
市内に向かう途中でも、バイクで伴走するソックバンはひっきりなしにちょっかいをだしてくる。車の前を蛇行して走ったりである。25歳だぜ。ノリが若いなぁ。 一応カンボジアは右側通行なのだが、ほとんどお構いなしという状態だ。車も多いのだがバイクはそれ以上に多く、市の中央部はバイクで埋め尽くされている観がある。信号はもちろんない。方向指示器は一応付いているのだけれど、ほとんどが壊れているので役に立たない。曲がる人は手で合図をするのだ。当然事故も多いのだが、いまのところは対処のしようがない。 ちなみにバイクの値段は新車でおよそ$1,500〜800。中古でほぼその2/3くらいだろう。けっして安い値段ではない。公務員の月給が$20程度だから、バイクというのは実際、一財産だ。けれども手っ取り早くお金を稼ぐにはバイクタクシーというのはいい手段である。すでに述べたとおり、空港から市内まで$1。肉体労働の日当がほぼ$1.2〜3と聞いた。公務員の給料が前述の通りほぼ$20であることを思えばバイクタクシーの率の良さがわかる。そのうえ英語が話せればガイド料を請求できるのだ。 空港での交渉の結果、プノンペンの一日ガイド料は$10となった。これはほぼ相場通り。翌日はスピードボートの駅まで連れていってくれるとのことだ。 それにしても道路の舗装事情は甚だしく悪く、至る所に穴が空いていて、みなそれを避けて走るものだから、対向車線まではみ出ることもざらである。車に乗っていても天井に頭をぶつけるなんてのはあたりまえのことだった。 |
案内してくれたホテルは中華系のホテルで、タイあたりと同様、連れ込みっぽい雰囲気を漂わせていた。
No33,Sok Hok St(107) Sangkat Monorom Khan 7 Makara Tel:(855-23)880 180 |
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カンボジアの遺跡に好んで使われるモチーフにカーラと呼ばれるユーモラスな神様がいる。最初に死んだ人間というのだから、日本で言うところの閻魔様である。門の入り口などに良く登場している。 シェムリアップに滞在している間、運転手とガイドを務めてくれたチェトラの笑い顔を見て、なにかに似ているとずっと考えていた。 ある時ふと気づいて大笑いした。なんのことはない。毎日のように眺めていたこの神様の笑い顔にそっくりだったのだ。
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カンボジアの聖地のひとつプノンクロム(クロムの丘)の周辺には蓮畑が広がっている。見渡す限りの蓮畑である。 そこにぽっかりとうかんだ入道雲が僕のお気に入りの風景の一つだった。
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帰国してからこんな手紙を書きました。 先日は見送りありがとうございました。 10日ほど前に日本に帰ってきました。 ワシントンからニューオリンズ、そして日本経由でカンボジアというハードな日々でした。(日本にいたのはたったの6時間!) カンボジアは楽しかったです。 そしてカンボジアでもやっぱり燻製をつくっていました(笑)。 豚肉は市場にバラしたての肉がかたまりで並ぶので入手には困りませんでしたし、調味料もなんとかなりました。問題はチップです。 向こうには落葉広葉樹というのは、存在しません。っていうか、あっても僕にはわかりません。 薪として手にはいるのは、ジネンという樹液が灯油代わりになる木ばかりです。これは数十年で信じられないほど大きくなるかわり、内部がスカスカで、燃したときもあまりいい匂いはしないという、ちょっと使えないやつです。 いろいろ試した結果、ヤシの実を乾燥させたものをチップに使いました。 これは案外いけましたね。 それでバナナの葉で土管に蓋をして、燻すこと3時間でベーコンの出来上がり。 熱帯でしか手に入らない材料ばかりなのが、ちょっといいでしょ。 それでプロセスチーズをつかって、カルボナーラをつくりました。 これが結構おいしくて、試しにつくったベーコンは瞬時に無くなってしまいました。 また旅行での話はホームページにも載せるので、よかったら覗いてみてください。 それでは、また。 追伸 添付した写真は現地での燻製風景です。豚の丸焼き用につくったかまどを使って います。一緒に写っているのは現地で友だちになった同い年の日本人の建築家です。旅の後半は彼の家に居候していました。 |
ちゃんと働いている人も多いのだから、ちゃんと働こうね。 お金を与える人も変に理解を示したりしないこと。足を無くしても働いている人はいるし、どうせならそのような人のお店でお金を使うこと。ましてや子供に多額の現金を与えるなんてもってのほか。肉体労働の一日の賃金が1$強なのに、あっさり子供に1ドル紙幣を与える観光客がいるのには閉口する。 なおちゃんの授業が終わる頃にタケウさんと迎えにいったのだが、悪路で折悪しくパンクしてしまった。道ばたのパンク修理屋でいったんは直してもらうのだが、数百メートルもいかない内に再びパンク。 メインストリートの路傍で店を開いている人がいたので再び修理を頼む。もうすっかり日も暮れていたので、のんびりと待つことにした。 ふと気が付くと修理のおじさんのそばには奥さんがつきっきりで、随分かいがいしく働いている。よくみると、おじさんには膝から下の足が無かった。木の板にキャスターをつけたものを足の下に敷いて、器用に動き回っている。周りのお客さんもわかったもので、手伝ったり、差し入れの食事を持ってきたりしている。なんだかちょっといい情景だった。 |