はじめに

旅から帰って一ヶ月がたとうとしている。
この間、旅行記のようなものを書こうとなんどか筆をとったが、果たせず、今に至る。
旅の楽しさをちりばめた土産話のたぐいならいつでも書ける。そう思いながら、それでも書き始めるといつもなにかしら違和感がつきまとう。例えばもう二度と関わることのない土地のことで、二度と出会うことのない人々の話であるなら、まだ簡単なのかもしれない。
けれども、今回のことは始まりでしかなく、おそらくは二度と会わない人々についても、再びその土地を訪れる度、記憶の中のその印象が変わっていくことを僕は予感している。関わりは切れたわけではないのだ。
屋台のおばちゃんやポン引きのお兄ちゃん、バイクタクシーの運転手にはこれからも出会い続けるだろう。じきに特定の誰かの記憶は薄らいで、ステロタイプの人間像に取って代わることになる。
新しいことは何もなく、また同時に変わらないことも存在していない。
そんな混沌とした気分の中に、僕はいる。

旅行から帰る度に、どっちが日常かわからなくなってしまう。それを無理矢理定着させるのに時間がかかるのはいつものことだ。おそらくは生活の基盤が、特定の土地と結びついていないからだとは思う。僕をその土地に留めているものはたいてい金銭的な事情でしかない。みんなそうなのかもしれないが。
そんな状態で「僕が出会った運転手はね。」とか「カンボジアの食べ物は・・・」などと語ることに抵抗を感じてしまう。無理してでっち上げているような気分になってしまうのだ。日常生活の中で語ることと、旅行の土産話として語ることとの距離を思う。

そういえばブラジルから帰ったときもそんな気分だった。あのときも僕は1年後には再びその土地を訪れると考えていたものだ。だからしばらくは紀行文が書けず、苦労したのをおぼえている。結局断片的なものしか書けなかった。
でもそう考えると、今回の旅行記も1年後にはノスタルジックな想いをちりばめて、どこかに書いているかもしれない。
でも、とりあえず、いずれ再訪するにしても何らかの印象は書き残しておこうと思う。そう考えることにしてパソコンを立ち上げることにした。

カンボジア

 バンコク、ドン・ムアン空港での6時間の滞在の後に、ようやくプノンペン行きの飛行機に乗り込んだ。聞けば、どこへ行くにせよバンコクでは乗り継ぎにこのくらいの滞在を強いられるとのことだ。
「お金を落とさせるためよ」と聞いた。誰に聞いたんだったっけ。

 プノンペンのポチェトン空港につく。機内から出たとたん熱帯特有の粘っこい空気がまとわりついた。入国手続きを行うために建物へ向かう。横に広がった公民館のようだ。滑走路のコンクリートの路面から立ち上る陽炎で、一階建ての貧相な建物がかすかに揺らいで見えた。

 入国手続きにどうしてこんなにポリスが必要なのだろう。軍服は圧迫感を感じていやだ。安ホテルのカウンターのような長机に7,8人のポリスが並んで座り、パスポートを流れ作業でチェックしてゆく。自分の書類がちゃんと処理されているのかが気になって手元を覗きこむが、書類がどのような流れで処理されているのかさっぱりわからなかった。痺れをきらして抗議するフランス人がいる。気をつけてみると元の宗主国だけあってフランス人が目に付いた。
 ようやく開放され、建物を出るととたんに人の群。一応アンコール遺跡のあるシェムリアップ行きの国内便の状況を確認しようとカウンターに向かう途中でバイクタクシーに捕まった。
ソックヴァンと名乗った彼の説明によれば、今日の便は予約済みだとのこと。信じたわけではないが、英語が聞き取りやすかったのと、印象がよかったので条件を聞く気になった。
 市内まで$7ドル。せっかくだし一日プノンペン観光はどうかという。$20程度のホテルを紹介するとのこと。わるくない。次の日にスピード・ボートの乗り場まで案内するということで折り合いが付いた。シェムリアップまで飛行機なら$50。スピードボートなら$25だ。元々そのつもりだったので、これは大丈夫。