エスニック

訓練所日記

2000年2月4日〜


訓練終了にあたって

 終わってみると、案外短かった気がする訓練であった。特に後半はあっという間に過ぎた気がする。訓練を終えた充実感よりも現地へ向かう不安感で一杯である。特にスペイン語に不安が残る。6週間の現地訓練でがんばるしかない。
 訓練所生活はけっこう楽しかった。楽しかったと思える位だから、少し勉強が足りなかったのかもしれない。それでも、もう少し残りたいかと尋ねられたら、早く任地へ向かいたいと答えるだろう。訓練所の友達たちと離れることも、寂しいと言うより、帰国してから会うのが楽しみという気分だ。それでも訓練所を離れるときはなんだか胸にこみあげてくるものがあった。

 振り返って考えてみると、奇妙な高揚感と不安感に包まれた訓練期間であった。これから新しい世界に足を踏み入れることに対する恍惚と不安であろうか。いずれにせよ普段とは違った精神状態が続いていたとは思う。考えてみれば、皆そうであった。漠然とした不安感や緊張感がやんわりと漂い、どうかするとそれがいろんな形になってあらわれたりもした。みんな自分のことで手一杯といいながら、人のことが気になって仕方がなかったのだろう。いろんな噂がうまれては消えていった。この環境下で思うように自分らしさをだすことが出来ず、不本意な日々を送った人も多かっただろう。スケープゴートの生まれやすい下地があったようにも思う。個人的には訓練所のこのような空気が変な方へ向かわないように、気をつかっていたつもりだったが、一歩間違えると、と考える気持ちはどこかにあった。語学クラスも生活班もメンバーに恵まれたのは幸いだった。女性が多かったことも含めて、いろんな要因の上に成り立っていたバランスだったように思う。

 僕はなんだかこのような環境にうまくはまりこむことが出来たが、それでも長くはもたなかったかな。後数週間とはもたなかったかもしれない。共同生活や寮生活には慣れていたが、事前に予測していたそのような環境とはまた異なった生活だった。僕らの隊次から居室が個室になり、随分過ごしやすくはなっていたが、以前の隊次の人は大変だっただろう。一人の時間を確保できないとつらい。昼ご飯を素早く食べて、まだ人のいない時間に音楽室でギターを弾くのが楽しみだった。

 それでも訓練所生活はやっぱり楽しかったかな。季節が良かったのがなによりだった。残雪の残る中央アルプスを眺めながら、日々季節が夏へと近づいていくのを楽しみにしていた。週末には近郊の山へ登って昼ご飯を食べたことが、懐かしく思い出される。数年後にまた皆とどこかで会えたらいいと思う。

 


参加した選択講座と自主講座

選択講座
PRA講座  開発関係の技法というものをほとんど知らなかったので、参加してみた。なかなかおもしろい。もっと詳しく知りたくなった。ただ全体に時間が少なく、はしょった説明になったところがあったのは残念であった。
座禅講座   考えてみれば座禅というものをしたことが無かった。なかなかおもしろい体験だった。これまで、座禅というのは無念無想の境地に至らないといけないと思いこんでいた。別にそのようなものではないのだという。夏目漱石の『夢十夜』の座禅のイメージがあったので、雑念ばかりの僕には厳しいと思っていた。和尚の話だと、僕は四六時中座禅を組んでいるようなものか。自己の深みに沈潜していくことは、鬱病持ちの僕にとって手慣れたことでもあるのだが、危険なことでもあるのだ。禅の技法はこの危険を回避する智恵も含んでいるのかもしれない。


自主講座
  • 燻製講座(主催)
  • PCM講座
  • その他
 自主講座には片っ端から参加したように思う。職員から注意を受けたくらい。なにかの役に立ったとは言い難いが、いい息抜きにはなった。




June 28, 2000

 無事終了。やった。

June 27, 2000

 

Tuesday, 16 May, 2000

 中間テストの答案チェック。思ったほど理解できていないわけではなく、失点のほとんどはケアレスミス。冷静に見直す余裕があれば、もっとマシな点だったかも。まぁ、いいや。とりあえず合格点だし。
 今日は班会議。今週末に野外活動でキャンプをするので、献立やイベントを考えなければならず、けっこう大変。野外活動のリーダーご苦労様です。
 ちなみにわれらが6班はウクレレとギターで合奏。献立もおいしそうなメニューが出来上がったし、楽しみ。

Monday, May 15, 2000

 今日は中間テスト。気分は最悪。いい年をして、まだテストにおびえなければならないのはどうにも気に入らないが、ほんとに調子が悪い。頭もちっとも働かない。
 試験は3つに分かれていて、それぞれヒアリング、文法、オーラルとなっている。オーラルがだめで結構ショック。というより緊張で話すことがなんにも思い浮かばなかった。
 結果はその日のうちにわかった。点数が発表されないクラスもあるみたいだけれど、うちのクラスはすべての点数が知らされる。ヒアリングが思っていたよりできていた。文法とヒアリングだけなら悪くない点数。でも案の定オーラルの出来が最悪。合格点ぎりぎり。

 試験が終わった開放感はなんともいえない。さっそく、とある場所へと向かう。ところが、この某所では理学療法士や言語療法士が集まってワークショップを開いていた。面白そうなので参加してみた。
 「嚥下」がどのように行われるかという題目で、自分達が食べ物や飲み物をいかに摂取しているかを実感しようとするものだった。もちろん実習である。飲み食いしながらであるのはいうまでもない。
 終わった後、生活実習室でうどん作りの講習会をやっていたので、こっちにも参加。手作りのうどんはじつにうまい。任地でもつくろうと心に誓った。
 さらに6班の女性陣からウクレレを弾いているから遊びに来てねと誘われていたので、談話室に顔を出す。もちろん音楽室から持ち出したギター片手にである。
 というわけで、なんだか精神的にも肉体的にも忙しい1日だったけれど、終わりよければすべてよし。充実した1日だった。

Sunday, May 14, 2000

 午前中はまじめに勉強。インターネットにスペイン語の学習者向けのサイトがあったので、ここの問題を解いたりしていた。
 所長宅で飲む。

Saturday, May 13, 2000

 最近は、トーどすロすディあす、毎日スペイン語で日記をつけている。宿題なのだ。内容もたいして変わらない日記をわざわざ日本語とスペイン語の両方で書くのはめんどくさいので、いっそのこと、全部スペイン語にしてやろうかとも思う。でもスペイン語の表記をHTMLで書くのは難しそうなのでやらないだろうな。やり方もよくわからない上に、協力隊のみんな以外だれも読んでくれないだろうしね。
 今日は1日KTCで語学の勉強。とはいっても語学クラスのみんなとおしゃべりしながらだけれども。明後日はスペイン語の中間テスト。はてさて、どうなることやら。

May 12, 2000

 

May 11, 2000

 

May 10, 2000

 所外活動。農家の手伝い。田植えでへとへと。

May 09, 2000

 

May 08, 2000

 

Sunday, May 07, 2000

 今日も山歩き。毎週どこかにでかけてるなぁ。駒ヶ根高原の北にある不動の滝までワンディ・ハイク。
 きれいな滝でびっくり。おすすめポイントだね。
 鮭や鯵のホイル焼きに豚汁。おいしゅうございました。

May 06, 2000

 待ちに待った週末。fin de semana

May 05, 2000

 自主講座、その後はサッカー.

May 04, 2000

 龍谷大学の中村尚司先生が選択講座で来られていた。久しぶりにお会いした。なんどか講演や大学でお会いしたことがある。向こうは覚えていないだろうけれどね。

May 03, 2000

 今日は語学はお休み。朝から地元の消防署の人が来て救急法の講義。人工呼吸は人形を使って行うのだけれど結構おもしろかった。三角巾の使い方はかなり実用的かも。
 この講座がおわってしばらく、へんなことがKTCで流行った。寝ているか、休んでいる人の耳元で、「もしも〜し!」と大声で叫んだ挙句、「すいません、救急車を呼んでくださいぃっ」と周囲に向けて呼ばわるのである。とりあえず心臓に悪いのでやめてください。
 午後は協力隊講座。これは選択講座とは異なり、レポート提出の義務がある。

May 02, 2000

 選択講座

May 01, 2000

 選択講座

April 30, 2000

 今日は休日だというのに早起きして山登り。
 KTCは中央アルプスの東側の山麓にあり、その山容は北から順に木曽駒ヶ岳、空木岳、南駒ヶ岳となっている。木曽駒ヶ岳の麓に駒ヶ岳高原があり、ここを起点にして空木岳へと向かう稜線沿いに今回の目的地である池山がある。標高は1780mと、さほど高くはないが、南アルプスと中央アルプスの間にに位置するため、その眺望はすばらしい。
 2000mを越えるとこの時期はアイゼンなどの装備が必要であるため、日帰りハイクにはこのあたりが限界だろうということから池山を選択した。
 天気も良くて眺めは最高。山頂でモツ鍋を食べた。
 ゆっくり下山して、喫茶店でひとときを過ごす。
 さすがに帰ったあとは爆睡。

April 29, 2000

 語学は午前中で終わり。午後は自由時間。一応3時までは自習なんだけれどね。明日の山歩きに備えて早い時間に買い出しに出かけるつもりだったけれど、教室にいたら、なんだか臨時パソコン教室を開く羽目になってしまった。数人のパソコンの設定をいじっていたら、もう夕方だったので、夕食の後に買い出しに行くことにした。
 一人で買い物というのも少しむなしかったかも。とぼとぼKTCまで歩いて帰ることにしたけれど、途中でタクシーに便乗。門限ぎりぎりだったので危ないところだったかも。

April 28, 2000

 任国事情。もと専門家村田さん。

April 27, 2000

 歯科衛生の講義。協力隊OBでもある歯科医学者の講演。嬉々として切り開かれた人体のスライドの説明をする姿が印象に残った。ちょっとやばい人かも・・・。ともあれ、こんどからちゃんと歯を磨くことにしよう。

April 26, 2000

 語学

April 25, 2000

 火曜日だから予防接種。今日は破傷風とポリオ。ポリオは簡単で、薬を一滴飲み込むだけ。おいしくてももう一滴ってわけにはいきません。でもちょっと甘くておいしかった。

April 24, 2000

 任国事情1および班長会議。
 月曜日はいつも班会議がある。そのために班長だけの全体会議が昼休みに開かれるのだ。
 今回は音楽室の利用について音楽隊員から要望があった。しかしながら、班長会議で取り上げることによってかえって議題が紛糾した感がある。なんにせよ情報の伝達に問題があるね。とても誤解が生まれやすい状況だ。班会議へと議題をおろす内容は、状況をしっかり把握したうえで、ある程度、班長裁量で取捨選択する必要があるように思う。

April 23, 2000

 完全復活! 週末の威力は偉大だ。
 今日は馬住塚(まみづか)公園で花見。小さな池の周りを取り囲むようにして満開の桜とつつじが咲き誇るきれいな公園だった。遠くには残雪の残る中央アルプスの山が見える。
 どこからともなく中国風の笛の音が聞こえてきたけれども、これは近くに住む中国人が散歩がてらに吹きに来ていたらしい。まわりの風景とうまく調和して、桃源郷にいるようだった。駒ヶ根市というのはほんとに美しい土地だと思う。
 朝方は雨が降っていたけれども、昼前にはすっかり晴れ上がって、おかげで1日外にいると日に焼けてしまった。公園の近く、国道沿いにはほか弁屋があるし、ちょっと北に行くとホームプラザもあって、結構便利。近くのコンビにでは酒も手に入るし、宴会には絶好の土地かも。
 宴会をしているといろんなお客さんもくる。堀田主任に英語のブライアン先生、フランス語の先生。宴会の終わった周りの人から差し入れをもらったりして、なんだか楽しい。
 昨日と今日とですっかり酔っ払ってしまった。そろそろ本性がKTCの人間にも知られつつある?

April 22, 2000

 スポーツ大会。馬住塚(まみづか)運動公園のグランドでソフトボール。我らが6班は一勝一敗で残念ながら入賞できず。
 所長の飼いイヌのビーと一日遊んでいた。遊んでもらっていたのかも。

April 20, 2000

 今日で10日目。そろそろ疲れてきたかもしれない。別に何にってわけではないけれど、がんばりすぎたかな?
 もとが怠け者だからなぁ。

 スペイン語の小テストは無事終了。クラス換えもなし。やった!
でも僕のクラスのメンバーはみんな単語が書けないし文法も苦手ということが判明。だって会話ばっかりだからね。でも楽しいから問題なし。
 話せるようには確実になると思う。でも書けるかどうかは別問題。とはいうものの僕は識字教育を推進するのが仕事なんだけれどね。大丈夫か?まぁいいや。

 「風の記憶−先住民抵抗の歴史」(1992)というTV番組の録画をみた。国別担当の職員の方からお借りして、ガテマラ派遣のみんなと見たのだけれど、なかなか重い内容であった。インディヘナと白人やラディーノとの対立は考えていたより、はるかに大きく、単純であるだけに根深いものがあった。内容的には多少古いけれども、支配層のインタビューが印象に残った。いったい今はいつの時代なのだろうと思うような時代錯誤な発言。これは近年増えている民族主義的な傾向と関連するのだろうか。番組を見た印象ではもっと以前の植民地時代の支配層の言説に近いものを感じたのだが。
 いろいろと大変そう。
 

April 19, 2000

 明日はスペイン語の小テスト。でも今日は1日語学三昧で、結構話せるようになったような気分。クラスのみんなと受け答えしたりしてね。
 このクラスは会話重視で楽しい。クラス換えにならなければいいんだけれどなぁ。
 国別に担当職員と面談。僕の仕事内容がわりとはっきりしてきた。基本的にはプログラムオフィサーと一緒。現地の教育事務所で識字率を上げるために尽力することになる。僕としてはもっと現地の村落にべったりかと思っていたらそうでもないらしい。ってあんまりそう言う仕事は専門じゃないんだけどなぁ。ちょっと不安。
 図書資料室で報告書をあさる。前任者の報告書を発見。うーん。しっかりした報告書で、すごいよ、これ。結構みんな開発経済とかの専門家だね。僕は基本的にフィールドの人間なので、、苦労するかも。SPSSの使い方もマスターしなきゃね。SPSSってのは統計処理ソフトなんだけれど、前任者はすでに現地事務所のPCに導入してくれている。このへんからも、前任者の仕事振りがうかがえる。
 入所するまでにこのあたりの説明と、報告書の閲覧は可能にしてほしかった。このへんがちょっと不満。

April 18, 2000

 これから毎週火曜日は予防接種の日となる。こんなに多くの注射を打つことになるとは思わなかった。とりあえず第一回の今日は狂犬病。

April 17, 2000

 体力測定。年甲斐もなく張り切ってしまって、あとが大変。実年齢より5歳は若いつもりでいたけれど、そうはいかない。柔軟がいちばんきつかった。これさえなければよかったのに。どうもKTC(駒ヶ根訓練所)のカリキュラムはうまくできていて、ついついはりきってしまう。

April 16, 2000

 昨日は町に出て呑む。久しぶりと思ったらまだ入所して、たいして時間はたってないんだよね。
 昼間は町にでて、買出し。近年の地方都市はどこでも郊外が発展してくる傾向にあるけれど、ここも多分にもれず。郊外にベルシャインというダイエー系列のショッピングセンターがあり、ここの周りにある平和堂で書籍、100円SHOPで日常雑貨を購入することができる。訓練所から送迎バスがあるので便利。

April 15, 2000

 ようやく語学がスタート。なんだかおもしろそうな日系ペルー人先生。ホワイトボードマーカーをかじる癖あり。ちょっと変かな。
 午後は総合テスト。でも過去問がどこからか回ってきたので対策はばっちり。それでも結構間違えたかも。まぁ合格ラインさえとっていればいいか。
JICAの正式名称(国際協力事業団)と綴り、また、JOCVの正式名称(青年海外協力隊)と綴りは必ず暗記すること。

April 14, 2000

 オリエンテーションがまだ終わらない。まだ実質訓練も始まってないって事。

April 13, 2000

 200数十名の候補生と職員を前に壇上で自己紹介。一人一分。
 みんな印象に残るようしゃべっている。結構みんな上手だなぁ。
 僕はひげの話で笑いをとって、さあ本題ってところで時間が来てしまった。
 みんなの頭にはただ、ひっくりかえしても同じ顔の人として脳裏に刻み込まれたようで、それからしばらく今日の顔はひっくり返ってますねとからかわれる羽目になった。

April 12, 2000

 オリエンテーション二日目。生活班が決定される。基本的にここでの生活は生活班を中心として動くことになる。
 僕は第6班で、班長になった。自己推薦。気合いはいってるなぁ。

April 11, 2000

 長かった一日もようやく終わろうとしている。緊張していたのだと思う。今でも肩の力が抜けない。ともあれ、無事初日終了。

 朝の名古屋駅前発のバスは皆大きな荷物を抱えた若い人たちで一杯。まさかとは思ったが、全員協力隊候補生だった。バスの中の雰囲気は、さながら遠足のバスのようである。

 平成12年度第一次隊入所式が終わる。総勢205名のうち男性75名、女性130名。圧倒的に女性が多い。ちょっとうれしい。


 

April 11, 2000

 出発前の一週間は随分いろんな友達と会って話をした。自分を形作ってきた過程をもう一度振り返ってみてきたような気がする。自分の考えの原型は、これまでの友達のなかに、かつては存在していたものなのだ。影響を受けやすかったのか、互いに影響を与えたのか、それはわからないけれど、新旧取り混ぜた友人たちに囲まれて、そんなことを考えていた。

 さて、今日は名古屋にいる。明日はいよいよ入所日である。一日で駒ヶ根まで行くのはしんどかったので、途中で一泊。結局今日のうちに駒ヶ根まで行ってもすることないもんね。明日の朝の高速バスで駒ヶ根だ。
 荷物が多かったのでいつものサウナの仮眠室ではなく、ちゃんとしたビジネスホテル。でも僕はこのビジネスホテルはあまり好きではない。ちょっと寂しい気分になってしまうからだ。いや、別に備え付けのHビデオを見て空しさを感じているとか、そんなのじゃないからね。一応。
 ゆっくり風呂には入れるけれど、その点ではサウナの方がいいなぁ。駅前に『サウナ太陽』ってのがあったしなぁ。
 今泊まっているのは『名古屋リバティホテル』ってところ。インターネットのHORNET(ビジネスホテル検索サイト)で探した。予約センターのおすすめだった。設備はまぁまぁ。でも最近のビジネスホテルって風呂に使い捨てのスポンジがついているんだね。これはポイント高かった。
 値段はインターネット割引で\6,930。わりと安いかな。でもこの名古屋駅の太閤通側ってなんだか京都駅の八条口を彷彿とさせる。烏丸側に当たるのが桜通ってところだろう。このあたりはビジネスホテル街で、結構やすい。中には\2.1kなんてのもあってびっくり。そのなかでは割とこぎれいで新しい分だけ少し高めってとこらしい。ほんとは『東横イン桜通口』がいいのだけれど、満席。さすが東横インは人気があるなぁ。

 その京都駅南側みたいな街の、ただ広いばかりで人気のない通りを歩いているとおいしそうなラーメン屋があったので入ることにした。『駅西ラーメン』というその店は九州ラーメン系で、麺がちょっと太くて腰がなく、スープはすこしコクが足りないのをニンニクなどでごまかしている感がある。それでもまぁまぁおいしかった。なによりよかったのは韓国どぶろく(マッコリ)が飲めたこと。それで機嫌良くなって部屋に戻ってパソコンに今、こうして日記を打ち込んでいる。

April 01, 2000

 4月になった。外はいい天気だ。ひなたぼっこをしながらスペイン語のテープを聴いている。うーん、いい気分。
協力隊関係の体験記がいくつかHPにアップロードされているのを昨晩見つけた。もうすぐ派遣される人の訓練所での体験記があった。おもしろいなぁ。全寮制の学校のようなものか。厳しいけれど、目的のはっきりしている厳しさというのは好ましいものだ。充実感がある。すべからく学校とはこうあるべきでしょう。
でもなんだかみんな事前研修とかに行っているぞ。僕はのんびりひなたぼっこ。いいのだろうか。

 昨日書いた日記↓を読み直す。ずいぶん気合いがはいっているなぁ。疲れなければいいけれど(笑)。
 けっこうグァテマラ関係のHPを見つけた。以前から著作を読んでいた熊本大の池田光穂先生のHPにグァテマラの詳細な調査報告があった。著作のほぼすべてをネット上で発表してくれているのはほんとうにありがたい。著作権上の問題もあるし、なによりも自分の本の売れ行きにも関わるだろうにね。
 昨日書いたラディーノとインディヘナの対立はすでに周知の事実?のよう。ただ、それを乗り越える試みがいくつか報告されている。たとえば外国人向けの語学学校で、こんなのがある。ホームステイをさせて、インディヘナの伝統文化を伝えると同時に、スペイン語を学んでもらうというものである。これはインディヘナの人々によって運営されている学校である。30年にわたる内戦を経て、イデオロギーの問題を回避する知恵も人々は手に入れてきているのだ。

March 31, 2000

 グァテマラにおける先住民(インディヘナ)の意識について、いくらかの情報を入手できた。スペイン語の学習におけるインディヘナの人々のまなざしは、思っていたほど単純なものではなさそうである。

 もともと語学の修得には、つねに民族意識やナショナリズムとの絡みがつきまとうものである。現在の日本における、英語を第二公用語にしようとする動きを思い起こしてほしい。単純に道具としてのみとらえる訳にはいかない部分が存在するのだ。「サピア=ウォーフの仮説」(人の思考形式はそれに用いる言語に依存する)というものもある。

 協力隊の一次試験の記述で、語学の学習をイデオロギーと切り離して考える必要性について書いた。それがたぶん大きな障害となるだろうと考えてのことだが、思っていた以上にそのことを念頭に置く必要がありそう。いかにイデオロギーと切り離すかが識字教育の成否をわける大きなポイントになりそうなのである。
 ラディーノ(混血、メスティソと同義)に対するインディヘナのまなざしに反感が込められていることをうかがわせる報告があり、その理由がいまいちぴんとこなかった。理解したのは、次のような記述にふれたときである。「スペイン語を学ぶことは、支配層であり抑圧者であるスペイン人の側にたつことであり、ラディーノとしてみなされることもある」という一節である。このことは、ラディーノが自らの民族意識を捨て、支配層にすり寄った存在だと見なす見方が存在するということを示している。現実問題として、この見方がどの程度一般的なのかは、現地での調査を待つ必要がある。って人ごとじゃなく、僕がやるんだけれど。

 もう一つ気になる事実がある。中南米は概して、カトリックの影響が強く、国民の大部分はカトリック信者である。インディヘナの人々においてもそれは同様である。かなり土着的な信仰と混淆しているようだが。(余談になるが、現地には黒いキリスト像というのがあって、信仰をあつめている。) 気になるのはグァテマラのプロテスタントの比率が周辺諸国に対して際だって高いことである。これはカトリックが「解放の神学」をとなえ、インディヘナの民族意識を高揚させたことと関連している。都市の中産階級はこれを嫌って、プロテスタントに改宗していったのである。これらの層の基本的な考え方はマックス・ウェーバーを持ち出すまでもなく、貧富の差を自分たちの努力に起因するものとする傾向にある。貧乏なのは努力が足りないからだというわけである。都市の中産階級とインディヘナのエートス(精神)のこうした違いは内戦を経て、かなり深刻な対立となっている可能性がある。隣国のメキシコの場合は、自国のアイデンティティとインディヘナの文化はかなり密接に絡み合い、民族意識の高揚にかつてのインディヘナの文化的遺産が用いられている。けれども、グァテマラの場合はすこし様相が違う可能性がある。もちろんメキシコに階層間の対立がないわけではないが、内戦を経てきたグァテマラの場合、貧富の差に加えて、民族文化の違いも横たわっているのだ。

March 29, 2000

 もう2週間ばかり前になるが、協力隊訓練所から書類や事前学習資料が一式届いた。それに従って、いろいろな手続きを行っているのだが、これが思った以上に大変なのだ。というのは金銭面での問題が絡んでいるからである。
 協力隊で派遣されている間、生活費等は支給される。現地で生活するには十分すぎるくらいの額(300〜500$くらい?)であるが、国内における支払いをまかなうのには厳しい。具体的にいうと国民年金や奨学金の支払い、住民税などである。僕の場合これらに加えて信販会社への返済が多少残っている。当初、国内の積み立て(10万/月)から引き落としができると考えていたのだが、これがどうも難しそうなのだ。うーん、どうしよう。
 少し必要な手続きを列挙してみる。これから協力隊応募を考えている人は参考にしてほしい。
  • 国民年金について
    海外在住期間は任意になるはずだが、協力隊としては加入を勧めている。親族等に納付を依頼できない場合は、国内積み立て金から差し引き充填が可能。ただし、これは訓練期間終了時から。したがって訓練所にいる間は支払いできるようにしておかなければならない。
  • 税金について
    住民税については、1月1日現在の居住者に対し、前年の年間所得をもとに算定された税額を、6月から翌年の5月まで徴収される。したがって出国後も納税義務があるのである。
  • 奨学金
    一応、返還猶予は可能のようである。しかしながら、これも訓練終了後に初めて「派遣証明書」が発行されるので、訓練期間中は返還を続けなければならない。
 3ヶ月の訓練期間中はまだ正式に派遣されるとは見なされていない。あくまで隊員候補生である。訓練そのものが最終試験となっているのだ。したがって退職参加の場合、この期間は無収入に近くなる上に、協力隊員としての身分上の処遇も存在しないと考えてよい。この間の様々な支払いをするだけの貯金は必要というわけだ。
 これにくわえて、たとえば僕の場合、このHPの維持費用を国内口座に残しておく必要がある。さほど多額ではなくても2年間となると馬鹿にならない。この手の費用がつもれば結構な額になる。いずれにせよ、徒手空拳では協力隊参加もままならないようだ。

March 05, 2000

 合格が決まってから、あちこちにメールを書いて、返信に対してはその返事を書いて、あわただしく毎日が過ぎていく。
 ちょっと舞い上がり気味ではあるのだが、頭の中はすでにグァテマラ一色である。冷静になろうとも思うのだが、なかなかうまくいかない。みんなに話したくてうずうずしている。しばらくは周りの人間に迷惑かけそう。

 先日、「地球の歩き方・中米編」を買った。民族学的な資料とは別の世界が見える。これはこれで面白い。あたりまえの話だが、おそらくはステロ・タイプとなっているだろう現地の魅力に関する言説がつまっている。でもそれを読んで単純にわくわくするのは確か。
 
 スペイン語の会話本に軽く目を通す。昔かじったポルトガル語を思い出す。なつかしいなぁ。思ったほど違いはないので少し安心した。もっともポルトガル語なんてほとんど覚えていないけど。

March 01, 2000

 要請先の詳細な受入希望調査表が届く。配属先の概要と業務内容が書かれている。勤務先は・・・と、教育省アルタベラパス県事務所って、どこや、それ!?首都から213km、バスで4時間って、これはまた、えらいところやなぁ。

 地方分権化にともない、県独自の教育プロジェクトの立案が、必要になっているようで、地域の社会的文化的な状況と、地域社会の教育ニーズの把握が求められているとのこと。
 僕の仕事は、したがって、教育プロジェクトのモニタリングやインパクト調査、費用便益調査などを企画・実施し、最終的には教育プロジェクトを立案するということになるらしい。なんだかえらい大役をおおせつかったものだ。

 グァテマラにおける教育面での最大の課題は、公用語であるスペイン語の識字率の低さである。成人男性で60%をきっている。マヤ系先住民が圧倒的多数を占めるアルタベラパス県ならば識字率はもっと減るだろう。これをどうにかしなければならないということだ。

 メキシコのチアパス高地における同様の事例をいくつか読んだことがあるので、状況はなんとなく把握できる。学習の必要性を伝えるだけで一苦労。これはなかなか大変そうだ。でもすでにいくつか考えていることはあるのだ。現地での調査結果次第ではあるが。

 マヤ系の集落の特徴は、空心型と呼ばれるもので、普段は地域の中心となる村にはあまり人がいない。農村なので、畑の近くに住み、祭礼などの時に集まるという。この記述が事実ならば調査は一苦労だ。標高2000m前後に散在する集落を回らなければならない。それでも仕事で山を歩けるなんて、僕には幸せこの上もない。 
 なんだか調べれば調べれるほど、僕向きの仕事である。現地に行ける日が楽しみでしかたがない。

February 21, 2000

 海外青年協力隊、無事合格。
グァテマラ行き決定。
やったぁ!

電子郵便でその日の午前中に到着。
前日はなかなか寝付けなかった。
平成12年度一次隊での採用なので、4月11日から信州駒ヶ根にある訓練所入り。7月半ばには赴任地へ向けて出発。
うーん、あと数ヶ月後にはグァテマラか。

February 08, 2000

 2次面接が終了して、昂揚した気分もすこし落ち着いてきたように思う。
 考えてみれば子供のころの夢が、南米のシュリーマンになることであった。いつかマヤの未発見の遺跡を発掘することが、あこがれだったのだ。こんな形でマヤ文明の末裔たちとかかわりをもつことに不思議な縁を感じている。

 当初は日本語教師として、カンボジアへの派遣を希望していた。それがひょんなきっかけからグァテマラへと大きく方向転換することになってしまったのだ。

 一次試験当日、寝不足の目をしばたたいて、試験を受けた。試験の前は、たいてい睡眠不足になる。頭をほぐそうと、みるともなしに、他の職種のページを眺めたならば、ふと社会学のページが目に留まった。社会学の募集があったのは知っていたが、教育社会学での募集であったのと、派遣地域が中南米だったので、自分とはあまり関わりはないなとそのときは考えていた。

 ところが、試験の内容を改めて眺めてみると、興味深い課題が出されていた。「文化相対主義」や、「参与観察」、「人種」、「literacy」、「先住民運動」などの説明が求められ、「multi-culturalism」と教育との関わりについて論じれば良いというのだ。
 たしか募集は教育関連の調査と教育プロジェクトの企画だったと思ったが、なるほど、こういうことだったのかと納得した。具体的に必要とされる人材がどのようなものであるか理解できたのだ。それはなんだか僕のやりたかったことに近いような気がした。

その瞬間、頭からカンボジアも日本語教師も消え去って、気がついたら夢中になって解答用紙に自分の考えを書き連ねていた。
 派遣場所はグアテマラである。中南米の文化については卒業論文の際にずいぶん文献を読んだものだ。記憶を頼りに中南米スペイン語圏の文化の特質について論じた後、文化多元主義の抱える課題を、カルフォルニアの公教育における英西二カ国語教育の現状を例に取りながら解説し、教育現場における多文化的なアプローチを、イデオロギーと切り離しつつ成立させる必要性について述べた。カルフォルニアのマルチリンガル教育についての現状と問題については、NEWSWEEKで記事を読んだことがあった。何が役に立つかわからないものだ。

 それが出題者の求めるものかどうかはわからなかった。準備もほとんどなしに受験した上に、募集人員は一名のみという狭い門だったのだ。募集条件は大卒(教育開発、教育社会学、教育経済学のいずれかを専攻)とあって、自分が該当するかどうかはちょっと微妙なものがあったのも確かである。

 結局、一次の結果は無事合格。
けれども結果はともかく、試験会場ではなんともいえない満足感を感じていた。僕は僕の中の自分が求めているものを、そのとき改めて知ったような気がしたのだ。自分自身の現状を許すことが困難であったのがここ数年のことだった。
あらためて自分の求める道が見えた感がある。

February 04, 2000

 現在、広尾にある海外青年協力隊の研修センターで、面接を終えたところ。今の時刻は3時前。でも解散は5時過ぎ。むっちゃ、たいくつ。

 広尾にあるここ、研修センターの3Fには体育設備もある講堂があり、2次選考受験者は朝から、中学校の体育館ほどもあるこの講堂に集められて、自分の順番を待つのだ。少なくとも200人ほどはいる。これが一週間以上も続くのだから、あらためて受験者の多さを実感している。
 会場では個人面接、技術面接、歯科検診、身体検査、採寸を行う。これらを終了して、ようやく解散となるのである。私の受験した「社会学」は応募者7人で、2次選考まで残ったのが3人、そのうち1人欠席だったので、結局2人だけである。したがって比較的早く選考が終わってしまった。それで暇を持て余している。どおりで暇つぶし用の書物の持参がわざわざ受験案内に書かれていたわけだ。
 しかしながら、すべての面接が終わるまでは、いつよびだされるかわからないため、書物に集中することはできないし、なによりも緊張しているので、正直それどころではなかった。隣の人と話そうにも、やはり呼び出しの声が気になるので、気が散って仕方がない。
 
 面接そのものはわりとうまくいったのではないかと思う。準備には時間と労力をかけた。図書館でグァテマラにかんする資料を調べ、まとめあげてから面接に挑んだ。今回の募集に関しては自分自身でも適任だと思っているし、経歴からもそれは知れるように思う。面接官自身もそのように考えてくれたのではないかと感じてもいる。それで今は奇妙な昂揚感につつまれている。一通り終わっても落ち着かないのはそのためかもしれない。
 解散まであと一時間少々。とりあえず今は禁煙したタバコが恋しい。

エスニック