エスニック

グァテマラ日記

アンティグアの日々

Jueves, 2 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:30 出発
 
 朝食後、アンティグアを出発。

Miércoles, 23 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜12:00) 口頭試験授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜18:00) お別れパーティ
 
 

Martes, 22 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 最終筆記試験
 18:00 夕食 cena
 

Lunes, 21 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 19:30 夕食 cena
 なぜだか、夕食の時間になってもドーラが帰ってこない。
 その上、新しい住人が増えている。いったいなにが起きたんだ?

 ドーラは腰の痛みがひどいので医者に行っていたそうだ。

Domingo, 20 de Agosto de 2000

 夢を見た。そこはフランスのデパートで、僕たちは研修の一環として、しばらくの間ここで勤務することになるらしい。それも警備員としてである。
 制服を着て、立体駐車場へと向かう。車の誘導について先輩警備員から指導を受ける。スパー・バイザーがその指導のやり方について、もっといい方法があるはずだと主張し始める。それに対して現場の古参警備員が反論する。
 なんでもいいから早く何をすればいいのか教えてほしい。まだフランス語も僕は満足に話せないのだ。
 僕の制服はブカブカだし、そのうえ色までほかの人とは違っている。どうも間違えてしまったらしい。
 なんで、このうえフランス語まで勉強せな、あかんのやと、関西弁で怒ったとたん、さすがに夢だと気づいて苦笑いとともに目が覚めた。

 あと3日で語学研修が終わり、首都へと向かう。
 
 朝はドイツ人経営の小さなカフェで、Chopinを食べる。Chopinというのはグァテマラの典型的な朝食メニューのこと。フリホーレス(塩あんこ)とトルティーヤ(とうもろこし餅)、それから目玉焼きと揚げバナナ。それにオレンジジュースとカフェがつく。
僕を知る人はたぶんみんな驚くと思うけれど、最近僕はバナナが食べれるのだ。といってもプラタノスという野菜に近いバナナで、これは調理しないと食べられない。これの揚げたやつは結構お気に入りなのだ。

 午前中、アルコ(時計台)の近くを歩いていたら、ばったりエベリンとその家族に出会う。こういう出会い方というのはいいなぁ。しばらく首都に滞在するから、そのときにみんなで遊ぶ約束をする。
昼食はメルカドの近くの定食屋でチレ・レイエノス定食を食べる。18Q。

 Nim Po'tでぼんやりしているときに旅行中の日本人夫婦と知り合いになる。
 このご夫婦としばらく話をするのだが、結構話が盛り上がり、夕食をご一緒することになった。

 店を出たところでみきりと高穂に会う。芋ずる式にずるずると他のみんなにも会う。他のみんなはなんだか語学学校の先生のうちに遊びに行くらしい。今日はなんだかいろんな人に会うなぁ。ついでにNim Po'tで働いていた日本人とも話をする。

 このNim Po'tという店は広い倉庫のような場所に各地域別の民族衣装を展示、販売しているお店で、売られている商品はほとんど中古品。つまり観光用に作られたものではなく、実際に生活の中で使われていたものばかり。なんだか博物館みたいで、結構お気に入り。
この店で働いていたというのは、マヤの村で密造酒についてフィールドワークをしていたという若い兄ちゃんで、この店のホームページ用の写真を撮影していたのだ。この仕事が終わったら、また村に戻るという。もう日本には帰らないで、この国に住み着くつもりだとのこと。ほんと、世の中にはいろんな人がいるよ。


 

Sábado, 19 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 
 12:30 昼食 almuerzo
 
 18:00 夕食 cena
 ドーラの呼ぶ声で、朝、目が覚めた。ここに来てから始めてのことだ。いつもはもっと以前に目を覚ますのだが、やはり疲れていたのだろうか。
 午前中から午後にかけてずっとパソコンに向かっていた。生産的なことはなにひとつしていない。昨日のプレゼンテーションが思うようにいかなかったことが、まだ尾を引いているのだ。誰の評価よりも僕自身が気に入らない。自分なりに勉強してきたつもりではあったのだが、同じ時期に勉強を始めた仲間よりもスペイン語が使えていないことが悔しいのだ。

 午後は散髪の後、中央公園の本屋の裏側にあるカフェで、ポコマムについての解説パンフレットを辞書を片手に読む。遠くでフィエスタでもあるのか、太鼓の音が聞こえる。

 家に帰る途中、本屋によってコルタサルの短編集を買ったのだが、その帰り。教会のそばを通りかかったときに、いきなり目の前に警察の車がとまった。何かと思うと数メートル先に人が倒れていたのだ。てんかんの発作でも起こしたようだった。近づいてくるフィエスタのパレードが歩みをとめ、マーチの音がふと途切れる。あつまってくる人々のざわめきと雑踏の隙間から、倒れた男の痙攣する足が見えた。

 夕食後、Bar Rainbowで昼間買ったコルタサルの短編集を辞書をひきながら読む。ゆっくりとはいえ、まさかコルタサルの原著を読める日が来るとは思わなかった。一文一文が僕にとっては珠玉の文章に思える。テキーラを塩とレモンで喉に流し込む。路地の錆びついた扉や、引き出しの中のウサギたち、渋滞の高速道路で生活する人々、アルコールにとけ込んだ様々なイメージが、黄金色のテキーラとともに脳裏へと流れ込んでいった。

 深夜、マサラでラーメンを食べながら宮本輝の『泥の河』を読んだ。終戦直後の大阪の風景が、日本にいるときよりも実感を伴って感じられる気がする。
 言葉とは不思議なものだ。関西弁で書かれた文章をよんで、久しぶりに関西弁を聞いた気になっていたが、店員の尋ねる声で我にかえった。
「¿Algo más?」
頭の中は日本語モードになっていたにも関わらず、自動的にスペイン語で返事を返していた。
「No nada más. Gracias.」
その声がなんだか、随分遠くに思えて、異国にいることの実感がじんわりと湧いてきた。

ポコマム:マヤ系の言語、あるいはその言語を母語とする民族集団
コルタサル:フリオ・コルタサル。アルゼンチンの作家。
マサラ:日本食レストラン。ラーメン一杯Q18($2)

Viernes, 18 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 午後はプレゼンテーション。昨日は二時間しか寝ていない。大丈夫か。
エすとい・ムエると・で・スえにょだよ。

Jueves, 18 de Agosto de 2000

07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 夜はフィエスタ。でも他のみんなは参加しない。明日プレゼンだもんな。仲良くなった黒人の女の子から遊びに行こうと誘われたけど、お勉強しなきゃならなかったんで、後ろ髪を引かれる思いで家に帰った。残念。

Miércoles, 16 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 なんとなく人恋しい一日だった。

Martes, 15 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜15:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 先生の都合で今日は少し早めに授業が終わった。体調があまりよくないので、助かった。どうも風邪をひいてしまったようだ。下宿のおばさんも友達もそろって風邪を引いているので、うつされたのかもしれない
 今日、あつしがおもしろいことに気づいた。赤道が近いので太陽が真上にあるのだ。日中は陰がほとんどなくなるくらいなのに、高地にあるため、かなり涼しい。そのせいで風邪をひいてしまったようなものだ.

今日はParticipio Pasadoを練習。

Lunes, 14 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena

 

Domingo, 13 de Agosto de 2000

 
 1:30頃 昼食 almuerzo
 
 20:00頃 夕食 cena
 9時過ぎに起きて、ホームページを作っていた。
 昼過ぎにマサラで鉄火丼定食(Q25)を食べた。一ヶ月ぶりの冷や奴やみそ汁がうれしい。鉄火丼もすごくおいしかった。たまにはマサラもいいもんだ。

 午後は本屋で立ち読み。ユニセフの子供向き読本を買う。Q22。平和教育のためのものだ。もちろんスペイン語。以前に友達から紛争解決のためのワークショップの話を聞いてから、このあたりのことにちょっと関心がある。
 ついでにオックスフォードの西英−英西辞書を購入。コンパクトサイズながら例文もしっかりついていてうれしい。スペイン語を母語とする学習者向けに作られているため、英語について解説コラムなどついていたりする。Q60。

 夜は天星酒家で豚肉とタマネギのカレー炒めChasu con CurryとワンタンスープSopa de Wantanを食べる。この店はほんとにおいしい。量もたっぷり。
 ウーロン茶をつけてQ31.5。おなか一杯食べてこの値段はうれしい。今日は食道楽な一日であった。
 

Sábado, 12 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 
 12:30 昼食 almuerzo
 
 18:00 夕食 cena
 今日は事務所に内緒でキャピタルへ。
 僕らは語学研修中は保安上の問題からアンティグア市外へは出られないのだ。
とはいうもののいずれは行かなければならないものであるのだし、このあたりの規定もよくわからない。今のうちに慣れておくつもりでバスでキャピタルへ行くことにした。
 ついでに先週会ったエベリンに連絡を取ってみた。はじめはあきちゃんと二人のつもりが、笹姉とあつしも加わって、4人で行くことになった。
 待ち合わせ場所のハイアットホテルにエベリンは車で来てくれていて、首都を案内してくれるという。いろいろ案内してくれたうえに帰りはアンティグアまで送ってくれた。なんて親切なんだろう。
 

Viernes, 11 de Agosto de 2000

 08:00 朝食 desayuno
      自由行動
 12:30 昼食 almuerzo
 16:00 解散
 18:00 夕食 cena
  夕方、エンラシス(インターネット・カフェ)にいたら、ミゲル達がいた。夕食後にワインで一杯やらないかと誘われたので夜の予定は決まり。
 夕食は樫浦君と長城酒家で。ビールGalloと中華麺Sopa Min, 中華丼Chasu con Curry con Arrozu、二人でQ80。中華丼は泣きたくなるくらいおいしかったけど、長城酒家はやっぱりちょっと高め。
夕食後、いったん部屋へ戻るとなんとなく出かけるのがめんどくさくなってしまったが、ミゲル達のホテルへ向かう。
 ワインはおいしくなかったけれど、ミゲル達と話すのは楽しい。でも彼らと話しているとだんだんスペイン語が怪しくなってくる。スペイン語と日本語、英語いりまじりだもんなぁ。
 月曜の早朝に国に帰るミゲルにパナハッチェルで買ったマヤ語の言語分布地図をプレゼント。でもミゲルの土産物の数々といったら尋常な量ではなかった。竹細工の葛籠や布など。手織の道具まで持っていた。自分でマヤおたくを自称するだけのことはある。(彼は日本語で自分のことを”おたく”と言ったのだ)

Jueves, 10 de Agosto de 2000

 06:30 集合
 09:00 出発
 10:00 パナハッチェル着
 10:30 ブランチ
 12:00 船でサンチャゴ・アティトランへ
 16:00 サンタカタリーナ・パロポで軽食
 20:00 夕食 cena
 今日は授業の一環でアティトラン湖へ旅行。詳しくは旅行記で。ただしスペイン語のみ。

Miércoles, 09 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 19:30 夕食 cena en Estrella
 月曜日、財布を忘れてミゲル達におごってもらったので、今日は僕持ちで天星酒家Estrellaで食事。ミゲルと僕とでマヤの話が盛り上がって、彼女をちょっとほったらかしで申し訳なかった。

Martes, 08 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 ちょっと今日は僕の集中力があまりない。
 高穂がJICAの資料のコピーをくれたので、夜はこれを読む。ついでに中央アメリカの民族学的調査論文に目を通す。
 両替$100=Q770
 

Lunes, 07 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena en Café Flor
今日はなんだか頭がよく働く。レベルが一段階あがった気分。
以前も聞いた『スペイン人が日本人に良く聞く100の質問』の付属CDを聞く。
こまかい意味はつかめないにせよ、結構単語は聞き取れることで安心した。
でも動詞活用の勉強は相変わらず苦手なので、後回し。
今週はCondicional(過去未来形)の学習。
夕食はアメリカ人のミゲルと一緒にCafé Florへ。
ミゲルの彼女の日本育ちの韓国系アメリカ人と一緒。ミゲルも大分県で一年間、英語を教えていたので3人の共通言語は日本語とスペイン語。
でもスペイン語で会話。盛り上がっておもしろかった。
 

Domingo, 06 de Agosto de 2000

 
 昼ご飯は長城酒家で。
 ビールとSopa Min Con Pollo
 夕方はあれ?誰と食べたっけ?
 

Sábado, 05 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno

 12:00 昼食 almuerzo
 
 18:00 夕食 cena
今日は一日下宿にいて、時々散歩に出かけるくらい。
のんびり。
夜はフィエスタ。
Calle Arcoのお祭りのようだった。
サカテペケスの民族舞踊がおもしろかった。
 

Viernes, 04 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
今日はあまり進まないで、世間話と文章の読解が中心。午前中はグァテマラの教育制度について説明してもらった。
一応ここまでで現在過去未来と一通りの動詞の活用を学習したことになる。

 以前、日本での訓練中にKTCに来ていたガテマルテカ、エベリンと皆で夕ご飯。彼女はJICAの研修で来日していたのだ。彼女の話は早口で聞き取りにくかったけれど、日本大好きという彼女はすごく感じが良くて、楽しい夕食だった。

Jueves, 03 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo(メルカドにて)
 14:1500(〜16:30) 映画鑑賞
 18:00 夕食 cena
昨日と打って替わって今日は不調。ぜんぜん頭が働かない。
昨日の夜はいろいろ単語を調べたりしたのだけれど、あまり頭に残っていない感じ。こんなので大丈夫かなぁ。

来週末のパナハッチェルへの旅行について話し合った後、午後には映画を見たのでなんだか今日は全然勉強していない感じがした。

映画はおもしろかったけれど、スペイン語なんてちっとも聞いていなくて、英語の字幕を追うのに必死だった。題名は『銃を持った男』。おそらくはメキシコ南部、チアパス高地あたりが舞台である。ゲリラと政府軍との激しい内乱があった地域だ。
 教え子達を結果的に戦地に送ってしまった初老の医師が、教え子の消息を訪ねてインディヘナの村落へ向かう話である。
 現地へ行ってみると教え子達はすべて死んでいた。ただ一人生き残った女性がいて、彼女は”天国に近い村”に住んでいるという。けれどもだれもその村を知らない。途中で出会った孤児と逃亡兵と信仰を捨てた元神父たちと道連れに、誰も知らない”天国に近い村”を探す。そんな話だった。
  

Miércoles, 02 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena

今日は頭がさえていて、スペイン語も良く頭に入る。
新聞記事を読む。ポーの「黒猫」をスペイン語で説明して、ほめられる。
ちょっとうれしい。
次は芥川龍之介の「蜘蛛の糸 Hilo de araña」に挑戦。

Futuro(未来形)

JUNKOの誕生日。Café Rainbowにみんな集まって、誕生日会。
 

Martes, 01 de Agosto de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
動詞の活用が全然だめ。不規則動詞の活用が整理できていなかった。
特にpedir, poder, perderがごちゃごちゃ。このままではまずい!
夜はCafé Rainbowで前任者の報告書(スペイン語)を翻訳。
ドーラは明日帰ってしまうそうだ。残念。
 

Lunes, 31 de Julio de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 昨日作ったパカヤ火山登攀記をマエストラに見せる。ちょっとほめられてうれしい。ニニェテの話がかなり聞き取れるようになっている。話すのは、まだとっさに活用が出てこないので、まだまだだけれども、ちょっといい感じ。
授業は会話が中心。コバンについて説明してもらう。
 今日は新しい下宿人が二人。ドーラとマリア・イザベル。ドーラはメキシコ人で、エコロジカルな開発について研究している博士課程の大学院生。旦那はフィンランド人のフォトグラファー。マリア・イザベルはちょっと宗教的なボランティアってとこかな?いまいちまだ良くわかんないのだけれど。
 

Domingo, 30 de Julio de 2000

 
 朝早くメモが国に帰った。やっぱり少し寂しいなぁ。
 また手紙でも書こうと思う。
 午前中から午後にかけて街をうろつく。
 本を買い込んで、ついでに帽子(98Q)も買ってしまった。
 朝食は屋台(5Q)ですましたけれど、昼ご飯はカフェ・フロール。タイ風焼きそばを食べる。おいしかった。この店は木屋っちに教えてもらった。お礼に近所のドイツ人経営の小さなカフェを教えてあげた。
 夕方から夜にかけては、部屋にこもってホームページの作成。昨日のパカヤ火山登攀を記録に残す。なんとスペイン語。ずいぶん時間がかかってしまった。

Sábado, 29 de Julio de 2000

 
 午前中はお買い物。ついにアディダスのトレッキング・シューズ(500Q)を買ってしまった。でもこの手の靴は必要だと思って、思い切って買ってしまった
 午後からパカヤ火山へ。詳しくはパカヤ火山登攀記参照のこと。
 夜は天星酒家で食べて、その後は下宿にかえって、メモと最後の夜を葉巻を吸いながら語り合う。
 

Viernes, 28 de Julio de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜12:30) 校外授業
 12:40 昼食 almuerzo
 14:30(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
午前中はサン・アントニオへ。布を買う。
午後はEl imperfect(線過去)を少し。
夕食時にメモと少し話したときに、パカヤに行くときはイノセンスをおいて行けと彼が言った。それで彼の目に僕がどのように映っているかがわかった。大抵いつもそうなのだけれども、ここでも僕はお人好し扱いのよう。ほんとは結構ひねているのだけれどね。
今日は現金の残高が残り少なくなったので、両替。$193×7.68=1,482.24Q

Jueves, 27 de Julio de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 夜はフィエスタ

Miércoles, 26 de Julio de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 今日も引き続き先生の午前中の様子はあまり良くない。

 スティーブンの調子も昨日あたりから良くないようだ。
 
 しかしながら僕個人としては淡々と日々がすぎていくような感じ。
自分の精神状態を一定に保つことが出来れば、周囲の人の感情の起伏が見えてくる。以前は雰囲気が良くないのを自分のせいにしていたりもしたのだ
今は完全に開き直っているな。

 昼ご飯は焼きそば。あれっ?なんで?
 実はこの国にも中華の影響で麺料理が若干入っているようだ。Chao Minと呼ばれている。

 考古学を学ぼうとしているアメリカ人。ミゲル。大分に一年にて、日本語が少し話せる。彼とは仲良くなれそう。興味が共通している。

 午後は先生の調子もかなり良くなる。よかった。

Martes, 25 de Julio de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 明け方の悪夢。
夢の中で僕は列車に乗ってどこかへ行こうとしていた。多分外国へ行くことになっているのだが、どうしても待ち合わせの場所にたどり着けないのだ。

 T.Nが着物を着て発表会をしている。僕はそれを見に行くのだが、明らかに迷惑そうな顔をされてしまう。僕は自分が好意を感じた女の子に嫌われるということに久しくなれていないので、かなり精神的につらく感じた。けれどもそれがなじみある感覚のような気もしていた。いまから思えば中学生の頃のことを思い出していたのだ。確かにあのころからすればなじみの感覚だった。
 あぁ。だから僕はあんなにも人に嫌われまいとしていたのか。

 それはともかく
 もちろんメモの件が尾を引いているのは明らかだった

先生も今日は明らかに調子が悪いようだ。一瞬、先生を交換しなかったのは失敗だったかと思う。
一種の心身症を抱えていて、時々薬を飲んでいるようでもある。僕の聞き違いか。でも多分そうだと思う。
なんというか、僕がかなり気に入るタイプの人間はたいてい精神をどこか病んでいる。僕はその方面に関しては異様に敏感なのだ。
しかしながら、先生の精神状態にまで気を遣いながら授業を受けるのは少しきつい。
(これは後でわかったことだけれど、彼女の症状は表現だけ聞いていると心身症のようであるが、中央アメリカでは割と一般的な症状で、なんというか当たり前とされていて、良く話題にもされるようなものであるらしい。社会的に認知されているという点では日本で言うところの肩こりとさしてかわらないものなのかもしれない。この点については興味深いところなので、もう少し詳しく調べてみたいと思う。)

しかしながら僕も年齢を重ねて来ただけあって、不思議と安定してもいるのだ。


昨日夜遅く、スティーブンたちとメモが遅くまで話していた。
スティーブンはいつも僕の味方に回ってくれる。
そのせいかメモは話しかけてくれるようになった
それで逆に僕はネモと完全に距離を置くことができるようになったのだ

夜はお祭り。いろいろ抱え込んだ状態でのお祭り。
けれども花火は確かに美しかった。

 

lunes, 24 de Julio de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 完全にメモは意地悪をしている

 けれども、なぜだろう。
理由をスペイン語であれこれ考えてみる。
日本語で考えても伝えられないからだ。
極力日本語を話したくなかった。

Domingo, 23 de Julio de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 メモがこの日に出発すると勘違いして、見送るために早起きをする
けれどもそれは勘違い。
朝ご飯はちょっと疲れた状態でカフェへ
でも店員が気にくわないのでもう二度と行かない。
午前中は十字架の丘に登る。
昼ご飯は雰囲気の悪いステーキハウス。もう二度と行かない。
もう一度食べ直し。
 豪華な食事。
カフェオペラで写真
 夜、メモと気まずくなる。
 スティーブンとの会話の内容から、おそらく彼は僕が嘘をついたと思っているらしい。早口の英語の会話なのでほとんど理解できなかったけれども。
 ちょっとまて、確かに僕のスペイン語はつたないけれど、うそはついていないぞ。
どうも、昨日、笹ねえが話したことと食い違っていたためらしい。えーと、それは見解の相違だと思うのだけれど。
 

Sábado, 22 de Julio de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 夕食後オペラ・カフェに。
 笹ねえとあつしがとおりかかる
これが問題。
夜は葉巻タイム。

 

Viernes, 21 de Julio de 2000

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 今日でとりあえず、第一週目は終了。やった。
 夕食の後、メモがやってきて「葉巻を吸わないか」という。それで、メモとスティーブンと一緒に屋上で葉巻を吸う。 葉巻をふかしながら、いろんなことを話した。英語とスペイン語のチャンポンで話の半分も理解できなかったと思うが、楽しかった。
 メモは元平和部隊で若い頃ジャマイカで5年間過ごしている。それだけでなく僕と同い年くらいの息子も平和部隊でホンジュラスにいる。それでいろいろ親切にしてくれるのかもしれない。自分の息子のようになにかと世話をやいてくれる。そのせいでクレスタにからかわれるくらい。ちなみに奥さんも元平和部隊でチリにいた人らしい。
 

Jueves, 20 de Julio

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) メルカドへ
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) サッカー大会
 18:00 夕食 cena
 あいかわらず、明け方に見る夢は昔のことばかり。
 僕はこれからグァテマラに行くところで、その直前まで授業をすることになっていたのに、すっぽかしてしまったのだ。僕はそのためにせっかく築き上げた塾での信頼関係を壊してしまった。壊れた人間関係をそのままに、僕はグァテマラへ行かねばならなかった。部屋には弟がいて、まだ中学生くらいの弟が、僕にいろいろ言うのだが、内容はなんだかわすれてしまった。けれども実際のところ、弟が家に残ることで僕は少し安心してもいたのだ。
 ほんとうは弟はすでに結婚して、とうに家を出ている。家にはもう若くはない両親が二人だけで暮らしている。目が覚めてから初めてそのことに気がついた。僕のなかでは弟はいつまでも子供のままでいるのだとあらためて気がついた。塾にしても、訓練所に入る一ヶ月前にはとうに退職していたはずなのだ。やり残したことはないはずなのに。
 僕はいつも生きいそいでいて、いろんなものをそのままにしてきてしまっているのだと、そのとき思った。多分、弟は弟ではなく、塾も何か別のものなのだ。それがなにかはわからないけれど、僕の中で処理しきれなかったいろんなものが澱のように心の奥に沈み込んでいて、どうかすると浮かび上がろうとしている。


 今日はあまり授業らしい授業はあまりなかった。午前中はマエストラとメルカド散策。市場へ来るとその国らしさが感じられて興味深い。イグアナやアルマジロなども仲良く並べられていた。あとで聞いたのだがイグアナの肉はおいしいという話だ。

 午後はサッカー大会。先生側2チーム、生徒側2チームに分かれての試合。最初の試合は若手の先生たちと生徒側の精鋭チーム。先生達もうまかったけれど、生徒側もまじでうまい。プロじゃないかと思えるような動きを見せて、とりあえず第1試合は生徒側の勝ち。
 僕が参加したのは第2試合で、こちらに出てきた先生チームはおじさんチームなんだけれど、気合いの入り方が尋常ではなかった。そろいのユニフォームで見事なコンビネーション・プレイを披露するのだ。「ちょっとまてよ、そんなの聞いてないよ」という間もなく、次々と点数を入れられてしまった。生徒側といえば、かろうじて僕の入れた1ゴールのみ。とりあえず、完封されなくて良かった。

 夜の食卓。メモが同宿のみんな、特にカナダ人の女の子にちょっと説教。英語を話しすぎる、ここはスペインだし英語を理解できない人間もいるのだと。ちなみに英語を話せないというのは僕のことである。うー。
 クレスタは反論する。来てまだ日が浅いのにスペイン語は話せないという。それでもメモはスペイン語を話すべきだと主張する。この辺がアメリカ人だね。
 メモはいう。トオルも来て日が浅い、スペイン語しか理解できないが、それでもなんとかやっていると。すいません。仲間内で結構日本語を話しているんです。それで僕もちょっと反省して、できるだけ日本語を話さないことにした。
 

Miércoles, 19 de Julio

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 今日も山のような動詞の活用。ただ一応これで基本動詞はほぼ終了のようだ。これまで僕が思うように話せなかったのは、動詞の活用を覚えきれていないからだということが、よくわかった。
 夕方は同宿のみんなとお買い物。
 

Martes, 18 de Julio

 07:00 朝食 desayuno
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食 almuerzo
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食 cena
 午前中はひたすら動詞の活用。午後はもう一組と一緒に会話の練習。さすがに最後の方はぐったり。

lunes, 17 de Julio

 07:00 朝食
 08:00(〜10:00) 授業
 10:30(〜12:00) 授業
 12:30 昼食
 14:00(〜16:30) 授業
 18:00 夕食
 月曜日は学校から帰ってすぐに寝てしまったので、実際にこの日記を書いているのは火曜日の早朝。時間がないので手短に。

 どうも眠りが浅くて、夢ばかり見る。ジェット・ラグが残っているのか、高地で空気が薄いせいかのかはわからないけれど。それも協力隊に受かる以前の日々の夢ばかり見る。将来が見えず、しんどかった日々の夢である。夜中に何度も目が覚めるのだか、自分が異国の地にいることがしばらくは実感としてつかめなかった。

 語学学校はいい感じ。先生は年輩の女性の先生だけれども、やさしくて丁寧に教えてくれる。6週間の間2週間ごとに先生は替わるのだが、この先生ならば替わらないほうがいいかもしれない。

 数日前から新しくアメリカ人の父娘が同じ下宿に滞在している。スティーブンとハンナ。ニューメキシコから来たというふたりは、ともに随分大柄で、典型的な南部のアメリカ人といったところ。なんとなくコミカルで親しみが持てる。

Domingo, 16 de Julio

 07:00 朝食
 11:00 待ち合わせ
 12:00 日本料理店よしの
 18:00 北京酒家
 食事と食事の間はほとんど寝ていた。したがって食事の記憶しかないのだ。こまったものである。
 日本食と中華で、今日は少し贅沢だったかも

Sábado, 15 de Julio

 07:00 朝食
 12:00 昼食
 午後 買い物と市内観光
 
 午前中は部屋でスペイン語の復習。土曜日と日曜日は学校も休み。

 11:00に中央広場で語学学校グループのみんなで待ち合わせて昼食。中央公園のすぐ北にあるラ・フォンダ・デ・ラ・カジェ・レアルでチレ・レイエノスを食べた。ここはおいしい。ちょっと高いけれど、おすすめ。チレ・レイエノスというのはガテマラ料理の一つで、挽肉や刻んだ野菜をピーマンに詰め、泡立てた卵で包んで揚げたもの。見た目はコロッケとオムレツの中間といったところ。

 午後はスーペル・メルカドで日用品を買った後、市内廃墟観光。市の北西のはずれにある廃墟、ラ・レコレクシオン教会でのんびり。10Qはちょっと高いけれどブーゲンビリアの花が咲き乱れて、ちょっといい感じだった。ただ、いたるところで地元の人のカップルがいちゃついているので、ときどき気まずい思いをする。

 廃墟となった教会にはいくつかの小部屋があって、その小部屋ごとにアベックが抱き合ったりしている。順番に覗いていくと、最後の部屋ではマッチョな男が全身に油を塗ってポーズを取っていたのには笑ってしまった。ちょうど、その日はミスター・コンテストが開かれていたのだ。男はその参加者だったわけだが、なんだか落ちまでついたようで、妙におかしかった。この国ではいたるところでミス・コンテストが開かれているのだが、ミスター・コンテストまであるのには参った。男は男らしく、女は女らしくがこの国に限らずラテンアメリカの価値観なのだ
 
 夕食の後、同じ下宿のアメリカ人経済学者とカナダ人の女の子と市内散策。経済学者の本名を初めて知った。でもメモと呼ばれているので僕もそう呼ぶことにする。カナダ人の女の子は、これがまたきれいな子で、まだ来たばかりでスペイン語が話せないのが残念。僕が英語で話せばいいのかもしれないけれど、スペイン語を話していると、もう英語は話せなくなってしまう。脳のメモリーに上書きされてしまったのだ。しかもネイティブのスピードでは聞き取ることも困難。なおかつ、メモに英語を禁じられているので仕方がない。なかなか意志の疎通は困難。前途多難!?

 部屋に戻ってうたた寝していると、メモが短波ラジオを持ってきてくれた。昨日の夕食後の話で、短波ラジオが海外で暮らすための必需品だと彼は自分の経験から語ってくれたが、わざわざ僕のために持ってきてくれたのだ。まだグァテマラに来て日も浅いので、日本語の放送を聞いてもさほどの感慨はわかないが、メモの親切がなによりうれしかった。
 

Viernes, 14 de Julio 

 07:00 朝食
 08:00 語学試験(口頭および筆記試験)
 12:00 昼休み
 14:00 授業開始
 17:00 授業終了
 18:00 夕食
 今日は朝からテストだというのに、昨日に引き続き体調が悪い。それとも逆かな。テストがある日には昔から、僕は風邪をひくことになっているのだ。
 しかも昨日はフィエスタがあったためとはいえ、下宿先で夕食を食べていない。時間までに帰ってきていなければ自動的にキャンセルという取り決めであるにせよ、どうもきまりが悪い。とにかく顔を合わせた瞬間にあやまることにした。

 つたないなりにしっかりと理由をのべてあやまると、心なしか自分と自分をとりまく世界の薄い膜が破れた気がした。理由を聞いてドーラは「夕食を食べないことについてはあなたの自由だし、問題はない。しかしながら、夜遅くに一人で歩くのは感心しない。危険だから今後はやめるように」と言った。その様子からなんとなくドーラの人となりが見えた気がした。基本的にまじめな人なのだ。それが最初の取っつきのわるさと思えたのだろう。単純なものでそれで僕のなかのわだかまりも消えた。わりとなじみのタイプである。なかよくやっていけそうだ。同じテーブルを囲む人々の表情もこころなしかなごんだような気がした。みんなも僕がどんな人間かわからず、困惑していたのかもしれない。

 今朝は遠くまで見渡せる。僕の下宿は北にあるので、南にある語学学校に向かうには街の南にそびえるアグア火山に向かって歩くことになる。富士山と同じコニーデ型火山の美しい姿が目の前に広がる。その麓に広がる家々は赤だの黄色だのに彩られて、石畳の街路の左右に並んでいる。そんな植民地様式の美しい街路を歩いて僕は学校に向かう。
 
 体調は悪いが気分は悪くない。口頭試験は結構和やかにすすむ。所長や先生方の考え方や性格はどうも自分と合っているなと感じる。
 しかしながらさすがに筆記試験は難しく、集中力も途中で切れた。半分以上白紙である。途中であきらめて退出。6週間ではたしてどれだけできるようになるのかなぁ。

 昼は下宿で食べるのが基本。米のスープがおいしくてお代わりしたけれど、どうも胃の具合は良くない。なれない食べ物はいくらおいしくても控えめにするべきだったな。

 午後は先生と生徒を交えてそれぞれの国の紹介。そのあとはグァテマラとアンティグアの紹介ビデオ鑑賞。ほんとにきれいな街だ。でも熱のせいか暗闇のせいか時々寝てしまったようだった。

 授業終了後、インターネット・カフェに立ち寄る。30分で6ケツアル。そんなもんか。中央広場の一つ西の通りにあるENLACESが日本語を使えるパソコンが多いので、おすすめ。LAN接続が出来れば。自分のパソコンを持ち込んでネットにつなげることもできる。

 夕食後、同じ下宿にいる年輩の謎の西洋人と話す。下宿先の家族なのかたんなる寄宿人なのかはじめは判別出来なかった。
平和部隊でジャマイカに5年間滞在経験のある経済学者。
髭のよく似合う魅力的な人物で、年老いたジャン・レノといった感じ。

Jueves,13 de Julio

 08:30 アンティグアへの移動日。
 09:00 ホテル発
 10:00 アンティグア着、語学研修オリエンテーション
 12:00 下宿先の家族宅で昼食
 14:00 アンティグア市内ツアー
 16:00 歓迎会(語学学校主催)
 17:00 フィエスタ
 いよいよアンティグアへの移動。6週間にわたる現地語学研修の開始である。5人づつ三つの語学学校に分かれることになる。
 僕らの学校はP.L.F.M.(Proyecto Linguistico "Francisco Marroquin")。
 あきちゃん、たかほ、笹姉、あつしと僕の5人。

 朝方、隊員連絡所へアンティグアに持っていかない荷物を運びこんだ後、それぞれの語学学校の車に分乗してアンティグアへ向かう。
 車ではしりだすと、ようやく外国に来た実感が湧いてきた。開放感とともにこれからいよいよ新しい生活が始まるのだという期待で胸がふくらむ。
 車でグァテマラ・シティから遠ざかっていくと、この都市がいかに高地に築かれたものかがよくわかる。雲が低いのだ。窓を開けると高地特有の乾いた風が感じられて、気持ちがいい。高速道路の道ばたで牛が草を喰んでいるのが、なんだかおかしかった。

 アンティグアは小さな美しい街である。
 かつて植民地時代に総督府が置かれていたこの街は、旧市街という意味でシウダード・デ・グァテマラ・アンティグア、略して単に古いという意味のアンティグアと呼ばれている。度重なる火山の噴火と地震のため、18世紀に首都機能が現在のグァテマラ・シティ(シウダード・デ・グァテマラ)に移されて、今日に至る。いまでも街のそこかしこに、地震で壊れたままの教会が残され、ブーゲンビリアの花の咲き乱れる廃墟として市民の憩いの場所になっている。

 10:00 アンティグア着、語学研修オリエンテーション
 12:00 下宿先の家族宅で昼食
 14:00 アンティグア市内ツアー
 16:00 歓迎会(語学学校主催)
 17:00 フィエスタ

 いまのところ、気がかりは一つだけ
僕の下宿先は他の下宿に比べてあまりに簡素すぎる上、おばさんはどうも取っつきが悪く思われた。ルールをはっきりさせるのは良いのだが、どことなくビジネスライクに思える。下宿に戻るのはちょっと気が重い。

フィエスタでは踊りまくった。
小太りのお姉さんが、ひとたび踊り出すと全身からラテンの香りが匂い立つようだった。
何かのマジックにでもかかったように、僕も踊り続けて夜は更けていった。

Miércoles, 12 de Julio

 09:00 グァテマラ着
 09:15 JICA事務所オリエンテーション
 12:00 午後は自由
 
 午前中はJICA/JOCV事務所のオリエンテーション。

 うまく言えないがJOCV関係者の一部には独特の悪癖があるような気がする。説明をめんどくさがっているような感じを受けるのだ。おそらくはJOCV特有の体験主義と、きめ細かなオリエンテーションの設定が相容れないためだろう。トラブルを避けるためには事前の研修が必要なのだが、それが体験を重視する立場からは過保護にも映る。研修を受ける側にもそれがあるために、よけいにたちが悪い。要は必要な情報だけを、的確な時にわかりやすく伝えてくれれば問題はないのだけれどね。

 オリエンテーションの後、わざわざ引継のために来てくれた前任者と一緒に昼食をとる。知らない人には奇妙に思えることだろうけれど、仮に前職がいても、協力隊では基本的に引継はない。
 これはJOCVが基本的に派遣先からの要請という形態をとっていることと関係している。協力隊の矛盾はいくつかあるが、そのひとつがここにある。要請があるとはいえ、大抵は、はじめからポストが存在しているわけではない。多くの場合自分で仕事を見つけだしていくのだ。したがって、その仕事は自分の存在意義とも重なる。また実際にもその仕事がうまくいっているのなら余計に、その人しかできない仕事である場合が多いのだ。その仕事を引き継ぐというのは容易ではないうえに、もしかするとそれほど意味がないかもしれない。
 調整員がおそれるのは、この点に由来する。まだ語学訓練も終わっていない段階で、やるべき仕事の姿にストレスを感じ、精神的に不安定になってしまうことを避けたいというのだ。しかしながら僕個人の考えとしては、自分と自分に関わる情報は自分の手に握っておくべきだ。それがたとえ悪い結果をもたらすとしても、世界と関わるというのはそういうことだろう。
 とはいうものの僕もまた前任者の話を聞いて、多少不安になってしまった。大丈夫かなぁ。とりあえず、語学をがんばることにした。

午後は買い物。
夜はピザ。

Marts, 11 de Julio

 06:55 グァテマラ着
 08:30 ホテル着
 14:00 ホテル発
 14:00 所長挨拶
 15:15 事務所発
 16:00 日本大使館表敬
 無事グァテマラに着く。ホテルに着くなり爆睡。所長や大使への挨拶には起き抜けの顔で行く羽目になってしまった。
 我々の滞在するホテルは大使館やJICA事務所から歩いて行ける場所にあり、首都の中でも高級デパートや高級住宅が建ち並ぶ地域にある。ホテルそのものは小さいし、さほど新しくもないけれど、立地条件は非常に良い。
 それでも、治安についてはさんざん驚かされたせいで、ホテルの外を歩くにも初めのうちはびくびくものだった。
 

Lunes, 10 de Julio

 日本発

エスニック