2001年12月01日 土曜日
進路カウンセラー来グ。帰国後の就職についての講義を受講。 11年度2次隊帰国送迎会。首都の中華料理店で開催。 |
2001年12月02日 日曜日
教育分科会。 今回は4人のみの参加。分科会としての活動が停滞している感がある。 来年度以降は各隊員の働く事務所を視察しながら分科会の会合を持つことを確認。 |
2001年12月03日 月曜日
首都午前4時発のバスでコバンに戻る。 以前発注したメールボックスの完成予定日がこの日だった。車の手配もすませていたにもかかわらず、まだ完成していないとのこと。ちなみに発注したのは9月の事で、材料購入のための半金も納入済みである。 |
2001年12月04日 火曜日
雨が降り続く。 首都で小切手を換金しそこなったので、手持ちの現金が少ない。買い置きの材料でなんとか料理をして、食いつなぐ。 |
2001年12月05日 水曜日
今日も雨。 貧乏生活。 |
2001年12月06日 木曜日
小切手の換金と書類提出のため首都へ行く。 11年度2次隊帰国。総勢25人が一度にいなくなったため、隊員連絡所も火の消えたような寂しさだ。 |
2001年12月07日 金曜日
フェアトレード分科会スタディツアーその1 詳細はフェアトレード分科会HPへ |
2001年12月08日 土曜日
フェアトレード分科会スタディツアーその2 現地女性グループの活動視察および工房訪問。 訪れた僕たちだけでなく、コーディネイトを請け負ってくれた「メリノールの会」や現地女性グループにとっても有意義な時間が過ごせたと思う。 関係各位に感謝。 |
2001年12月09日 日曜日
サン・ファン・アティタン 楽しかった。男性用の民族衣装を買って、そのまま着てウェウェテナンゴまで帰った。なかなかいい気分。 詳しくは紀行文参照。 |
2001年12月10日 月曜日
午前中シェラ旧市街散策。その後首都へ。 夕刻隊員連絡所についたらカードキーが壊れていたため、入れず。とりあえずJICA事務所と連絡を取り、職員宅に泊めてもらう。親切にはしてもらったが、組織としての対応に若干疑問を感じた。 |
2001年12月11日 火曜日
予定では早朝にコバンに帰る予定が大幅にずれ、結局コバンについたのは午後も遅くなってからだった。 晩ご飯はお好み焼き。なかなかおいしかった。おたふくソースが欲しい。長い間お好み焼きというメニューがあることを忘れていた。一人暮らしでご飯を炊くのがめんどくさいときには楽でいいや。 |
2001年12月12日 水曜日
教育事務所。 なんだか熱っぽい。風邪をひいたようだ。 コバンは湿っぽいのに、首都から中西部高原は完全に乾季。というよりコバン以外はこの時期どこも乾季。乾燥した空気に喉がやられたみたい。 午前中、以前発注したメールボックスの製作状況を確認に行く。今日までに完成していなければならないはずが、ようやくほぼ半分の行程を終えたところ。来週月曜日までには完成してもらうことを確約するが、不安は残る。 午後はスタディツアーの記録等をまとめる。書類整理。 夜、寝る直前になってトイレの便座にシロアリが大量に住み着いていることを発見。塗装をはがして殺虫剤を噴霧。便座が穴だらけになった。うーん、これに座るのかぁ。 昼ご飯はインスタントラーメン。夜は焼き肉。肉がちょっと堅い。 |
2001年12月13日 木曜日
教育事務所へ。来年度発行の教育事務所通信の原稿依頼。来年度分の発行準備。 朝ご飯の準備にかかる時間を短縮するために、昨日シリアルを買ったらちょっと甘過ぎた。蜂蜜入りだった。ちょっと手間が掛かるけど、パンと珈琲と目玉焼きの朝食の方がいい。困ったな。残りはどうしようか。 昼ご飯はチャーハンとインスタントラーメン。晩ご飯はペペロンチーノの予定。 |
2001年12月14日 金曜日
昨日の話。仕事が終わりかけた頃、土木技師のSさんが事務所にやってきたので、そのまま僕の部屋に行き、しばらく雑談。彼が帰った頃、今度は職業訓練学校で働くHくんが七面鳥の燻製の手みやげをもって遊びに来てくれた。彼の職種は食品加工。時々こんな風に仕事で作った加工食品を持ってきてくれる。感謝。 七面鳥の燻製はすごくおいしい。コバンの名物は七面鳥のチリスープだが、七面鳥の肉は燻製にするのが一番うまいと思う。 |
2001年12月15日 土曜日
2001年12月16日 日曜日
2001年12月17日 月曜日
2001年12月18日 火曜日
2001年12月19日 水曜日
2001年12月20日 木曜日
2001年12月21日 金曜日
この日で年内は仕事納め。 |
2001年12月22日 土曜日
コバン−サヤシチェ 朝7時発ラシュア行きのバスで出発。10時頃ラシュア着。バスを乗り継いで、午後1時過ぎにはサヤシチェに着いた。行こうと思えばフローレスまで一日で行くこともできる。思っていたより随分早いし、快適。費用も安い。(コバン−ラシュアQ20、ラシュア−サヤシチェQ20) 以前は非常に時間がかかると聞いたが、舗装がかなり進み、去年と比べても格段に道路事情が改善されている。 コバンからペテンに向かうこのルートが開拓されれば、観光客はコバン経由で世界的に有名なマヤ遺跡ティカルを訪れることが可能となり、コバンの観光基地としての価値が高まることになる。JICAの観光調査団もコバンを対象地の一つに選んでいることもあり、将来的にはコバンの観光開発はかなり進むことが予想される。 船でセイバル遺跡へ。片道一時間半。遺跡そのものはたいしたことはないが、ジャングルクルーズを楽しめる。後で聞いた話だが、ワニもいるとのこと。 帰りは遅くなってしまい、戻ったときには日が暮れてしまっていたが、夕闇迫る中のクルーズはとても美しかった。 ホテル「ポサーダ・セグラ(安全亭)」泊。 こぎれいでなかなか良いホテルだった。 |
2001年12月23日 日曜日
フローレス サンタ・エレーナには午後1時過ぎには着いた。フローレスはここから歩いて向かう。 観光都市であるフローレスは、イッツァ湖の中にある小島そのものが町になっている。15分も歩けば一周出来てしまうほどの小さな町である。サンタ・エレーナとは一本の長い陸橋でつながっている。したがって厳密に言えば湖に張り出した半島だと言うことも出来る。 ホテル「ミラドール・デル・ラゴ(湖の展望台)」に泊まる。名前にふさわしく、湖を見渡す眺めが美しい。 |
2001年12月24日 月曜日
アルカス 同期の獣医隊員S姉の働く環境保護団体を訪れる。 密猟の摘発によって押収された希少動物を保護し、野生へ戻す活動が中心。一週間単位のボランティア達が多く働いている。 |
2001年12月25日 火曜日
ティカル遺跡 午前中はティカル遺跡を敦史と一緒に散策。 フローレスにはツアー会社がいくつかあり、各地のマヤ遺跡探訪ツアーを請け負っている。ツアーといっても往復の交通手段を提供してくれるだけで、それだけに値段もさほど高くはない。ティカル遺跡まで往復でQ40($5)。 僕らが申し込んだのは最大手のサン・ファン・トラベル社。ホテルのフロントで申し込むことができる。出発時間は5時から9時までほぼ一時間おきに出ている便を申し込めばホテルまで迎えに来てもらえる。帰りの便は同様に12:30、14:00、15:00、16:00、17:00の内、好きな便に乗ることができる。 深夜発首都行きの夜行バスに乗る。 |
2001年12月26日 水曜日
首都経由でケツアルテナンゴへ。一日中バスに乗っていた感じ。 樫浦宅泊 |
2001年12月27日 木曜日
樫浦宅泊 |
2001年12月28日 金曜日
ウェウェテナンゴ 午前中ICTA見学、午後はウェウェテナンゴ県へ。 以前サン・ファン・アティタンを訪れた際に通過したが、町中に立ち寄るのは始めて。 メルカド(市場)でトドス・サントス・クチュマタンの男性用民族衣装とサン・ファン・アティタンのウィピルを購入。 |
2001年12月29日 土曜日
当初の予定ではサンタ・マリア火山に登る予定だったが、一緒に登る予定だった隊員が、数日前にグァテマラ最高峰タフムルコ火山に登り、足を痛めたため取りやめ。僕もこたつから出る気がしなかったので、これ幸いとのんびりしていた。 午前中はシェラに出来た巨大スーパー、イーペルパイスでウィンドウショッピング。 午後3時のバスで首都へ向かう。 |
2001年12月30日 日曜日
夕ご飯は絵美ちゃんやゆかりさんの作ったホワイトシチューを食べた。 SEDE泊。 |
2001年12月31日 月曜日
コバンに帰る。 |