グレゴリー・ベイトソンの年譜(『精神の生態学』巻末より再録)
biography

- 19045月9日、遺伝学者ウィリアム・ベイトソンの三男として、英国グランチェスターに生まれる。祖父はケンブリッジのセント・ジョンズ・コレッジ学長をつとめたウィリアム・ヘンリー・ベイトソン。
- 1922ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・コレッジ入学
- 1925学士号取得(自然科学)
- 1926父との連携で、鳥の羽のパターンの対称性を扱った処女論文を出版
- 1927人類学専攻を。ニューブリテン島とニューギニア島でフィールドワーク(〜1929)
- 1930修士号取得(人類学)
- 1931セント・ジョンズ・コレッジ名誉研究員(〜1937)
ニューギニアでフィールドワーク(〜1933)
- 1935米国コロンビア大学ならびにシカゴ大学で講演
- 1936マーガレット・ミードと結婚
『ナヴェン』刊。集団間相互作用の関係のダイナミックス論を展開
バリでフィールドワーク(〜1938)最初の2ヶ月はトランスと舞踊の映画撮影に没頭
- 1938ニューギニアでフィールドワーク(〜1939)
- 193925,000枚のスティール写真と22,000フィートの16oフィルムを携えて米国へ
マーガレット、メアリー・キャサリンを出産
- 1941ニューヨーク市近代美術館で映画分析
- 1942合衆国政府戦略構想局(O.S.S.)の派遣により、セイロン、インド、ビルマ、中華民国へ。”心理作戦員”として日本軍宣伝放送の攪乱を図るなどする(〜1945)
ミードとの共著『バリ島文化の性格』刊
このころから、フィードバック機構を探る学際的交流活発化。ウィナー、フォン・ノイマン、マカラックらと出会う。
- 1946ハーバード大学客員講師(〜1947)。一年で契約をうち切られる
第1回メイシー学会「生物と社会のシステムにおけるフィードバック機構と因果循環システム」(以後定期的に開催)
- 1947グッゲンハイム財団奨励研究員
- 1948共同研究員として、カリフォルニア大学医学部、ジャーゲン・ルーシュ博士の研究室に勤務。自らセラピーに関わる。(〜1949)
- 1949「民族学者」の肩書きで、カリフォルニア州パロアルトの退役軍人局病院に勤務。
人類学と精神医学とサイバネティックスの境界領域を探求するかたわら、医学実習生に講義
- 1950マーガレットと離婚。
- 1951ルーシュとの共著、『コミュニケーション』刊。
スタンフォード大学人類学科客員教授 秘書ベティ・サムナーと再婚。初子(ジョン)以外は乳児期に死亡(1958離婚)
- 1952ロックフエラー財団助成研究プロジェクト「コミュニケーションにおける抽象化のパラドックスの役割主幹」(〜1954)。
自然界における論理階型の問題の理論化にとりくむ.
- 1954メイシー財団助成研究プロジェクト「分裂症的コミュニケーション」主幹(〜1959.
- 1956同プロジェクト・チーム連名で、”ダブルバインド″の仮説を発表
アメリカ合衆国に帰化
- 1959精神医学研究基金による「家族療法研究主任研究員(〜1962).
- 1960全米学術基金にタコのコミュニケーションの研究既成金を申請し,却下される.
サンフランシスコのカリフォルニア美術学校非常勤講師
- 1961分裂症の研究こ対し,フリーダ・フロム=ライヒマン賞授与
ロイス・キャマックと結婚。自宅でタコの飼育観察を続ける.
- 1963準ディレクターの資格でヴァージン諸島にあるジョン・リリーのコミュニケーション研究所に赴任(〜1964).イルカの研究を進める.
- 1964国立精神衛生研究所(N.I.M.H)から研究奨励賞。学習の階型理論を整理
- 1965ハワイ州ワイマナロのオーシャニック研究所準ディレクター(〜1972).
- 1968ヴェナー=グレン学術会議 「目的意識が人間の適応に及ぼす作用」議長
- 1969N.I.M.H.の研究奨励金が打ち切られる。ハワイ大学イースト・ウェスト・センターのプロジェクトに参与し,同大学で生きたシステム」と題するセミナーを持つ.
- 1970このころ,生涯の思索がEcology of Mindとして体系化されてくる.
- 1972カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校客員教授(〜1980)
『精神の生態学』刊.若者文化の中に「賢者べイトソン」のイメージが浸透し始める.
- 1974「精神の生態学」と題したクラスを開講。テーマは人間文化、動物行動、植物形態に見られる認識論的前提
- 1975スタンフォード大学人類学科非常勤客員教授
- 1976カリフォルニア大学評議員に任命される.
- 1979『精神と自然』刊.く精神>のプロセスとしての生物進化の考えを展開する。
美と聖と意識の関係の理論化を進める。(その原稿は娘メアリー・キャサリンの加筆・編集によって1987年,Abgels
Fearの題で刊行された.)
- 19807月4日, サンフランシシコ禅センターにて没
