ベイトソンってどんな人?
about Bateson

ちょっと堅めのプロフィール(未完成)

ベイトソンについての評価は多岐にわたる。こんにち最も多くその名を聞くのは精神療法の分野であろう。彼は分裂病をコミュニケーションの障害として捉え、ある種のコミュニケーションの状態に長く置かれた人間が、分裂病に似た行動をとることを観察した。彼はその状態を位相の異なる矛盾したメッセージを同時に受け取っているためと考え、これをダブルバインドと名づけた。
この概念は広く人口に膾炙し、今日、精神療法を学ぶものにとっては必ず耳にする概念となっている。R.D.レインや家族療法などに大きな影響を与え、理論的基盤を与えたことでも知られている。

彼はこの概念をバリ島における一連の研究から導き出している。彼のこの研究は従来とは異なった手法を取った。映像を中心とした手法がそれである。彼は膨大な量の映像記録の中から母親の子供に対するアプローチに注目し、その母子関係の中にダブルバインドを回避する知恵を見出した。バリの子供たちは幼少期から母親との間に"からかい"などをつうじた擬似ダブルバインド環境下に置かれる。結果的にダブルバインドに対する耐性が形成されるというのである。


個人的な所感

神なき時代の形而上学


1960年代からこのかた、数多くのいわゆるオルタナティブな思想が現れてきた。
僕の本棚に並んだそれらの思想家や作家の著作の数々。
カート・ヴォネガット、リチャード・ブローティガン、リチャード・バック、ヘルマンヘッセ、ミヒャエル・エンデ、マルクーゼ、ノーマン・ブラウン、R・D・レイン、鈴木大拙、カルロス・カスタネダ、そしてベイトソン。
ご多分にもれず僕も20代には、ニューエイジ・ムーブメントに属する世代が好む一連の著作を読みふけった。あるいは少し遅れてこれらの世界に足を踏み入れたくちかもしれない。たいていの主要読者層は僕よりも若干上の世代だった。

 これらの思想によって時代が変わっていくというよりは、これらの著作が自然なものに感じられる方向に時代が変わっていくだろうという実感。それは同時に自分と周囲の世界の目指すべき方向でもあった。
カルト的なものへの指向は、すくなくとも世界を悪い方には導かないだろうとの素朴な認識は、しかしながら、1995年に大きく変更を迫られることになった。オウム真理教へ走った多くの若者に共通の心性に、これらの思想に惹かれる部分と似たものを見いだすことはさほど難しくない。ニューエイジ・ムーブメントとカルト宗教との境目はそれほど明瞭ではないのだ。
ニューエイジ・ムーブメントにおける、これらの「古代と東洋とインディオとイルカと魔術と宇宙の彼方への濃厚な誘い」(佐藤良明)と現実世界との接点というのはさほど多くない。カルト宗教はその接点でもあったのだろうけれど、今では多くの浮動票は離れている感がある。みんなどこにいったんだろう。市民運動や民間医療?今日その回路はインターネットの世界へと流れ込んでいるのかもしれない。どんな思想も存在できる世界だしね。

いずれにせよ、ここらでもういちど立ち止まって考える必要がある。それはなにかというと、成長する、学習するということがそもそもどのようなことを指しているかについてである。ニューエイジ・ムーブメントの根底にあったものは、疎外された世界にもう一度参加しようとする試みである。それは単に共同体への一体感を求めるだけでなく、それをのりこえる方向性もあったはずだ。
もっと抽象的なレベルで学習するということの意味を考えなければならない。ベイトソンの思想にはそれが含まれている。それが今もなお僕を惹きつけるのだ。  (Satopon)

主な業績

経歴


重要な概念

影響

今日における意義

人となり