我が心の 谷内六郎
先日、銀座の松屋で開催中の「
谷内六郎の世界展 」 へバイクで行ってきた。
ところで、とっくに亡くなってる 私の父は 田舎で
「白鳥社」 という洒落た写真館を営んでいて
趣味はクラシックレコード と オートバイ乗り。 あの当時としては結構
ハイカラ だった気がする。
その父が毎週愛読していたのが 谷内六郎 の表紙で知られる
「週刊新潮」 であった。
幼い頃から 我が家のちゃぶ台の下 や
アンサンブルステレオの収納庫 などに
読み古された 「週刊新潮」 があって、なんとなく谷内六郎の絵の世界に親しんでいた。
私は この子供の夢想みたいな絵は 小太りでほのぼのとした人が
描いているんだろうなぁー などと勝手に作者像をつくり上げていた。
そんな事など すっかり忘れてしまって 時は流れてゆき・・・・・。
そして、最近になって あるテレビ番組の谷内六郎特集を見て 初めて
この人の実像を知る。
衝撃だったのは 私が勝手に思ってた福よかなイメージの人とはまるで違っていることだった。
幼少の頃から 持病のぜんそくで生死の堺を生きてきた人だった。
その事を知ると あらためて作品の中に 夜の限りない深さ、小さな生き物への暖かいまなざし、
知らない世界へ紛れこんだ不安、 そんな事を題材にしたものが多いのにも納得した。
それは 59歳で逝くまでの25年間も、毎週々々描き続けられていった。
その 「 谷内六郎の世界展 / 忘れ得ぬこころの風景
」
感動というより やはりどうしようもない郷愁に さそわれてしまって
思ってたより充実した内容と出品数に 1時間30分の間 タイムマシンにゆられてる気分だった。