懐かしい M O N O 戻る

                              
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●  三共のピ−ナッツシリーズ
  正に プラモのれいめい期と言うにふさわ
   しい この恐ろしい程の不精密さ。   
   しかし当時、少年だった私にとって縮尺
   1/150とパッケージ( ほぼキャラメル箱 )
   に銘打ってあるのが
   そこら辺のガキのオモチャと一線を
   画してあるようで誇らしかった。    
●  憧れの地 「ユネスコ村」
  生れ育った宮崎県小林市、南小学校の講堂に
  暗幕を張り みんなで観た映画 「はだかっ子」。
  重要な舞台となった西武園のユネスコ村は
  以来、憧れの地となる。

  あれから長い月日が流れ1990年の
  終了間際 ついに 「ユネスコ村」 に
  タイムスリップ出来たのだった ・・・。
●  高校時代の愛車
  ホンダCS-90 その後にCL-90。
  故郷の野山を駆け巡った。
  ヤマハDT-1の125cc版のAT-1が
  死ぬほど欲しかった。
●  我が青春のバイク ホンダSL-250
  まだ「林道ツーリング」 という言葉が
  無い頃からオフロードばかり走ってた。
  二十歳の夏に北の大地へ向かった。
  (画像は当時のカタログ表紙より)
● 拓郎を聴きだす
このツーリング時
札幌で知り合った人
から聴かされた、出た
ばかりのアルバム
「元気です」。
●  オリンパス OM-1
  1973年発売。それまで一眼レフカメラは
  大きい、重い、シャッター音が大きい、が常識。
  この常識を破り登場したのがOM−1だった。
  翌年に購入し 28mm35mm50mmレンズを揃えた。
  その後ハーレーで北海道へ向かう途中に紛失。
 
● 昔、9年間だけ所有していた ハーレー ダビットソン。
  後にも先にも 私の愛したハーレーは
  映画 「イージーライダー」 、キャプテンアメリカ のチョッパーと
  この1979年型 ・ローライダー (シルバータイプ) だけだ。
  恥ずかしながら、今も時々このバイクで疾走する夢を見る。
 
 
 
●  父が長年 愛読してた 「週刊新潮」
  その表紙には谷内六郎の作品が飾られており、
  小学生だった私には それを見るのが 毎週楽しみだった。
 
● アメリカ制作TVドラマ
  昭和40年代前半の頃、中でもSF物がすきだった。  
  宇宙家族ロビンソン ('65〜68)
  ザ・タイムトンネル  ('67)
●  カセットテープ の登場 
  やがてオーディオ界に録音というスタイルを
  巻きおこしたカセットテープレコーダー。
  それまでは高価なオープンリールデッキだけが
  録音媒体だった。
  市販された頃は英会話利用などで、
  まだまだオーデォとしては程遠く オモチャっぽかった。
  左画像は1967年発売 SONY TC-1060
  高校時代に洋楽ヒットチャートを聴いていた。
● 1970年発売のSONY IC-11で初めての
  ライン録音。それまでラジオの前に鎮座して
  スピーカーから直接録音してた。
  懐かしいやら 涙ぐましいやら ・・・・・。

●  初めて手にしたオーディオ
  昔、オーディオの音源はレコードだけだったが
  クリアなステレオ音源のFM放送が始まり
  オーディオ機器にチューナーは必須となる。
  プリ・メインアンプとチューナを合体したものを
当時はレシーバーと呼んでいた。
● 初めてのハードロック LP4枚買った。
○ グランドファンク ・ 日本のみ (1971)
○ レッドツェッペリン ・ 4      (1971)
○ テンイヤーズアフター ・ 5   (1971)
○ ディープパープル ・ 6     (1972)
川崎の機械土木会社寮、ベニヤ板部屋で
ヘッドホンで聴いてた。 ターンテーブルの
事は忘れてしま
 
 SONY デンスケの登場 
  1973年暮れ思わず名古屋の街で衝動買いした。
  当時流行し出した「ラジカセ」とは一線を画す
  本格的なオーディオデッキにも対応できる代物。
  この時出たLP 「たくろうLIVE`73」の「洛陽」は
  今でも名曲だ。
●  憧れのセパレートアンプ。
  テクニクス S60・S70
  トーンコントロールが付いてない代わりに
  別売のグラフィックイコライザーがあった。
  欲しかったけど、FM専用チューナーを揃えた。

● 日本車には無い白いトラスフレームに憧れて
   あえて数年前の新車? ドカッティ750SS
 
 
 
 
  
●  宮交バスのデザイン      
  宮崎交通のバスは濃いブルーとホワイト 
  のツートーンで実に美しくシンプルだった。
  このバスを見ると宮崎に帰って来たという
  実感が湧いたものだった。  
  残念ながら現在のデザインは何処にでも
  在りそなものになってしまった。 
●  初めての男性用化粧品 資生堂MG5
  高校に通い出して、シリーズの幾つかを買い揃えた。
  なんと現在も販売されてるが、今のシリーズには無い
  アルミ容器のタルカムパウダー(天花粉)や
  当時は珍しい フレッシュリップ(リップクリーム)  
   とかあって、
  青く透き通った日焼け沈静ローションも持っていた。     

     
   
   
   
   
●  アメリカ・レベル社のプラモ
  1960年代後半、このメーカーの製品は
  良心的で独特のものがあったが
  特にボックスアートは一級品だった。
   
● 実際ドライブしてた懐かしいクルマ。
〇 ジムニー360   友人宅にあり信州の山々を走る。
〇 二代目クラウン 努めてたデザイン事務所所有。
〇 スバル1000   コピーライターの友人から譲り受ける。
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 SONY ウォークマン (2代目)  
  世界を席捲した超小型サウンドマシン。 
  当時スキーのリフト時、白銀の中で聴くと
  映画の中に居るみたいだった。
  FMチューナー専用の「FMウォークマン」も
  揃えた。