吉原神社、吉原弁財天  台東区千束3丁目20



吉原遊郭の入り口である五十間町の北に古来から鎮座していた玄徳稲荷と廓内4隅にあった明石稲荷、九郎助稲荷、榎本稲荷、開運稲荷を明治5年に合祀して総称したのが吉原神社です。
明治8年に焼失して大門外に再建され、昭和9年に現在地へ移転し花園公園内の弁財天も合祀しました。

九郎助稲荷は京都の遊郭にも祀られており、吉原遊廓でも祭礼の日には即興演劇や花魁が参詣するとき行列を仕立てて練り歩くなどがありました。

元和3年(1617)に江戸各所にあった遊女屋を日本橋人形町にまとめたのが元吉原で、明暦2年に幕府の移転命令によって当地へ移転し、新吉原となっています。
翌年には明暦の大火(振袖火事、1657)があり元吉原は焼失しています。

1684年の絵入江戸大絵図では三谷傾城町と書かれています。
地図の左下に非人溜まりがありますが、上図では乞食村となっていて江戸初期と末期では差別の意識が異なっていたのかもしれません。

旧地