柳森神社  千代田区神田須田町2丁目25



工事中

御祭神:宇迦之御魂神
境内社:秋葉原神社(火之迦具土神)、福寿神社(桂昌院、徳川家光の側室、綱吉の母)
    幸神社(宇迦之御魂神)、富士浅間神社(木花咲耶姫命)
    水神社(水波能賣命)、金刀比羅宮(大物主神)

土堤の方除稲荷とも呼ばれたようです。
神田川沿いの道から一段下がったところにビルに囲まれています。
図会では「柳森稲荷」となっており、1680年に富士浅間社が合祀され1830頃では富士講の社として知られていました。
しかし、1960に富士塚は破却され現在はその石を積んだ碑が残るのみとなっています。

境内に力くらべ用の石が残っています。
もともとは疫病が街道筋から村にはいるのを防ぐ石神信仰であり呪いだったそうです(千代田区教育委員会)。

江戸以前の神田川は本郷大地から流れ出る小河川でしたが、平川と小石川の合流部での洪水を防ぐために、1620年頃に駿河台の台地を横断開削して平川と小石川を神田川に接続して隅田川へ放流しています。

柳森の社名は現在の万世橋付近から浅草橋までの神田川の土手を柳原土手と呼んでいたことによります。

名所図会1の「雲」の上半分は和泉橋がみえるので異なる位置からの絵を合成したものとみえます。
図会2では左が筋違橋、右端が昌平橋で現在の万世橋ができるのは明治6年(初代のよろず橋)で筋違御門の石垣の石を流用して建造しています。