安藤広重 四ツ木通 用水 引ふね
元は亀有用水で亀有から向島(小梅村)に至る水路ですが、船を道から引く水運路になっていました。
明治14年頃に曳舟は姿を消し、曳舟川は現在の曳舟通りになっています。
広重の絵は四つ木とあるので荒川放水路付近ということですが小梅村近くの説もあるようで、何処を描いているのかはっきりしないようです。