安藤広重 隅田川水神の森
広重の江戸百景の1枚ですがこのシリーズは安政3年(1856)〜安政5年に描かれています。
遠方に筑波山が見えますがもっと右のはずです。
水神社は安政大地震で倒壊し安政5年に再建されていますが、広重の記憶による風景かもしれません。


安藤広重 木母寺 内川 御前菜畑
徳川秀次のときにすでに茶屋が3軒あったそうで、江戸庶民の観光地となっていたようです。
絵の建物はそういう店の1軒でしょう。

御前菜畑は一般人の立ち入り禁止だったようで将軍専用の野菜を作っていたのかも知れません。
近隣の寺島村のナスは後々まで有名で、隅田川の運んだ土がよい畑を作っていたのでしょう。


安藤広重 隅田川八景 木母寺秋月
御前菜畑側からの情景。
徳川家光の頃には鷹狩場があって橋の木母寺側にあった将軍の休憩所を隅田川御殿と呼んでいましたが、
1786年に洪水で流されました。


安藤広重 真崎辺りより水神の森、内川、関屋の里を見るの図
真崎稲荷の茶店の丸窓でしょうか、北東の対岸を見ています。
遠方の山は広重定番の筑波山。
白帆の舟の右が内川(古い隅田川の川筋)でその向こうが御前菜畑、内川の向こうが関屋の里。