胡禄神社  荒川区南千住8−11



工事中

上杉謙信の家臣の高田氏等が川中島の合戦に敗れて当地に落ちのびて開拓したのが当地の汐入。
このとき守護として面足尊と惶根尊を祀ったといいます。
(伊弉諾伊弉冉尊の前の代、6代目の夫婦神、第六天神)
明治以前では密教と習合して第六天と呼ばれており、明治2年に神仏分離によって胡禄神社と改称されました。
現社殿は嘉永5年(1852)造営の様式で昭和2年に改築されています。

汐入は胡粉の産地であり社内にその石臼が残っています。
胡禄の呼称は胡粉と第六天からという説と弓の武具の呼称からという説がありますが、類名社は千葉、埼玉、東京に分布しているのでなんらかの氏族が関与しているのかもしれません。

胡粉の材料には縄文貝塚のカキ殻を用いていたようです。
「江戸紀聞」によれは道灌山(現:文京区千駄木3付近)は雪の降ったような小山で享保(1716-1735)の頃までは馬で浅草の胡粉製造場所へ毎日運んでいたそうです。
汐入も昔は海が入っていたところの地名でしょう。貝塚があったのかもしれません。
第六天社、胡禄、これらのはるか古来の由来には貝塚がからんでいる可能性もみえ、興味深いところです。

摂社に道祖神があり猿田彦を祀っています。
足の病気治癒に草履、耳の病気治癒に2個のお椀に穴をあけて奉納して祈願していたそうです。
周囲はマンション群の造成に囲まれていますが社地には木立が残っています。