平塚神社  北区上中里1−47



御祭神:源義家、源義綱、源義光、豐嶋近義
境内社:大門先稲荷神社(倉稲魂神)、元稲荷神社(保食神)、御料稲荷神社(保食神)

前九年の役(奥州阿倍氏)と後三年の役(奥州清原氏)との戦いに勝利して凱旋した八幡太郎義家がこの地に逗留したとき、城主の豊島氏(豊島区の名の由来)に鎧と十一面感の有象観音像を賜りました。
義家が死去後に豊島氏は鎧を甲胄塚に納めて城の鎮守とし、社に八幡太郎義家、新羅三郎義満、加茂次郎義綱の像を祀り平塚三所明神としました。

文明十年(1478)に豊島氏は太田道灌と戦って敗れましたが、徳川時代となって平塚の里の住人山川城官という人物が当社に祈願して出世し、1634年に社殿を再興しました。
徳川家光が別当寺(平塚山安楽院城官寺)を建立し、1640年に幕府が神領を寄進しています。

図絵には本堂裏に鎧塚があるのですが、その場所と見える場所は雑木に包まれていて入れませんでした。
なお、ここを子供時代に遊び場にされていた方から、当時(おそらくは50年ほど前)に鎧塚の石碑がありましたとの情報をいただきました。

工事中