富士神社(駒込富士神社)  文京区本駒込5−7



御祭神:木花咲耶姫命

創建年代は不明、延文二年(1357)頃には現在地に富士塚があり、延文二年を記した石碑があったが戦災で消失したそうです。
全国古墳編年集成によれば500年代末の前方後円墳とされています。

これとは別に駒込本郷村(現在の本郷の東京大学構内)に富士浅間社があり、名主の木村万右衛門と牛久保隼人が夢に木花咲耶姫の姿をみて駿河の富士浅間社を勧請したものです(天正二年創立とされる)。

その地が寛永六年に加賀藩邸(前田氏)となったために、当地に遷座して合祀されたのが現在の富士神社です。
(現在も東京大学付近に本富士の町名が残っています)
江戸市民の間に富士講が広まって江戸市内に多くの模型の富士が作られています。

明治の神仏分離のとき氏子総代が近隣の天祖神社におかれ、昭和七年に地元で神苑講を結成して管理し、戦後に富士講として管理するようになり、現社殿は昭和36年建立です。
通称は「駒込のお富士さん」で、文京区内では他に護国寺の音羽富士と小石川白山神社(別項参照)の白山富士が残っています。


前方後円墳の名残りを思わせる高低差のある頂部の低い側に小御岳社と源頼朝時代の曽我兄弟の仇討ちにちなむ祠があります。
別図江戸名所図絵(1835年頃)にも小鳥居がふたつみえますが、これかもしれません。

左側の急な石段の手すりは絶好の滑り台で一番上から滑り降りれば「一人前」とされていましたが、今はここを滑り降りる子供はいないようです。

境内中央にあるカヤが御神木ですが、戦後に落雷にあって上部が折れてしまいました。
折れても本殿より高い木ですが名所図絵にはそれらしきがありません、書き忘れでしょうか。