百済本紀による半島情勢年表(参考:三国史記2/平凡社東洋文庫) 対外記述を抽出、国内記述は飢饉や天候不順の記録が多くを占める。 神武〜雄略までの天皇は6章の補正による推定年代。 BC 18 温祚王即位オンソ(扶餘王の次男とされる 慰礼城、現ソウル市付近) (百済王の尊称は於羅瑕オラカあるいは「革+建」吉支ケンキシと周書にある) (北史、隋書では遼東太守の公孫度の娘が嫁いだために東夷の強国となるとある) 16 靺鞨が北部に侵入 13 日食 11 靺鞨が慰礼城を包囲 10 神鹿を得て馬韓に送る(馬韓はソウル南方全羅南道に至る群小国家群とされる) 6 東の楽浪、北の靺鞨を避けて首都を漢江南岸に移し領土を京畿平野一帯としこれを馬韓に伝える 2 楽浪が侵入 1 靺鞨侵入、長を捕らえ馬韓に送る AD 6 柵を作るも馬韓王の抗議にて撤去 7 巫によって辰韓と馬韓併合の意生ずる 9 馬韓を滅ぼす 19 干ばつ 20 大壇を築いて天地を祭る(儒教の祭祀儀礼の説あり) 22 靺鞨が侵入 25 南沃沮が帰順(現江原道付近) 28 多婁王即位タル(温祚王の子) 33 国の南部に初めて稲田を作る(朝鮮での田は畑の意でこれが水田かどうかは不明) 34 靺鞨が侵入 神武 36- 66 63 領土を広げ新羅と交渉するも得ず(忠清北道の清州付近) 64 新羅を攻撃 綏靖 66-78 73 日食 75 新羅を攻撃 77 己婁王即位コル(多婁王の子) 安寧 78-92 85 新羅を攻撃 87 日食 92 日食 懿徳 92-105 105 新羅と和睦交渉 孝昭105-137 108 大飢饉、人を殺して食べる 113 新羅に使者 125 新羅に侵入した靺鞨に対し援軍を送る 128 蓋婁王即位ガイル(己婁王の子) 孝安137-175 165 新羅の将軍が百済に逃亡し引き渡しをめぐって新羅と争う 日食 166 肖古王即位ショウコ(素古、蓋婁王の子)(神功紀に引用) 167 新羅を攻撃 170 日食 孝霊175-204 188 新羅を攻撃 189 日食 199 新羅へ侵入 孝元204-225 210 靺鞨が侵入 212 日食 214 靺鞨と戦闘 214 仇首王即位キュウシュ(貴須、肖古王の長男 身長七尺という) 216 靺鞨が侵入 218 新羅を攻撃 221 日食 222 新羅を攻撃 日食 224 新羅が侵入 234 沙伴王即位サハン(仇首王の長男、幼少のため古尓王が継承) 234 古尓王即位コニ(蓋婁王の第2子) 開化225-248 238 天地を祭るために太鼓と笛を用いる 240 新羅を攻撃 246 魏と高句麗が合して侵入 247 干ばつ多発 崇神248-273 255 新羅を攻撃 258 靺鞨が使者 260 官位を制定 官人の服飾は紫、緋色、青の順と定める 261 新羅と和親を求めるも得られず 266 新羅を攻めるも敗退 垂仁273-311 286 新羅と和親を求める 286 責稽王即位セキケイ(青稽、古尓王の子)帯方の王妃を妃とする 高句麗の帯方攻撃に対して援軍 298 漢が貊人とともに侵入 責稽王戦死 298 汾西王即位フンセイ(責稽王の長男) 304 楽浪を攻撃するも楽浪の刺客により汾西王殺される 304 比流王即位ヒリュウ(仇首王の第2子) 308 日食 景行311-333 331 大飢饉、人を殺して食べる 成務333-356 335 日食 337 新羅の使者 334 契王即位ケイ(汾西王の長男) 346 近肖古王即位キンショウコ(句、比流王の第2子) 仲哀356-360 神功360-386 366 新羅に使者 368 日食 新羅に使者 369 高句麗が侵入 百済軍の軍旗に黄色を用いる 371 高句麗が侵入 百済軍は平壌城を攻撃、高句麗王が戦死 372 晋に朝貢(晋書に為鎮東将軍領楽浪太守とあり) 375 高句麗侵入 (注記にこの時代に文字を得て事を記すようになったとある) 375 近仇首王即位キンキュウシュ(須、近肖古王の子) 377 高句麗の平壌城を攻撃 384 枕流王即位チンリュウ(近仇首王の子) 晋に朝貢 仏僧が晋から渡来 385 仏寺を創建 385 辰斯王即位シンシ(枕流王の弟) 応神386-402 386 高句麗が侵入 387 靺鞨が侵入 389 高句麗を攻撃 391 靺鞨が侵入 392 日食 高句麗の広開土王が侵入 多くの領土を奪われる 392 阿シン王即位アシン(草冠+辛、阿芳、枕流王の子) 395 高句麗の広開土王と戦うも大敗する 397 倭国と国交を結び王子の腆支を人質とする 399 高句麗攻撃のための徴発により人々が新羅に逃げる 400 日食 402 倭国に使者を送り大珠を求む(大珠の意不明) 仁徳402-434 403 倭国の使者を特に手厚くねぎらう 405 腆支王即位テンシ(直支、映、枕流王の子) 人質となっていたとき枕流王が死去、弟を殺した末弟が王となったために乞うて 倭国の護衛により海中の島にて待機してのち王となる 406 晋に朝貢 409 倭国の使者が夜明珠を送る 厚く礼遇する(夜明珠の意不明) 416 東晋の使者が王を鎮東将軍百済王とする (414 広開土王碑) 418 倭国に白綿を送る 419 日食 420 久尓辛王即位クニシン(腆支王の長男) −−倭王讃421 427 ヒ有王即位ヒユウ(田+比、久尓辛王の長男あるいは腆支王の養子) 428 倭国の使者 429 宋に朝貢 −−倭王讃?430 433 新羅に使者を送り和親を求む 434 新羅の使者が答礼 履中434-437 −−倭王珍438 反正437-439 允恭439-454 440 日食 −−倭王済443 447 干ばつ 新羅への避難民 −−倭王済451 安康454-456 455 蓋鹵王即位ガイロ(近蓋婁、ヒ有王の長男) 雄略456-479 −−倭王460、名不明 468 日食 469 高句麗に侵入 472 魏に朝貢 魏に高句麗の罪悪を並べ救援を乞う上表文と応答があるが 魏が百済を支援しなかったために朝貢をやめる 475 高句麗が侵入し蓋鹵王を殺す 子の文周等は南へ逃げる(木満致らを伴う) 475 文周王即位ブンシュウ(ブン洲サンズイ+文、蓋鹵王の子) 新羅の援軍をつれて帰国 476 耽羅国(済州島)が朝貢 477 三斤王即位サンキン(壬乞、文周王の長男 幼年につき解仇が実権) −−倭王武477 478 解仇が謀反 479 東城王即位トウジョウ(牟大、摩牟、文周王の弟の子) 清寧480-485 482 靺鞨が侵入 484 南斉に朝貢するも高句麗がこれを妨害 485 新羅に使者 顕宗485-488 488 魏の討伐軍侵入 仁賢488-498 491 飢饉で新羅への避難民 493 新羅に妃を求める 494 新羅に侵入した高句麗軍に対し援軍 495 日食 高句麗の侵入に新羅が援軍 武烈498-507 499 干ばつ 500 家臣が王の浪費をいさめるも聞かれず 501 武寧王即位ブネイ(斯摩、隆、東城王の第2子) 502 飢饉と疫病 高句麗を攻撃 −−倭王武502 506 靺鞨が侵入 507 高句麗侵入 継体507-530 512 梁に朝貢 高句麗侵入 516 日食 521 使者を梁に送り寧東大将軍を授かる 523 聖王即位セイ(メイジョウ、明+のぎへん+農、武寧王の子) 高句麗が侵入 524 梁から綏東将軍百済王を受ける 525 新羅と国交を結ぶ 磐井の乱527 529 高句麗が侵入 安閑531-534 538 都を泗ヒ(さんずい+比)に遷都し国名を南扶餘とする (所夫里とも呼び現在の忠清南道の扶餘市) 宣化535-538 欽明539-571 541 梁に使者を送り博士、仏典、匠を求めて得る 547 日食 548 高句麗がワイ(さんずい+歳)と共に侵入、新羅援軍を得て撃退 550 高句麗を攻撃 553 新羅が百済北部を占有する 百済王女が新羅へ嫁する 554 王自ら新羅を攻めるも敗死 554 威徳王即位イトク(昌、聖王の子) 高句麗が侵入 559 日食 561 新羅を攻撃 567 陳へ朝貢 570 高斉(北斉)に使者、車騎大将軍帯方郡公百済王を得る 572 北斉に朝貢 敏達572-584 577 陳に朝貢 新羅が侵入 578 北周に朝貢 581 隋に朝貢 584 陳に朝貢 用明585-586 崇峻587-591 589 隋が陳を併合 隋の戦船が済州島に漂着し船は百済を経て帰還 推古592-628 598 隋に朝貢し高句麗討伐の許諾を得る 高句麗が侵入 598 恵王即位ケイ(季、聖王の第2子) 599 法王即位ホウ(宣、孝順、恵王の子あるいは威徳王の子) 殺生令をだし漁猟の道具を焼く 600 仏寺を創建 聖徳太子 600 武王即位ブ(璋、法王の子) 602 新羅を攻撃 605 新羅が侵入 607 隋に朝貢 隋の使者が倭国へゆくために百済の南路を通る 611 隋に朝貢(このとき隋は高句麗討伐の準備中で歓待される) 新羅を攻撃 616 新羅を攻撃 618 新羅が侵入 621 唐に朝貢 623 新羅を攻撃 624 唐に朝貢し帯方郡主百済王を得る 新羅を攻撃 625 唐に朝貢 626 唐への使者を高句麗が妨害 627 新羅へ旧領奪回を目すも、新羅の唐への使者で中止する 唐の太宗が百済新羅両国へ和平の命を下す 百済は陳謝の使者を送る 628 新羅を攻撃 舒明629-641 631 唐に朝貢 632 新羅攻撃 唐に朝貢 633 新羅攻撃 636 唐に朝貢 640 王子を唐に派遣し国学を学ぶを求める 641 義慈王即位ギジ(武王の子) 皇極642-644 唐の使者が帯方郡主百済王を与える 642 唐に朝貢 新羅を攻撃 643 高句麗と和睦し新羅を攻撃 新羅は唐に救援を求める 644 唐に朝貢 太宗は両国を諭す 孝徳645-654 645 唐が高句麗を攻めるを知って新羅を攻撃 647 新羅を攻めるも敗北 648 新羅を攻めるも再び敗北 651 唐に朝貢 太宗再び諭す (新羅の使者もあり太宗はその言上の理を認める) 653 倭国と国交を結ぶ 高句麗、靺鞨とともに新羅を攻撃 斉明655-660 新羅は危急を唐に知らせる 660 唐は13万の軍を率い新羅も5万をもってこれに従う 天智661-670 義慈王は籠城戦と白江で迎え撃つの2案を議する 百済軍敗北 662 扶餘豊(王)が残兵を率いて戦う 唐新羅連合軍は救援の倭軍の軍船400艘を白江に焼く 百済軍と倭軍は唐に降伏し、扶餘豊は行方不明となる 唐の高宗は扶餘隆を都督とする 665 扶餘隆が新羅と盟誓を結ぶ 弘文671-672 天武673-685 676-679 扶餘隆高句麗にて死去 唐の則天武后はその孫に高句麗(百済)王を名乗らせるが領土なく絶える 持統686-696 文武697-700