セルジュ・チェリビダッケ

近年正式盤がリリースされたスローペースの魔人。の思想を信奉し(手いたことになっている)

色即是空の考えに基づいて(だったっけ?)録音の発売を拒否。(その割には実は録音していた。)

全ての音を響かせるためにテンポを落とした。(曲を書いているとこの事はよくわかる。)

ある曲を始めて聞く人におすすめを聞かれたときにチェリを薦めるのは犯罪的であろう。

チェリビダッケは曲の全音符に尽きて検討し、意味を与え、全てを明らかにしようとするので、

見せ場は火を噴いたようになり、普通だったら聞き逃されるような経過句が想像を絶する美しさで

現れることもある。ただし、作曲者が書かなかった部分も、例えば主旋律だけが気合い入っていて、

その他は適当にやっているようなときにも、そのまま薄くなって現れるのである。普通だったら

何とかなるのだけど、チェリはそれをしない。チェリを聞けるかどうか、というのは結局、曲に先入観を

抱いてそれにあった曲だけを求めるのか、そうでなくていい音楽を聴きたいのか、という姿勢の差であろう。

もっとも近代作品は評判は高いけど、僕はそんなに好きではない。(ラヴェルの作品など)

クールな中に潜む熱さを持った曲の中で、クールさが際だってしまうからである。

チェリの演奏で好きなのはチャイコフスキーとブルックナーである。

早い話が長大な19世紀末の交響曲が一番良いと思う。チェリは曲のスパンが長ければ

長いほど見事な曲作りをするから(それはヴァントもそうだが常に曲全体の構造を考えながら指揮しているため

)である。また、チェリの得意な曲は始めと終わりがはっきりしている曲である。

チャイコフスキーの第5番(ミュンヘンフィル)はチェリの異常な壮麗さが十全に現れた演奏で、

ゾクゾクする瞬間に満ちた怪演であろう。曲に喰われそうな印象すら抱いたものである。その点、第6番

旋律の美しさは際だっているけれども、第5番ほどは極端な演奏でないので、チェリ初心者向きかも。

ブルックナーチクルス(ミュンヘンフィル)の中での白眉は第8番であろう。この曲の壮大さをここまで描き出した

演奏は、まぁ、あるけれど、畏怖的な雰囲気を伝える点では随一の演奏であろう。コーダのところなど、

音楽で空間が埋め尽くされているようですらある。第9番は指揮者最後のブルックナーで、

安らぎの中に眠るような第1楽章(第2,3主題)と、本当に死んでいくようなアダージョが見事である。

第5番コーダの壮麗さも、第7番アダージョの透明な悲しみも、確かにチェリならではのものである。

 

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