レナード・バーンスタイン
20世紀を代表する指揮者。実はウエストサイドストーリーの作曲者。
若い頃はニューヨークフィルと活躍。教育熱心だったがオーケストラビルダーではない。
人の作り上げたオケから最上の結果を最後の滓まで絞り出すのが得意だ。
バーンスタインは知的な音楽家だった。普通の人が普通に演奏したら聞こえてこないようなところが
見事に「合いの手」となって飛び込んでくる。それでいて熱狂的な演奏が得意で、彼が乗って演奏したものは
のりのりのおもしろさである。超スピードで疾走する1959年のショスタコーヴィッチの第5番(NYフィル)
など機械文明全盛の時代の音楽としてなんと気持ちいいことか。でも東京での演奏は雄大ではあるけど、
ちょっと普通なのが惜しい。普通の演奏なら他にもあることだし。アイヴスの交響曲も
バーンスタインの十八番である。「答えのない質問」はちょっと楽しすぎるかもしれないが、
「夕暮れのセントラルパーク」の途中の狂乱ぶりはすごくよい。
逆にストラヴィンスキーは生々しさというか、ちょっといつもの音楽に近づきすぎ、というかクールさが足りない。
イスラエルフィルとの「火の鳥」「春の祭典」はなかなか良いが、ロンドンフィルとの「春の祭典」は
遠くで響いている村祭りみたいでいけていない。「カルメン」「禿げ山の一夜」
「展覧会の絵」といったところならおもしろさ抜群であるが。
さて、バーンスタインといって忘れていけないのがマーラーであるが、後期の曲より、前期の方がおもしろい。
情熱に火のつきそうなコンセルトヘボウとの第9番も見事なものであるが、筆者はベストとは思わない。
ヴィーンフィルとの第5番もこの曲を演奏しすぎたためかちょっといじりすぎ。
コンセルトヘボウとの第4番のボーイソプラノは個人的には好きだったのだけど、
ニューヨークフィル、繰りストとの第4番を聞いたら目が飛び出る程良かったので
後は新録の巨人と復活は熱さと知性が見事に融合した偉大な演奏である。
チャイコフスキーの悲愴(NYフィル)は異常な遅さで有名だが曲に先入観をもって聞かなければ、
隅々まで神経と情に満ちたとても美しい演奏である。特にコーダの前のトロンボーンの霧の中で死んだ友人を
待っているかの様な美しさは忘れられない。