===空白のとき===[9]===







     意を決してこの部屋に糸を誘ってみたが、何も思い出してくれたそぶりは無かった。

     思わず針を刺した糸の手を奪って口付けをしてしまったが、
     どう思っただろう?

     天野真琴という女の子としてしか認識されていない今の状況で、
     あの行為が元で、友人としても敬遠されてしまうようになったら・・・・・・・。

     眠れない夜は、今夜も真を永遠の闇への誘いのように出口の無い世界へ長く続くような気がした。



     「おはよう 糸さん」
     「おはよう 衣装持って来たぞ!」
     「王子と王女の衣装 出来たの??」

     糸と真琴の会話を聞いた美咲が、飛び跳ねるような明るい声で話に入って来た。

     「ああ ばっちり! なあ 真琴」
     「ええ 昨日一緒に仕上げたの」

     糸が昨日までと変わらずに屈託の無い笑顔を向けてくれたことで、真琴もつられて笑顔になる。

     「見せて見せて!」
     「これで衣装全部揃うね!」
     「今日は衣装を合わせての通し稽古も出来るわ!よかったー」

     部室荒らしに遭った後、バラバラになりかけていた部員達に少しずつ活気が戻っていたが、
     焼かれてしまった衣装が改めて全部揃ったことで、希望の光が更に大きくなっていった。
     部員の誰もが演劇部の存続を真剣に願っていた。

     「真琴さんのお姉さん 来てくれるって?」
     「ええ スケジュールを空けてもらったから」
     「真琴さんのお姉さんのメイクってスゴイよね!」
     「うん!あの時の糸さん すごく綺麗だったしっ!感動したもん!」

     「?あたし?」

     皆の会話にひとりだけ入っていけない糸が、不思議そうな声を上げた。

     そのすっとんきょうな声に、皆が忘れかけていた現実を思い出しした。
     糸には、ここ数ヶ月の記憶が無くなっているという悲しい事実と現実。

     「ロミジュリの後に眠り姫を演ったのよ」
     「糸さんが眠り姫で 真琴さんが王子様だったの」

     糸はきょとんとした表情のまま、他人事のように話を聞いていた。

     「眠り姫の時 糸さんだけ真琴さんのお姉さんにメイクしてもらったのよ!」
     「へ?」

     糸には全く覚えが無い。

     もし、そうなら、昨日会った茜は初対面では無かったことになる。
     糸は覚えていないとはいえ、過ぎた茜への態度をすまないと反省していた。
     うつむいた糸の思いを察したのか、真琴がいたたまれず声をかける。

     「姉さんも今の糸さんのことは知ってるから 気にしないで」
     「ごめんな」

     どうしていいか解らない困惑した表情で、糸は心から真琴と真琴を通して茜に詫びる。
     こんなに悲しそうな顔を糸にさせてしまった自分の賭けの結果に、
     真琴の心は真っ暗になってしまっていた。

     間もない先の公開に向けて、今日も稽古が始まる。
     糸は真琴が近付いて来る度に、無意識に鼓動を走らせていた。
     真琴の柔らかな、それでいて何か意志を詰めたような香りを嗅ぐ度に、
     今の何もかもを失ってしまいそうな、あの恐ろしい頭痛を思い出してしまうのだ。
     その痛みに対する恐怖感が、自然と真琴の傍に居ることと遠ざけてしまっていた。

     真琴のことを疎ましくも嫌いにもなっていないのに、彼女を遠ざける糸は、
     そんな自分の行動に気付く度に悲しい目をしているように見える真琴に対して、
     心底申し訳無い気持ちにもなっていた。









     「――― 衣装が揃った?」

     「はい 色々とバックアップがあったようです」
     「ふうん」

     「わかった もういいよ」
     「はっ」

     ( 部室荒らしも 意味が無かったという・・・・・ことか? )

     ――――― もっと徹底的に潰さなければ。


     「ねえ お兄さま」
     「どうした? 隆世」
     「演劇部は 新入生歓迎会の準備が出来たの?」

     隆世は、もともと身体が丈夫ではなく、よく高い熱を出しては横になっていたため、
     学校も休みがちで居たので、現在の学校の様子を詳しくは知らない。
     だが、見舞いに来てくれる数人のクラスメイトのお陰で、
     表面上ではあるが、学校の状況をそれなりに知ってはいた。

     「ああ もう衣装も全部揃ったみたいだよ」
     「そうなの?」

     隆世が、思いがけない程に眩しい笑顔を隆士に向けた。
     隆士は、可愛くてたまらない病床の青白い妹の笑顔に向かって微笑み返す。
     マコトの夢を応援したい、と言っていた隆世にとっては当然の喜びであったが、
     内心でマコトの夢を潰し、成田の家を継がせてその一生を隆世と一緒に・・・・・
     と願っている隆士には、当然面白くない。

     「わたし もっと紙ふぶき作るわね!」
     「ああ そうするといいよ」

     隆世が、マコトが立つ舞台へ飛び散らせようと紙ふぶきをせっせと切り続ける姿を、
     隆士は隆世を裏切ったマコトへの憎悪を膨らませながら、
     そんなことを隆世には微塵も感じさせない潤んだ優しい笑顔で、
     この世にたった一人のかけがえの無い愛しい妹を見つめていた。



     ――――― 僕達を裏切ったら許さない


     ――――― 警告したよね?








     「じゃあ 衣装も揃ったから 今日は衣装を付けて通し稽古をしましょう」

     顧問の伊藤先生に逆らう者も無く、皆がそれぞれの衣装に着替えて揃った。
     メイクはしていなくても、衣装とウィッグで十分に役になりきろうとしている意気込みが溢れる。
     糸は王女役なので、長い髪のウィッグを付けていた。
     身長のことを除けば、十分にお姫様になりきれる美貌が備わっている。
     真琴も長い金髪をそのままにしていたが、異国の王子様と誰もが納得する存在感を醸し出していた。

     糸と真琴が少し距離を置いて立ち並んだ後、糸がそそくさと真琴の傍を離れて行った。

     それは糸の出番がまだ先による自然な行動であったが、
     自分の側を離れて行く糸を見る真琴の心中は穏やかでは無かった。
     糸が自分を避けている。
     糸の言動に敏感になっている真琴には、孤独な痛みを避ける為に真琴と離れようとする糸の行動が、
     その理由を知らないまま、自分の存在もろとも忘却の彼方へ押しやっているように映っていた。

     糸も真琴も、見えない壁で心を隔てられてしまっていた。



     「始めるわよ!」

     演劇部存続という運命を賭けた舞台への通し稽古が、今日も始まった。


















     「はいっ!みんな!お疲れさま!」

     伊藤先生の号令で皆が床に座り込んだ。

     着慣れない衣装を身に着けての初めての通し稽古が終わった。


     「20分休憩してから パートごとに練習するわよ!」

     伊藤先生の言葉の後に、皆がその場に倒れ込んだ。


     「先生っ!」
     「なに? 糸くん?」
     「トイレっ!」
     「遠慮無く行ってらっしゃい!」

     わざわざ言わなくてもいいのに。
     皆の緊張をほぐすような糸の言動を見守る真琴。
     床に倒れる皆の真琴と同じ思いを背に、糸が着慣れないドレスの裾を持ち上げて小走りに体育館を出て行った。




     「うわー もしかしてこの格好でトイレって無謀じゃないか?」

     自分の行動に疑問を抱きながら、糸は廊下を小走りに進んでいた。
     今日は休日なので、廊下は閑散としている。
     お陰でドレスの裾を踏まれる心配もなく軽やかに走る糸の前に、人影が立ちはだかった。

     「・・・・・?」
     「三浦 糸」

     「お前は?」

     糸はこの男を知らない。
     正確には、一時の記憶を無くしている糸はこの男を知らない。

     「――― しぶといね」

     「?」

     「君が居なければ マコトくんは元の鞘に収まれるのに」

     「??」

     「君さえ居なければ マコトくんは隆世の傍に居れるのに」

     糸は、目の前の人物のただならぬ気配を感じて立ちすくんだ。

     「お前はだれだ? 何を言ってるんだ?」

     強気な視線をぶつけながら、糸が問い掛ける。

     隆士は糸の問いには答えずに、視線を糸の姿へ流す。

     「そんなに長い髪は 君には似合わないよ」

     「??」

     「長い髪が似合うのは 隆世だけだよ」

     小さく叫びながら、隆士が鈍く光るものを糸に向かって振り上げた。

     「!!」





          じゃきぃぃぃぃっっっ!





     何かを切り落とす鈍い炸裂音が聞こえた。

     思わず目を閉じた糸が、恐る恐る目を開けると、
     目の前に散らばった髪の毛は、糸の髪の色と同じ黒ではなかった。
     正確には、糸が被っていたウイッグと同じ色ではなかった。

     そこには、はらはらと、しなやかな細い金色の髪が、一面に散らばっていた。

     何が起こったのか?

     とっさに隆士の凶器を避けて床に四つん這いになった糸が顔だけを後ろに向けると、
     糸を庇うように同じ姿勢になった真琴が覆い被さっていた。

     「!まこと?」

     驚いた糸が自分の肩越しに真琴を見やると、真琴の綺麗な金の髪は、
     無残にもばらばらに切り裂かれていた。

     「糸さん 怪我は無い?」

     自分の一大事を気にする前に、糸を気遣う真琴の声に糸の声が震える。


     「だい・・・・・じょうぶ  でも・・・・・・」


     「よかった・・・・・無事で・・・・・・」


     真琴が糸をふうわりと後ろから抱き締める。


     金色の長い髪と短い髪が混じり合って糸の顔に触れる。

     真琴の柔らかい体温とあの恐ろしい頭痛を呼び寄せる香りをも伴って。

     痛みを思い出させるだけの辛い香りに包まれた筈なのに、糸の目からは涙が溢れた。
     はらはらはらはらと、糸の意志を無視したままで涙が止め処なく流れ続ける。

     「あああああ・・・・・」

     苦しい痛みを呼ぶこの香り。
     頭が痛い・・・・・・いや、今は胸の方が痛い・・・・・・・・・・・・


     ――――― 声が出ない。



     ――――― なんであたしは泣いているんだ?




     ――――― なんで真琴がこんな目に遭っているんだ?





     ――――― あたしのせいなのか?






     「ああああああ・・・・・」

     糸の口から小さくも激しい嗚咽が溢れる。


     「・・・・・糸さん もう大丈夫だから・・・・・」

     「ぅあああああああああ・・・・・・」


     優しく抱き締めている真琴の腕をほどくことも忘れて、糸は目を見開いたまま泣き叫び続けていた。










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     ===空白のとき===[9]===


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     ===空白のとき===[10]=== へ、続きます。




     とうとう【10】まで続きます。

     軽い気持ちでリクエストに答えてしまって、もう○ヶ月。
     こんなに長くなるなんて・・・・・・・・・。

     自問自答しながらも、妄想は続くと思いますので、
     お付き合いいただけると幸せですvv

     でもって、今日は、【WジュリU】発売です。
     
     夢は叶うよっ!

 
     今回も読んでくださって、ありがとうございました。

    
    
     (2006.12.18)