===空白のとき===[26]===







     ――――― 真琴を守りたい

 
     ――――― 本当にそう思ったんだ


     ――――― どうしてなのかわからない


     ――――― でも 守りたいと思ったんだ



     冷たく強い潮風の中で、真琴に静かに抱きしめられながら、糸はずっと目を閉じて考えていた。

     この温もりと匂いが、どうしてこんなに安心できるのだろう?
     この温もりと匂いが、どうしてこんなに懐かしいのだろう?
     この温もりと匂いが、どうしてこんなにいとおしいのだろう?



     ―――――  「 守る 」

     そう言ってくれた糸を抱きしめながら、真琴は自分の居るべき場所を模索していた。

     糸は、まだ真琴のことを思い出した訳ではない。
     それなのに、守りたいと言ってくれた。

     糸を守るのは、自分の方では無かったのか?

     真琴には、男でありながら女として高校を卒業するという、父親との将来を賭けた約束がある。

     だが、その約束を果たすべく力を貸してくれる最強無二の人こそが、糸であった筈だった。

     だからこそ、真琴は糸を守らなければいけない筈なのだった。

     真琴は、抱きしめた糸の体温と息遣いを感じながら、
     糸が自分にとってどんなに心地良い存在なのかを、改めて感じていた。


     ――――― 糸さんと離れていいなんて どうして思ったんだろう?


     糸との決別を覚悟した自分に問い掛けたい程に、真琴は糸への想いを再認識する。



     ――――― オレは糸さんと離れたくない



     真琴の中で、誰にも譲れない感情が固まったように感じられた。

     たとえ声にしなくても、言葉に凝縮された想いは真琴の意思をも固めていったようだった。






     「ごめんね」

     「明日はちゃんと部活に出るから」


     何も無かったように、糸が知る限りの優しい真琴の笑顔を夕陽が照らしていた。


     「おう」


     糸も何も無かったように、目の前の真琴に向かって笑いかけた。


     夕陽が糸の真っ赤な顔と真っ赤な目を誤魔化してくれていた。








          ――― 翌日


          ――― 昼休み



     「真琴さん お客さんよー」

     声の方を見やると、教室の前の方の入り口に隆世が立っていた。

     「マコトくん」

     「隆世ちゃん? どうしたの?」


     取り次いでくれた級友に礼を言い、
     廊下に出てから真琴が隆世に向かい合って立った。


     「あのね」

     隆世が頬を紅潮させて抱えて来た大きな封筒から冊子を取り出した。


     「この間言ってた転校の話なんだけど」

     「え?」

     「この学校とか いいと思うの」


     隆世が目を輝かせて、手にした幾つかの冊子を真琴に向かって差し出した。


     「これ?」

     「演劇部のある学校を探してみたの」

     「……隆世ちゃんが探してくれたの?」

     「ええ」

     隆世が恥ずかしそうにしながらも誇らしそうに小さな声で答えた。


     「お兄さまには内緒だから」


     超の付く筋金入りのお嬢さまである隆世が自分で?自分ひとりで?

     体の弱い隆世が、どんなに大切に隆士に扱われているのかを、
     許婚である真琴は、最大に知っている他人のひとりかもしれない。
     だからこそ、何でも兄の影で兄に守られて生きて来た筈の隆世が、
     たったひとりで真琴のために動いてくれた事実が、重たくも嬉しかった。

     真琴は、隆世が集めて来てくれた数冊の学校紹介誌を、
     迷いを隆世に悟られないよう、小さな笑顔で受け取った。










     「真琴さん 転校するのっ!?」


     どんな小さなことも見逃さないパワーが、学生達の魅力であり、
     学校内の秘密は、学生全てのものであるかもしれない。


     自分の教室とさほど離れていない廊下で、隆世と接してしまったことが間違いのもとであった。


     それでなくとも、真琴は美貌の転校生であり全校生徒の注目の的である。
     男女問わず、真琴に憧れる生徒は少なくは無い。
     それは、真琴に対して多くの目が常に注がれているという日常でもあるのだ。

     そんな真琴を見つめる周りが、
     隆世との意味深な会話を聞き逃す筈が無かった。



     誰も当の真琴に問い正せないまま、
     真琴と最も長い時間一緒に居るであろう糸に、その疑問をぶつけてきた。

     糸も学校内では、かなりの人気者ではあったが、
     親しみやすさでは、真琴は糸に敵わない。
     糸以外に心を許さない真琴は、校内の誰にとっても高嶺の花であった。


     「糸さん!真琴さん転校するってホント??」

     「真琴さん どっか行っちゃうの??」

     「あの1年生って 真琴さんの何なの??」





     「は?」

     「何の話だ??」


     突然、そんな疑問が生まれた状況も何も正確に聞かされないまま、



     ――――― 真琴さんの転校は真実か?? ―――――



     という一面トップ記事だけを突きつけられた糸は、たじろぐしかない。


     「何言ってんのかわかんねーよ!」


     そもそも、真琴とクラスの違う糸に、質問してくる皆の知っている状況を想像できる筈も無い。
     糸には、心底、皆の言っていることが、しばらくは飲み込められていなかった。



     午後の授業開始のベルと共に、質問軍団からは解放された糸だが、
     気持ちは全く解放されてはいなかった。


     ( 真琴が転校する? )

     ( なんで? )


     その後の授業にも身が入らず、教壇の声はまるで自分に関係が無いかのように遠くに微かに聞こえている。


     昨日の真琴とのやりとりが鮮明に糸の脳裏を駆け巡り、
     糸は自分の仕草を思い出しては、恥ずかしくてたまらなくなり顔を両手で覆っていた。





     気もそぞろのまま、午後の授業を終えた糸が部活に向かうと、体育館に演劇部員が集まり始めていた。
     昼休みの粗方の糸の言動を知っている部員達は、真琴のことには全く触れて来なかった。
     

     いつもように涼しい笑顔で現れた真琴を捕まえて、糸が小声で尋ねる。


     「ねえ まこ」

     「……なに? 糸さん」

     「あのさ お前 転校すんのか?」



     真琴の顔がこわばった



     「……どういう意味?」


     真琴の白い顔に、問い掛けた糸の方が固まった。


     「どうって 昼休みの後でみんなが言ってたから」


     真琴の表情を伺いたくも、どうしてなのか真琴の目を見れないまま問い続ける。


     「……その……ホントなのかと思って……」


     言いたいことは言ってしまったから、と目線を上げた糸の顔を、真琴が見つめていた。

     真琴はいつも真っ直ぐな視線を糸に向けてくれる。

     その視線が、いつも特別なものであると糸は感じていたが、
     辛い熱を帯びていることもあるのだった。



     「しないよ」

     「え?」


     今のは聞き間違いか? 
     何らかの違和感を覚えて、もう一度問い掛けた糸に、真琴がはじけるような笑顔で答えた。



     「転校なんてしないわよ」



     「ホントか?」

     「ホントよ」

     「・・・・・・そっかあ」

     糸の顔に温かい笑顔が戻った。

     真琴の笑顔の奥に見える翳りを、少しも感じさせないほどに。










     「おかえりなさいませ」

       「おかえりなさいませ」

         「おかえりなさいませ」

           「おかえりなさ……」


     決められた挨拶の声を全て聞き終えることもなく、その家の主のひとりが声を荒げた。



     「隆世は帰っているのか!?」











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     ===空白のとき===[26]===


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     ===空白のとき===[27]=== へ、続きます。








・・・・・・・・・・・・・・ まだ続いてます。


     (2007.11.11)