===空白のとき===[23]===







     「何を言ってるの?」

     「………」

     「本気で言ってるの?」

     「………」


     声にならない真の感情が、電話機を通して茜に伝わって来るようだった。
     無言であればあるほどに、真の真剣さが深まって行くような気がした。
     同時に、真剣さと同じくらいの迷いを感じるられることも事実だった。


     「まさか お父様に何か言われたの?」

     「…… いや」


     やっと声を発した真に安堵する茜。


     まだ父には、真の正体が糸にバレていることは知られていないようだ。
     父と一緒に実家に暮らす茜にも少なからず確信はあった。

     なのに、ここで真から転校などと言い出せば、
     あの父のことだ。
     きっと今よりも細かく厳しく真の周りを勘ぐって、
     いつしか本当に糸との関係が知れてしまうかもしれない。

     糸に真琴の本当の姿が知れていると分かったら、
     確固たる証拠を捕まれてしまったら、真は勿論、茜にも何の言い逃れも出来ないに違いない。

     茜は、それだけは避けたかった。

     お人形のように父の言いなりだった小さな弟が、
     ようやく自分の意志で父と約束を交わすまでに成長したのだ、
     その夢をどうしても叶えてやりたいと、茜はいつも思っていた。
     その為なら、自分が家の犠牲になっても構わないと思えるほどに。
     それは、小さな弟が、男であったが故に家の期待を一手に背負ってしまったことと、
     過剰とも思える父の特訓を阻止することが出来なかった、という負い目なのかもしれなかった。




     「だめよ」

     「え?」

     「転校するなんて絶対にダメよ」

     「姉さん?」


     いつになく強い口調で諭そうとする茜に戸惑う真。


     ―――――― 真は糸さんの傍を離れちゃいけない


     それは茜の直感でしかなかったが、
     糸という存在が、真をこんなに弱気にさせてしまう程に大きな光であることを感じていた。
     真は糸の支え無しでは、夢に手を伸ばすことも出来ないに違いない。

     茜の強気は、糸と会話を交わしたあの時から、
     「真をよろしくお願いします」
     ああ言って糸に頭を下げたあの時から、芽生えていたのかもしれない。。

     この子なら、自分の代わりに真を傍で守ってくれるかもしれない。
     そんな確信があったからこそ、茜は初対面の糸に深々と頭を下げたのかもしれなかった。


     「とにかく もう少し考えなさい」

     「今 糸さんと離れていいの?」

     「それで本当にいいの?」

     「………」

     「本当にいいの?」

     「………」

     「ほら まだ迷っているんでしょ?」

     「………」

     「もう」 


     真の無言の返事を、勝手に肯定や否定と解釈した茜は、
     真の決意がまださほど固くないことを読み取っていた。
     だが、滅多に余計なことを言わない真が口にした言葉に、
     真意が全く無いとも思ってはいなかった。


     「……ねえ 真?」

     「なに?」


     やっと自然に返事が返って来たことに、ほっとしながら、


     「どうして転校しようなんて考えたの?」

     「………」


     まただんまりを決め込む弟に小さく溜息をつきながら、質問を続ける。
     顔が見えない電話が、こんなにもどかしく思えることも珍しい。


     「お父様にもバレていないみたいなのに おかしいわ」

     「………」

     「真っ!」


     「いい加減にしなさいっ」


     電話機の向こうからビクついた真の様子が伝わるようだった。


     「明日は何時に学校終わるの?」

     「……えっと」

     「終わったら連絡しなさい」

     「え?」

     「ちゃんと顔を見て話し合わないと訳がわからないわ!

     「……ごめん」

     「………わかったわね? 連絡するのよ?」

     「うん」

     「じゃあ 今日はもうお休みなさい」

     「………」

     「いい? 眠れなくてもちゃんと横になるのよ?」

     「……わかった」

     「じゃあね おやすみなさい」

     「おやすみ……」


     通話を切った後も、茜のもやもやは一向に晴れなかった。

     一体、何故、急に真はあんなことを言い出したのだろう?

     自分のことを思い出してくれない糸さんの傍に居ることが辛いのは、多少なりとも想像できる。
     それでも、きっと思い出してくれることを信じて、今まで堪えて来たのだ。

     真の心を揺らす何かがあったに違いない。
     何がきっかけになったのかは全く考えつかなかったが、


     ――――― 転校する


     という選択肢まで模索する程に、真が弱っていた現状に気付かなかったことが、
     茜にはとてつもなくショックだった。















     ――――― コンコン

     「はい?」

     「隆世 僕だよ」

     「お兄さま?」




     「……まだ許してくれないのか?」



     自分を出し抜いてマコトを責めたことを、まだ完全に許すことはできない。
     それでも、常に自分のことを一番に考えて行動してくれる兄の存在を否定することは到底出来ない。



     隆世は、ゆっくりと鍵を外してドアを静かに開けた。



     「隆世っ!」



     最愛の妹を数日ぶりにまともに見た隆士の、満面の笑みが隆世の怒りを静めて行く。



     「……お兄さま」

     「ごめんよ 隆世」


     心底すまなそうな兄の弱った表情に、隆世の決意も揺らごうとしていた。


     「……あのね お兄さま」

     「なんだい!?」


     隆世から話しかけられたことで有頂天になる隆士が、隆世以外に見せない笑顔で答える。


     「………」

     「隆世?」


     「……ううん なんでもないの」

     「……そうなのか?」


     拍子抜けした隆士が、再度問いかけた。


     「うん もう休むわ おやすみなさい」

     「ん ああ おやすみ」


     気の抜けた顔をした隆士の前で、扉が閉ざされた。





     ――――― マコトくんのことをお兄さまには言ってはいけない


     隆世はマコトと一緒に転校するべく学校を密かに探し始めていた。

     マコトは、今更、真琴として鳴西には戻れない。
     そして絶対に演劇部のある学校でなくてはならない。

     マコトの夢を応援したいとマコトに豪語してしまった今の隆世には、
     妥協は許されなかった。

     隆世はいつもマコトに対して、本気で真剣にぶつかっていたのだった。





     ――――― 隆世 何を隠しているんだ?





     心が通い合うからこそ、お互いに見えない気持ちも存在するのだという事実に、
     隆世も隆士も薄々と気付いていた。



















     「糸さん 大丈夫なの?」

     昨日の部活中に倒れたところを見ていた部員達が、心配そうに声をかけて来た。

     「ああ もう大丈夫 心配かけてごめんな」

     あっけらかんとしたいつもの糸の笑顔に部員達の顔にも笑顔が戻る。



     「……あれ?真琴は?」
 
     「真琴さん? 今日は部活休むってよ」

     糸の問い掛けに、部長の与四郎が答える。

     「へえ 何か用事かな?」

     「うーん 伊藤先生が言ってたから理由はわかんないや」

     「ふーん そっか」


     糸は真琴とどう接していいのか、まだ悩んでいたので、
     正直部活で顔を合わせなくて済むことに、内心ほっとしていた。
     その反面、辺りを見回しても視界に入って来ない真琴が、
     今どうしているのかが気になって仕方が無いのも事実だった。




     ――――― あ〜〜〜っ!



     ――――― あたしは一体どうしたいんだっ!?



     考えるより行動の人である糸が、
     真琴のことになると自分でも計り知れない程に、さっぱり動けなくなっていた。
     それくらいに真琴の存在が自分の中で膨らみ続けることの理由に気付くには、
     まだ時間がかかりそうだった。















     *****************************


     ===空白のとき===[23]===


     *****************************







     ===空白のとき===[24]=== へ、続きます。





     ここまでお付き合いくださっている皆さまに御礼申し上げます。
     ありがとうございますっ!

     いただける感想や励ましも大変嬉しいですvv
     手に手をとって「ありがとおおおお!」
     と頬擦りしたいくらいです!(やめとけ)


     願わくば最後まで、どうぞよろしくお願いいたします。


     (2007.08.22)