===空白のとき===[19]===







     「・・・・・どうして 真琴は本当のことを教えてくれなかったんですか?」


     糸は茜の方を見ながらも、その顔を直接見ることができない。


     「・・・・・それは」


     茜はもう1枚の写真を出すと、静かに糸の方へテーブルの上を滑らせた。


     「?」


     そこには真琴と糸が写っていた。
     この格好と周りの景色から察すると、下校途中だろうか?
     勿論、糸にはこんな写真を撮られた覚えはこれっぽっちも無い。


     「・・・・・これは 父が撮らせている写真の一部なの」

     「??」

     「父は真の動向をつぶさに偵察させて こうして写真と一緒に報告させているの」

     「???」

     「それって??」

     「ええ もしかしたらストーカーに近いかもしれないわ」

     茜が深く静かに溜め息をついた。

     「真が男とバレた証拠を逃さないために 父も必死なのよ」

     「・・・・・そんなことが本当に?」

     「この写真みたいに 真と一緒に写っているのは糸さんが一番多いの」

     茜が糸の顔を真っ直ぐに見つめながら話を続けた。

     「だから 真も迂闊に本当のことが言えなかったのよ」

     糸は茜の言うことをほぼ全部信じながらも、
     想像を越える世界に生きているらしい真と、
     その姉である茜の淡々とした話の内容に呆然としていた。

     糸の表情から困惑を感じ取った茜が、柔らかくも強い意思を込めて糸に真実を告げる。


     「真は男の子なの」


     「自分から言えなかったことを 許してやってください」


     茜は申し訳無さそうに糸に深深と頭を下げた。



     「・・・・・・・・・・・・・・・・」


     「・・・・・・・・・・・・・・・・・ いえ あの 」







     ――――― 真琴は本当は男だった。






     いきなり現実を突きつけられた糸は、茜に対して自分の気持ちを表す明確な言葉を、
     何一つ発することができないでいた。











           あたしが真琴を忘れてしまったのは 真琴が重荷だったから?

           それなら どうして忘れてしまった今も真琴のことがこんなに気になるんだろう?

           どうして いつも真琴を目で追ってしまうのだろう?

           どうして 真琴を見るだけでこんなに胸が苦しくなるのだろう?

           どうして真琴と目が合っただけで 体中に電流が走ったように痺れてしまうのだろう?

           真琴は あたしの何なのだろう??

           真琴は あたしの何だったのだろう??


           取り戻したい

           真琴のことを

           あたしだけが知っていたはずの真琴を

           あたししか知らないはずの真琴の姿を





     茜と別れてひとりになった糸は、公共のベンチに腰掛けていた。
     夕暮れを少し越えたのか、さっきまでそこらで遊んでいたらしい
     大きくやんちゃな声は聞こえなくなっていた。
     今日も、少しずつ赤く染まった太陽が姿を隠そうとしているのだろう。
     傾くその光によって作られた糸の足元に伸びる影は、細く長い。


     糸は絶え間なく襲ってくる頭痛に逆らうように自問自答を繰り返していた。

     頬を伝う涙は痛みによるものでは無かった。

     ただただ、悲しくて切なくて知り合った頃の真琴を思い出せない自分が歯痒い。


     糸はこの時初めて、
     自分が記憶を無くしているという事実を受け入れたのかもしれなかった。











     傘を差して歩く日は、なんとなく気分が晴れない。
     うっとうしいと思うせいなのか、ついつい傘に隠れるようにうつむき加減に歩いてしまう。


     「糸さん おはよう」

     「・・・・・おはよ 真琴」

     真琴はいつもと同じ場所で同じ声で、糸に朝の挨拶をする。

     糸もいつもと同じ声と笑顔で、真琴に朝の挨拶をする。




     ――――― 糸に嘘を付いてしまった。

     それ以上に、糸に真実と告げるのに千載一遇の機会を逃したのかもしれないという
     後悔の念と戦うことに憔悴しきった真琴だが、
     そんな空気は微塵も見せずに気丈に学校に来ていた。

     ――――― 糸さんから離れたくないと思う一途な願いからかもしれない。

     その反面、自分でも知らずに、
     この現状にもう耐えられないかもしれないという局面を迎えていた真琴は、
     少しでも長く糸の姿を焼き付けておこうと思ったのかもしれない。
     真琴から掛ける糸への挨拶は、その日を覚悟した精一杯の虚勢であるのかもしれなかった。




     いつもと変わらないように見える真琴の声と姿に、糸は勝手に緊張していた。
     糸には、真琴の顔を見る度にどうしても思い出してしまう言葉があった。

     ――――― 許婚 ―――――

     真琴のことを思い出したとしても、
     あの小さいけれども意思の強そうな女の子とどう向き合えばいいのだろう?

     茜は彼女のことを「父親の決めた許婚」と説明してくれていた。
     父親との賭けに勝たないと、真琴はきっとあの女の子の元へ行ってしまうのだろう。
     真琴はいつかのように、あの華奢な女の子の体を抱き締めてしまうのだろう。

     そう思った瞬間、糸の胸にこれまで感じたことのない痛みが走った。
     真琴と隆世が距離を置かずに寄り添っている姿を思い描いただけで、糸の胸は締め付けられてしまうのだった。

     
     ――――― あたしは、どうしたらいーんだ?


     真琴本人の知らないところで、真琴の秘密を知ってしまった糸は、
     真琴へ真っ直ぐに向かっている自分の大きな感情を抑制できずに困り果てていた。
















     「三浦さん」


     その日の放課後、
     部活へ向かう途中の廊下で、糸と真琴は飯塚隆士に呼び止められた。


     「聞いたんでしょ?」

     「マコトくんが男だってこと」


     「!!」

     「・・・・・なっ!」

     突き返す言葉を見失って糸が固まる。
     何も知らない真琴も顔を強張らせる。


     幸い、辺りに人気は無い。
     無駄な騒ぎを控えたい飯塚隆士は、声を掛ける機会をうかがっていたのだろう。
     飯塚隆士は、目的を果たすためには思慮深い策士でもあった。


     「僕も 一応 何でもできちゃうのでね」


     金の力で非常識な世界へも簡単に手を伸ばしてしまえる飯塚グループの御曹司。

     真琴の父親があんな写真を撮っているのなら、
     糸と茜の密会を追いかけることは容易かったのであろう。

     「そんな格好でみんなを騙しているなんて汚いじゃないか?」

     「しかも自分の都合のいい未来だけを予定して」
     
     隆士から鋭く放たれた言葉に、
     真琴の表情が厳しくも悲しく凍りついた瞬間を糸は見てしまった。





     ――――― 真琴はまだあたしがその真実を知っていることを知らない





     「女でも男でもいいっ!」


     「あたしには真琴が必要なんだっ!」





     驚くほどの大きくチカラの込められた声が、糸から出ていた。





     少し離れたところに居たらしい生徒達も、糸の大声に反応して近付いて来る気配がした。


     「・・・・・まだ そんな戯言を言っているのかい?」


     意外な糸の剣幕に驚いたのか、隆士の声が上擦っている。


     「こんな無謀な賭けが通る訳が無い」

     「マコトくんは遠かれ早かれ許婚の隆世の元に戻ることになっているんだ」


     「ふざけんなっ!」


     【許婚】という言葉に糸が異常に反応した。
     その興奮と激怒ぶりは、真琴は勿論、糸本人にも自覚の無いままに。


     「決めるのはお前じゃないっ!あたしでもないっ!」


     「決めるのは真琴だっ!」



     真琴の脳裏に、記憶を失う前の糸が言い放ってくれた台詞が重なる。



          ――――― 「 まちがえるな!!」



          ――――― 「 決めるのは真琴だ!】





                 ああ  糸さんはやっぱり糸さんだ





     真琴は、糸から発せられた台詞を、過去の台詞と重ねて噛み締めていた。
     あの時も、糸は、こんな姿で隆士に何も言い返せない自分を庇ってくれた。

     記憶を無くしていながらも、自分を守ってくれようとする今の糸に、
     どれほどの信頼と好意を抱いているのか、真琴自身にも知る術は無かった。





     糸の怒声と集まって来る人の気配を察して、
     この場でのいざこざを好まない隆士は、素早く立ち去って行った。















     「糸さん ありがとう」

     やっと部室に辿り着いたふたりは、息をついた。
     部室に誰も居ないことを確認すると同時に真琴が糸にふわっと抱き付いた。

     「ま・・・・・まこ?」

     糸は自分に絡まるこの真琴とどう接していいのか、
     全く分からずに棒のように立ちすくむ。




     自分より少し背の低い少女。
     しなやかな金髪を揺らし続ける可憐な少女。


     ――――― 本当に こいつは男なんだろうか?


     そう疑いつつも、見つめられるだけで体が固まってしまうのに、
     不意に抱きつかれてしまった糸の心臓は、
     壊れそうなほどにこれでもかと速い脈を打ち続けている。

     全身の血の動きを感じながら、糸は真琴への不思議な気持ちを整理できずに居た。


     ――――― あたしはどうしたらいいんだ?


     ずっと男の子のように、女の子に異性として慕われていた糸にとって、
     自分が男の子を慕うということがどういう気持ちになるものなのか。

     初めて、異性として真琴に抱いた感情すら記憶と共に無くしてしまった今の糸には、
     何もかもが初めての経験として、戸惑いだけが波のように襲い掛かっていた。















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     ===空白のとき===[19]===


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     ===空白のとき===[20]=== へ、続きます。





     ここまでお付き合いくださってありがとうございました。

     もう終わると期待してくださった皆さまに、お詫びいたします。
     まだ終わりません。

     ここで終わりたかった・・・・・・(本音)。


     最後まで見守ってくださる覚悟を決めてくださった皆さまに、御礼申し上げます。
     私も決めてある最後まで辿り着くよう気合い入れますです。
     ・・・・・ガラスの仮面状態か? ちがいますっ!(奮起)

     アンケートや感想が凄い後押しをしてくれてます。感謝ですvv
     読んでくださるだけでも、すごくすごく嬉しいですvv
     ありがとうございます。Wジュリばんざいっ!ですvv


     (2007.06.08)