===空白のとき===[18]===







     「真? 入るわよ?」


     椿から預かった荷物を持った茜が、不審そうに鍵のかかっていない真の部屋へ入って行く。

     警戒しながら部屋に上がった茜は、人の気配を感じて身構えた。
     視界の先に、真琴の姿のままで真がうなだれて座り込んでいた。


     「どうしたの?」


     真が真琴の姿で長い黄色の髪を顔に被らせたまま、ゆっくりと顔を上げる。

     その憔悴しきった顔に、茜は驚いた。


     「真?」


     あの気丈な弟がこんな状態になるなんて。

     原因はひとつしか思い当たらない。


     「糸さんと 何かあった?」


     「・・・・・姉さん」


     真はおもむろに茜に抱き付いた。


     誰かに支えてもらいたかった。
     誰かに支えてもらわなければならなかった。

     自分を自分で支えるために。
     自分の夢を叶えるために。

     こうまでして叶えるべき夢なのか?
     糸を遠ざける真似をしてまでも?
     そんな底の無い疑念すらを抱きながらも・・・・・。





     茜は優しく真を抱き留めながら、床に落ちていた写真に目を奪われた。

     ――――― これは?

     ――――― 真?

     ――――― でも、どうして?





     茜に髪を撫でられて落ち着いた真琴が、茜に事の次第を打ち明けた。
     ここから糸を見送った天野真琴の姿のままで。


     糸が思い出してくれることを信じて待ち続けるつもりだった。
     覚悟はあった。
     その覚悟を執拗に揺るがすように邪魔をして来る飯塚隆士の存在にも負けないつもりだった。

     だが、女装して毎日をびくびくと過ごすだけでも、真にとっては緊張の連続であるのだ。
     そんな緊張感の中で、記憶を無くした糸までを守ろうとする真の精神に限界が近付いていた。







     「そんな格好をして居られるのも 今のうちだけだよ」


     ――――― いつまでも そんな女の姿で居られると思わないことだよ


     あの時、隆士は虚構のような真琴の長い金髪を見送りながら、口元だけでにやりと笑った。


     ――――― 騙されていることが どんなに苦しいものなのか

     ――――― 君も知っておくといいよ?

     ――――― 少なくとも君は 今の三浦糸を騙していることになるよね?


     記憶を無くした糸に女の子として同性として接している真琴に向けられたその言葉は、
     今の真琴の心を打ち抜くのに寸分の狂いも無かった。


     今の真琴は、糸を欺いているのに違い無いのだから。


     真琴が自分を守るために張り巡らせていた厚い壁は、
     糸という存在を以って攻められるには、あまりにも薄く儚いガラスの板であった。







     茜には、糸が真を忘れたこと以外は何も変わっていない確信があった。
     きっと、今の糸に今の真の賭けと状況を話すことで味方になってくれるとも思えた。

     だが、早々に、以前に真の正体がバレたような都合の良い偶然があるとは思えなかった。

     今の生活の中で、真が糸に女装の理由を告げることは危険極まりない。

     真に家を継がせたい父・真澄が、
     どんな手段を用いて真の賭けを邪魔しようとしているか計り知れないのだ。

     それは家を家族を愛するが故の行為であったのだが、
     真には伝わっていなかった。
     きっと茜にも真意は伝わっていなかったのかもしれない。 

     真が糸に真実を告げた証拠を僅かでも握られたら、
     真は賭けに負けたことで家に一生縛られることになる。

     家を継ぐ事は悪いことでは無いと、真も茜も本心では理解していた。
     だが、成長の過程で見える世界が広がるにつれて、
     それぞれに異なる未来と夢を見るようになってしまったことも否めない。

     だからこそ、こんな無謀な賭けを貫こうとする弟を応援したいと茜は思っていた。

     父の執念深さは、茜も知っている。
     それは、真よりも長く一緒に居る血の繋がりによるものかもしれない。


     ――――― その父を欺くことができるだろうか?

     茜は真の葛藤を受け止めながら、真のために今の自分にできることを必死に模索していた。

     茜はいつまでもひたすらに真の味方であった。










     ――――― 真琴は女の子だったんだ


     糸は自分の感情がどんな種類に収まるのか、
     どんな方向に向かって行くのか、全くわからずに戸惑い続けていた。


     ――――― 真琴が女の子だったことにがっかりしている?

     ――――― どうして?



     ――――― 真琴が男の子だったら良かったのか??

     ――――― どうして?



     回り続ける問い掛けを繰り返しても、答えは見えない。


     「あ〜〜〜っ! もう! わかんねーっ!」


     糸はさっさと考えるのを止めて、布団を被って寝てしまった。

     それでも音の無い筈の夜の静けさが、何故か眠りを妨げていたのだった。









     ジリリリリリリリリリ

     「起きな 糸」

     
     結局、いつ眠りに落ちたのかわからないが、
     いつものけたたましい音の目覚ましと、兄の声で覚醒した糸。
     たっぷり眠れたらしいことは、目覚めの爽やかさが証明していた。
     昨日のことが、まるで夢だったかのように遠くに思い出されたのかもしれなかった。


     「おはよう 糸さん」

     「おはよ 真琴」

     お互いに昨日のことには何も触れずに挨拶を交わす。

     「今日の部活は?」

     「ああ 後で連絡するから」

     「うん わかった じゃあね」

     真琴はいつもの綺麗な笑顔で手を振りながら、自分の教室に向かって去って行った。

     糸は真琴の後ろ姿を鼓動を早めて見送りながら、
     ふと手をやったポケットに例の写真が無いことに気付いた。

     その瞬間に、昨日味わった言いようの無い感情が急に舞い戻って来る。
     真琴と言葉を交わしただけで早鐘を打っていた鼓動が、
     ますます速くなって行くのを、糸にはどうすることもできなかった。







     部活以外で真琴と居ることも話すことも、めっきり少なくなって数日が経っていた。

     親友だったと周りから言われても、糸に自覚が無い以上、
     これから真琴とどうやって接していいのかわからない。
     真琴も気のせいか、必要以上に糸に関わらないようにしているようだった。

     ぎこちない空気と時間だけが降り積もって行く。



     「糸さん」

     「え・・・?」

     糸はひとりになった帰り道で呼び止められ振り返った。


     ――――― 真琴のお姉さん・・・・?


     「こんにちは ちょっといいかしら?」

     「はい?」

     「糸さんと話したいんだけど 時間あるかしら?」


     ――――― 真琴抜きで? あたしと?



     疑問に思いながらも急ぐ用の無かった糸は、茜が誘うままに従って歩いた。



     糸は、行き交う人が多い通りの、人の出入りが多いカフェの窓際に茜と並んで座っていた。
     さほど広くない店内には、お喋りに興じて声を高くする女の子達や、
     時間を潰すように雑誌を開くOLやサラリーマンらしい姿で溢れている。

     茜は糸に気付かれないように周りに目を配ると、
     目の前に広がる大きなマジックミラーを通して見える人込みに視線を移した。


     「ねえ 糸さん」

     「はい?」


     糸の方を完全に向かないままで、茜がテーブルに1枚の写真を置いた。



     「この写真のことなんだけど」

     「あ これ・・・・・・」

     「・・・・・真じゃないって言われたのよね?」

     「え? はい」

     「でも これ 本当の真なの」

     「は?」

     糸は、すぐ隣から聞こえて来る茜の言葉の意味が、さっぱり飲み込めなかった。


     ( 真琴が真琴で真琴じゃない?? )

     何を言われているのか、頭の中で全く整理ができない。


     「騙していてごめんなさい」

     「真は男の子なのよ」

     「え? でも女だって・・・・・」


     「ごめんなさい 今のあの子はそう言うしかなかったの」


     ( 何? なんで? どうしてあの場で嘘をつく必要があったんだ?? )


     「・・・・・糸さん 私と真の家が どんな家か知ってる?」


     「? いいえ 」


     ――――― 本当に覚えていないのね


     茜は糸の記憶が欠落している事実に改めて直面し悲しくなりながらも、話を続けた。


     「私と真の家は拳法道場を開いているの
      私達は4人兄弟なんだけど、男の子は真琴しかいないのよ
      だから父は真琴に家を継がせたくて必死なの」

     長男が家を継ぐ。
     実際、糸の家の空手道場もきっと兄が継ぐであろう。
     糸には何の不自然さも感じられない話であった。


     「でも 色々あって 真は役者になりたいと言い出してしまったの」


     「・・・・・それは私のせいでもあるんだけど」


     そんな真の初めての反抗が、
     真が家出をした時に自分が誘った舞台が影響していることを茜は知っていた。
     そう気付いてしまった時から、茜は真の絶対無二の味方になったのだ。

     それは長男と言えども真に対してあまりにも横暴な父親に向かっての、
     茜自身も気付かないささやかな反抗の表れだったのかもしれない。


     「役者になる条件として 周りの誰にもバレずに高校生活を女の子として過ごす事が
      父から真に与えられた賭けの内容なの」


     「でも 糸さんは真が転校してすぐに偶然真が男の子であることを知ってしまったわ」


     ――――― 知らない


     「その後は 真の秘密を守って ずっと真を守ってくれていたのよ」


     ――――― 覚えてない


     ――――― そんなに重大な秘密を抱えていたことを あたしは覚えていないのか?



     「糸さんには 真のことが重荷だったのかもしれないわ」



     「ごめんなさい」



     ――――― 重荷? 本当にそうなのか?



     「じゃあ あの 飯塚隆士とかって言うヤツは・・・・・・」


     ぐちゃぐちゃになっている感情の中から、必死に問い掛ける糸に向かって、
     茜が言い辛そうに説明する。


     「・・・・・彼の妹の隆世ちゃんは 父が決めた真の【許婚】なのよ」



     糸の中で、バラバラに置かれていたパズルのピースが、少しずつ繋がって行くような気がした。


     それ以上に【許婚〜いいなずけ〜】という聞き慣れない言葉に、糸は体中を見えない敵に掻き乱されているような、
     どうにも落ち着かないざわざわした気持ちに襲われていた。


     ぎゅっと握った汗ばむ手を置いた自分の膝ががくがくと震えていることに、
     糸自身もまだ気付いてはいなかった。

















     *****************************


     ===空白のとき===[18]===


     *****************************











     ===空白のとき===[19]=== へ、続きます。





     ここまでお付き合いくださってありがとうございました。

     アンケートでポチっと押していただく度に、
     続きを・・・・・・続きをっ!
     と、私自身が飢餓状態に陥ってます。(恥)

     いつまで続くのか私にもわからないのですが、
     決めてある最後までなんとか持ち応えたいと思いますので、
     覚悟を決めた方のみ、お楽しみください。

     すでに、爽やかにひとり上手になっている気もしますが。。。

     読んでくださっているアナタに心よリ感謝いたします。
     そして続きを求めてくださるアナタに、更なる「ありがとう」が伝わりますように。


     (2007.05.28)