===空白のとき===[14]===







     「開演まで30分よ」

     「みんな もう一度自分の出番を確認して!」


     緊張した面持ちで、部員のそれぞれが自分の役割のチェックを怠らずに動いている。

     真琴は糸と手を繋いだまま、舞台の袖に立っていた。

     部室荒らしが入ってからの演劇部の評判は、がたがたに落ちてしまっている。
     新入生が恐れるのも無理は無い。

     それでも、その部室荒らしは仕組まれたことであり、演劇部には何の落ち度も無いことを、
     真琴だけは心の何処かで確信していた。

     だからこそ、この勧誘会で部員を増やして演劇部を存続させなければならないのだ。


     ――――― この勧誘会が上手く行けば 全部上手く行く

     ――――― 演劇部が無くなることもないし そうすれば転校しなくて済む

     ――――― 一緒にいれば 糸さんだってきっと思い出してくれる


     真琴の確信はただの願望でしか無かったが、叶うことを信じている限り希望を見失うことは無かった。

     真琴は糸の手を握ったまま真っ直ぐに前だけを見据えていたが、ほんの一瞬だけ視線を糸に移した。

     横に居る糸はずっとうつむいたままである。


     真琴が男かもしれない疑ってからは、秘密の共有が糸の心を懐柔させてしまったようだった。
     真琴を男と思って見ている自分に気付くと、何故か恥ずかしくてたまらない。

     心なしか真琴の視線も今までとは違った熱っぽさを帯びているような気さえして、
     糸は顔を上げることが出来ずにいた。



     固くつながれた手は、本番の合図と共に、名残惜しそうにそれぞれの場所に戻って行った。







     ――――― 開演 ―――――





     ――白鳥の湖――


     「王子! どこまで行くんですか?」

     金色の髪を風に揺らしながら、息の上がった馬を置いて森の奥へ進む若者。
     意に添わない婚儀を迫られた一国の王子のささやかな抵抗であった。

     「王子!待ってください!」

     必死に止めようとする家来の声に答えるつもりも無い様子で、
     夜も更けようとしている暗い緑の世界へ、王子は真っ直ぐに突き進んでいた。

     やがて、後ろからの声も聞こえなくなった頃、目の前に湖が広がった。
     初めて目にする湖なのであろう。周りの木々にも湖の光景にも何の記憶も重ならない。

     その湖には数羽の白鳥が、薄い闇夜に白く浮かびながら優美に水面を流れていた。

     「?」

     優雅な白鳥達の集う光景に見入っていた王子は、その白鳥の中に一羽だけ金の冠を頂いた白鳥に目を留めた。

     「なんて美しい・・・・・」

     容赦無く黒く暗くなってゆく闇をも恐れずに、王子はその特別な白鳥に目を奪われていた。

     その王子の傍らで弓を引く音がした。

     「?」

     「あの珍しい白鳥を仕留めてご覧にいれます」
  
     追い着いて来た家来のひとりが、冠を被った白鳥に向かって、弓矢を構えた。

     「やめろ!」

     王子が言うのが早いか、弓が放たれるのが早いか。

     「!!!!!」

     王子の目の前で、今まさに弓を放とうとしていた家来がみるみるうちに石になって行く。

     バサバサバサバサッ!

     驚く王子を嘲笑うかのように、一匹の大きな梟が枝を蹴って飛び立って行った、

     「王子! この森は呪われてます!」

     石になった家来の隣で、もうひとりの家来が叫んだ。

     「あの白鳥の仕業です!」

     「・・・・・まさか」


     信じられない出来事に呆然とする王子達を無視したまま、とっぷりと周りが闇に覆われた頃、
     白鳥たちが冠を頂いた一羽に別れの挨拶をするようにくちばしをすり寄せては、何処かへと去って行った。

     残された一羽は、まるで決められた水面の道を歩くかのように静かに泳ぎ出した。
     王子は思わず、家来を再度振り切ってその後を追った。


     見たことも無い城のふもとへ着いた次の瞬間。
     王子の目の前で、あの白鳥がまばゆい光を放ちながら人の姿へと変わっていった。

     「・・・・・あれは!」

     その姿は、白鳥の時と寸分違わぬ程に、美しく気品を保ったままの少女の姿であった。
     変貌を遂げた少女が白いドレスの裾を引いて、見知らぬ城に入って行きそうになった時、

     ガサッ

     身を乗り出した王子が触れていた枝が大きな音をたてた。
     不思議そうに振り返り王子を見つめる少女。
     そんな少女に目を奪われる王子。

     「あなたは?」

     「わたしはジークフリードです」

     精一杯の平静を装って名乗ったはいいが、溢れる疑問を堪えきれない王子は少女に詰め寄る。

     「あなたは? あなたは白鳥ではないのですか?」

     一瞬はっとしてから困ったようにうつむいた少女が小さく口を開いた。

     「わたしは オデットと申します」



     魔法使いの歪んだ愛情により、白鳥にされた上に幽閉され続けるとある国の美しい王女オデット。
     夜だけ人の姿に戻れるオデットの姿に一目惚れしたとある国の王子・ジークフリード。
     ふたりの偶然の出会いは物語の必然となって話は進む。


     「その呪いを解くには どうすれば良いのですか?」

     「わたしを愛すると誓ってくださる方が現れれば 魔法は解けるのです」

     「本当なのですか?」

     「ええ わたしをここへ連れて来たときに そう言われました」

     「オデット 明日の舞踏会に来てください!」

     「わたしは・・・・・・あなたを妃に選びます」

     驚きに声も出ないオデットの前に跪き、その手を取るジークフリード。

     そんな密会を、オデットを独り占めする魔法使いのロードバルトが梟に姿を変えてじっと見つめていた。
     オデットを手放すことなど、あり得ない。
     そんな意志を込めた不敵な笑みと気味の悪い鳴き声を撒き散らしながら。


     やがて、王子は舞踏会にやって来たオデットの偽者、
     ロードバルドの娘であるオディールとの愛の誓いを宣言してしまう。


     その現場を見てしまった舞踏会に遅れて現れたオデットは、絶望の中でジークフリードに事実を伝える。


     「王子 その方は偽者です」


     ――――― 天野真琴は女の子ではない


     糸の頭にいきなりの頭痛が走った。

           ・・・・・・・・ こんな時に なんで・・・・・・ ?


     冷汗と頭痛を堪えつつ、糸は演技を続ける。


     オデットを取り戻すべく、巨大な魔法使いに立ち向かうジークフリード。
     だが、その力の差により王子の剣を弾き飛ばされ、魔法使いの刃が王子の喉元に突きつけられた。

     「やめて!」

     「さあ オデット わたしを愛すると誓ったら 王子を助けてやろう」

     「・・・・・わたしは ロードバルトさまを」

     「やめろ! オデットを渡すくらいなら このままこの胸を貫いた方がましだ」

     「この世でふたりの愛が叶えられないのなら 誰にも邪魔されない世界へ行こう!」


           ――――― 私の居場所はここだから


     ジークフリードは自分に突きつけられていた剣を奪い取り、何の迷いも無く自分の胸に突き立てた。

     「いやあああああっっ!」

     オデットの叫びも空しく、ジークフリードの胸には深深と剣が吸い込まれて行く。
     同時に、剣を受け止めるジークフリードの胸から眼も眩むような強い光が激しく噴き出した。
     
     「おわああああああああっっ!」

     「ぎゃああああああああっっ!」

     眩い光は魔法使い達の最期の悲鳴を包むように大きく広がって行った。




     長い暗闇と沈黙の後、離れて横たわっていたジークフリードとオデットはゆっくり目を醒ました。
     魔法使いも城の姿も何処にも無く、眩しい程の陽がふたりの周りに溢れている。

     「オデット?」

     「ジークフリードさま!」

     ふたりは静かに立ち上がり、どちらからともなく駆け寄り固く抱き合った。








     部室荒らしに襲われ、入部を躊躇われるという疑念の中で幕を開けたこの舞台は、
     いつしか糸と真琴の演じる王女と王子の純粋な恋物語と成就し、
     見ている観客の誰もがその切ない世界へと引き込まれていた。



     真琴が演じる王子の清らかで真っ直ぐな愛情が、糸が演じる王女に向けられる。
     演技だと解っているのに、差し延べられたその腕に全てを委ねたくなってしまうような強い視線。
     糸は初めて、心底、自分は女の子を演じているのだという実感に包まれていた。


     それは、真琴自身から放たれる糸を離さないという強い意思を、知らぬうちに感じてだったのかもしれない。






     ――――― 体育館が割れんばかりの拍手が起こった。

     その場の誰もが、王子と王女の奇跡の生還に賞賛の拍手を送っていた。

     温かい拍手の中で、舞台の上で抱き合うふたりを静かに包み隠すように幕が下りた。




     ――――― 終演 ―――――





     幕が下りた舞台の上で、真琴が糸を解き放とうとしていたその時、
     真琴に抱かれたままの糸の目からほろほろと涙が零れ落ちた。

     ――――― あたしは真琴の何を知っていたんだ?

     ――――― 真琴はあたしの何だったんだ?

     ――――― もっともっと真琴のことが知りたい。

     失った記憶を取り戻すことよりも、今、この目の前に居る真琴のことが気になって仕方が無い。
     元より記憶を失った自覚の無い糸には、自分が知っていたかもしれない過去の真琴への興味は薄かった。
     それよりも、今、この目に映るたったひとりの真琴自身に心の底からの興味が注がれていた。
 
     「糸さん?」

     突然の糸の涙に戸惑う真琴の袖をしっかりと掴んだまま、糸は、しばしの間声を殺して泣き続けていた。




     ********************



     部員達の渾身の演技と情熱が、部室荒らしによって地に落とされたイメージを払拭し、
     目標を越える数の入部希望者が集まった。

     これで演劇部の廃部は免れて、部員の皆は大喜びである。
     だが、糸の胸中は複雑に曇っていた。


     あの舞台以来、真琴のことが気になって仕方が無い。

     ――――― 男なのかもしれない

     そう思うと、真琴の姿をそれまでのように自然に見つめることが出来なくなってしまう。
     糸の中に、新たな真琴への感情が芽ばえている証拠だったが、まだその不思議な気持ちを自覚してはいなかった。












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     ===空白のとき===[14]===


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     ===空白のとき===[15]=== へ、続きます。



     お付き合いありがとうございました。

     今回、参考にしたのは、東映アニメ映画の【白鳥の湖】。
     大好きな純愛物語でございます。
     これがまた、絵が綺麗でたまらんのですvv
     私の金髪美少女好きの原点か?と言われました。
     考えたことも無かった・・・・・・・。(驚)

     終着駅は見えてるのに、途中の線路が見えません。
     なので、まだ続きます。

     この後も、許せる方のみでお楽しみください(礼)。



    
      今日は絵夢羅先生のお誕生日です。おめでとうございますv
     (2007.03.19)