===空白のとき===[12]===







     「そこに誰かいるのか?」


     ふと人の気配を感じて問い掛ける。
     思い通りにならないマコトへの憤りを募らせていた隆士は、
     つまらないテレビ番組の放つ禍禍しい明かりの前に居た。
     だが、そこに座っているだけでその目は何も見てはいなかった。

     薄暗い夜の闇の中に神経を注ぐと、小さな細い人影がそこに見える。


     「隆世?」

     「お兄さま」
     「どうした? 眠れないのかい?」

     妹の隆世は、なかなか熱が下がらないので、今日も一日ベッドに縛られていた。

     「お兄さま マコトくんにこれを渡したいの」

     隆世は、病床で作り続けたたくさんの紙ふぶきが入った箱を抱えて隆士に話し掛けた。

     「・・・・・たくさん 作ったんだね」
     隆世が大切そうに抱える箱の中を覗きながら、優しい声で答える隆士。

     隆士はどこまでも、自分が隆世の理解者であり、マコトとの仲を取り持つ兄で居なければならない。
     そうでなければ、隆士自身の存在が霧のように消えてしまうような気さえしている。
     それ程に、隆士にとっては自分が護るべく隆世が己の総てであった。


     「わかった」

     「明日も熱が下がらないようなら 僕からマコトくんに渡そうか?」

     隆世が小さなその願いを切り出す前に、全てお見通しというような表情で隆士が微笑む。

     「ほんと? ありがとう お兄さま」

     隆士の笑顔と申し出に、隆世も心からの喜びを笑顔で返した。
     隆世から兄への絶対の信頼感が、そこに溢れていた。
     これまでも兄の隆士は、絶対に妹の隆世を裏切ることはなかったのだから。







     演劇の練習に没頭する部員達が、ばらばらに行動する時間を見計らって、飯塚隆士が真琴に近付いた。


     「何の用ですか?」

     周りに配慮して女の声を崩さずに、しかし凍るような冷たい声で真琴が訊ねた。

     「この前のことは悪かった」

     「・・・・・・・?」

     「だから 隆世に会いに来てくれないか?」

     「隆世ちゃんに?」

     「このところ ずっと熱が下がらなくて外出できないんだ」

     隆世は今日も熱が下がらず、大事を取って横になっているらしい。
     隆世の体の弱さは真琴もよく知っている。
     隆世のことに関して、隆士が嘘をつくとは考えづらかった。

     「隆世が君に会いたがっているんだ」

     隆士が糸に行った行為は許せなかったが、隆世には関係が無い。
     実際、親が決めた許婚とはいえ、真琴は隆世のことを嫌ったり疎ましく思ったことは無かった。
     それどころか、糸が自分のことを忘れてしまっている今、
     真琴の全てを知る味方と呼べるのは、隆世しか居ないかもしれない。

     真琴には、隆世に対する隆士の誘いを断わる理由が見当たらなかった。
     真琴にとっての隆世は、隆士の行動の免罪符にも近しいものだったのかもしれない。






     「マコトくん 来てくれたのね」

     「お兄さま ありがとう」

     「よかったな 隆世」

     隆士は妹以外の誰にも向けないような柔らかい視線で隆世に微笑むと、
     喜ぶ妹に気付かれないようマコトに目配せをした。

     ――――― ここでは余計なことは言うなよ?

     「じゃあ お茶を入れさせて来よう」





     隆士を扉の向こうに見送ると、隆世はベッドに座ったまま嬉しそうに真琴に話し掛けた。

     「ここでは女装しなくてもいーのよ?」
     「うん でも これは父との約束だから」
     「・・・・・そうね」


     「でも ちょっとだけでいいから本当のマコトくんを見たいわ」
     「え?」
     「・・・・・だめ かしら?」

     弱々しくねだる隆世を無碍にも出来ず、真琴は少しだけなら・・・・と長いウィッグを外した。





            カシャ・・・・・・


            何処からか微かなシャッター音が響いたが、真琴にも隆世にも他の誰にも気付かれることはなかった。







     「お兄さま 今日はありがとう」
     マコトに丹精込めて作った紙ふぶきを直に渡すことが出来た隆世は、上機嫌で隆士に礼を言った。

     「マコトくんを連れて来てくれるなんて思わなかったわ」

     「僕が渡すよりお前が渡した方がいいに決まっているだろう?」

     「お前はマコトくんの婚約者なんだから」

     「・・・・・そう・・・・かしら」

     兄の口から出た、婚約者という響きを意識したのか隆世は頬を赤らめた。

     「やれやれ やっと熱が下がったのに またぶり返したのかい?」
     「・・・・・お兄さまの意地悪」

     隆世はぷっと膨れて真っ赤な顔を布団で隠してしまった。
     隆士は笑いながら、こんな幸せそうな隆世の姿を見るためなら、どんなことでも出来ると確信していた。







     各部の存続を賭けた新入生勧誘会まで、あと1日と迫っていた。
     演劇部員達は、最終確認をするべく、それぞれの役割が担う雑務に追われていた。

     糸も真琴も、それぞれが関わる箇所のチェックを入念に行っていた。

     小道具の綻びを見つけた真琴が、直して来るからと体育館を出て部室に向かったので、
     自分の手持ちの確認を終えた糸が、ステージの方を手伝おうと歩き始めた。



     「三浦くん」

     不意に体育館の脇の入り口から、自分を呼ぶ声が聞こえた。
     いぶかしそうに声のした方へ向かうと、そこには糸が捜していた飯塚隆士と皆が呼ぶ男が立っていた。

     「おまえっ」

     糸はこの男による自分と真琴への卑劣な行為を全く許しては居なかった。
     狙われたのは糸だったのかもしれないが、結果的に真琴を危険な目に合わせたのである。
     沸沸と怒りが込み上げるのも当然だった。

     「あたしに何の用だ? どういうつもりだ?」

     鋭い視線と声で、あの時と同じようにしれっと笑いながら立っている隆士に近寄りながら問い掛ける。

     「これを見てくれないか」

     隆士が糸の怒りにこれっぽっちも動じずに、一枚の写真を見せた。
     何処か女の子の部屋らしい場所に、ふたりの人物が写っている。

     「これ 誰かわかる?」

     長い黒髪の女の子と短い金髪の女の子が写っていた。
     ひとりは何度か見知っている真琴の友人らしい。
     もうひとりは。


     「真琴か?」

     「でも 髪が短いし・・・・・」


     首を傾げる糸に、隆士が勝ち誇ったように説明を始めた。

     「あの時 僕が切ったのは 地毛 つまり本当の髪の毛だったんだよ」


     糸は怪訝そうな顔のまま、写真から隆士の口元へ視線を移した。

     ――――― こいつ 何言ってんだ?



     「そして もうひとつ」


     「天野真琴は 女の子じゃない」


     「本当の君は もうとっくに知っている事だと思うけどね?」




     糸が騒ぎ立てて真琴の正体がバレれば、父・真澄との約束が果たされなくなる。
     そうなれば、真琴は真として実家に戻り跡を継ぎ、隆世との婚約はそのまま有効になるだろう。
     演劇部が無くなって、他の学校への転校という方法もあるが、
     それでは卒業までかかるかもしれない時間がまどろっこしい、と隆士は判断したのだ。






     ――――― さあ みんなの前で マコトくんに問いただしてくれるよね? 三浦くん

     ――――― これも全部 隆世のためなんだから 頼むよ?





     「こんな写真をあたしに見せて 何がしたいんだ?」

     「お前に髪を切られた後で撮った写真なんだろ?」

     「だったら短い髪で居ても当たり前じゃないか?」

     「 ! 」

     予想もしなかった糸の落ち着いた反応に、隆士は驚きを隠せない。


     「こ この写真のマコトくんを見ても なんとも思わないのか?」

     「髪が短くても長くても真琴は真琴だろ?」



     「そういうことじゃなくて・・・・・・・!!」

     思い通りにならない糸の言動に、隆士の冷静さはどんどん失われて行く。

     ――――― こんな筈じゃないだろ

     ――――― この女が 彼の正体を公衆の面前で暴いてくれることになっていたのに


     糸の中では、真琴のことよりも隆士への憤りによる関心の方が強かった。
     糸が自分にどれほどの不信感を抱いているのかを、省みなかった隆士の目論見が外れたのだ。


     「本当に覚えてないのかっ?」

     「何をだよ?」

     「マコトくんのことだよっ!」

     とぼけたように答える糸に、隆士がついに声を荒げた。
     だが、ふざけている訳も無く本心から答えている糸には、隆士の思惑がさっぱり読み取れない。


     「何言ってんのか わかんねえよっ!」

     とうとう、糸も隆士の激しい高揚につられるように大声を出した。





     バサ―――ッ

     「三浦ぁ?」

     「糸さん? どうかした??」

     大道具の確認をしていた与四郎と美咲が、
     ふたりの言い争いに気付いて、ステージの奥から幕を上げて顔を出した。


     ――――― ちっ

     隆士は、そのまま舌打ちするとそれ以上何も言わずに、糸の前から足早に立ち去って行った。
     糸を見つめていた怒り狂う鬼のような形相のままで。




     「糸さん? 何かあったの?」
     美咲が心配そうに、立ちつくす糸に向かって声をかけた。

     「いや なんでもない」

     糸は隆士に見せられた写真を、さっとズボンのポケットに仕舞った。
     何故か、誰にも見せてはいけないような気がしたのだ。

     「今 そっち手伝うから」

     そう言った糸の脳裏には、髪の長い真琴と写真の中の見知らぬ髪の短い真琴が交錯して笑っていた。










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     ===空白のとき===[12]===


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     ===空白のとき===[13]=== へ、続きます。



     しつこいですが、フィクションです。
     私のWジュリ妄想の産物のひとつです。

     ここまで読んでくださって、大変ありがたく恐縮でございます。陳謝。

     恐ろしいことに続いてしまうようですので、気ままに気長にお付き合いいただけると幸せです。



    
    
     (2007.02.13)