===空白のとき===[11]===







     「ところで 真」

     「なに?」

     「当日は 何時頃行けばいいのかしら?」

     「そうだね 10時から本番だから 早く来てくれると助かるけど」

     「姉さん 仕事は本当にいいの?」

     「その日は夕方からだから 朝早くても大丈夫よ」

     「わかった 確かめてみる」



     「ねえ 真」

     「なに?」

     「糸さんは・・・・・・まだ・・・・・変わり無いの?」



     「うん」

     「そう」



     「・・・・・・・じゃあ またね」


     茜はケータイを閉じると、独りぼっちで今を過ごしている真のことを一層気にかけた。
     どんなに落ち込んでいるだろう?
     電話を切って意思の疎通を切断してしまったことで、心配に拍車がかかる。
     独りにしておいて大丈夫だろうか?

     真が父親との賭けを決めて桜ヶ丘高校に転入した時には、真は独りぼっちだった。
     そのことを思えば、今の状況も大事ではないと思われる。

     だが、真は糸と出会って、あろうことか糸に女装していることを知られてしまった。
     言い換えれば、糸はいつ真の敵に変わってもおかしくない立場に立ったのだ。

     糸はそんな茜や真の懸念を吹き飛ばすように、
     自然に真正面から真に向かって来てくれた、得難い心の支えとなる女の子であった。

     それ程に茜と真の抑圧された世界に入り込んでしまった糸だからこそ、
     いっそ、真はもう糸のことは諦めて転校してしまった方が良いのではないのだろうか?
     役者になるために、演劇部のある学校で女として卒業さえすればいいのだ。
     父親との約束の中に、桜校でなければいけない理由は無い。

     そんな考えも浮かんだが、糸から真への想いも知っている茜には、
     今の状態の中で糸から真を引き離すことは到底できない。

     明日、いや今にも糸が記憶を取り戻してくれるかもしれないという希望を、茜も持っていた。

     隆世への真の優柔不断な態度に、自信を無くしていた糸を勇気づけたこともある。
     あの時ばかりは、茜は真よりも糸の味方だった。

     真と糸。ふたりの未来を思うと小さな溜め息が漏れる。
     茜に出来ることは、糸が一日でも一時間でも一分でも早く、
     真のことを思い出してくれるよう祈るだけだった。
     茜もまた真と同様に、誰にも相談できずに独り思い悩んでいた。





     あの時、感情に任せて糸に自分の本当の姿を見せるべきだっただろうか?

     自宅で男に戻った真は、本当の自分の髪を少し摘んでじっと見つめていた。

     だが、糸は髪を切られた真琴の姿から記憶を取り戻すどころか、錯乱してしまっていた。
     目の前の光景を見て泣き叫ぶ糸に、それ以上の衝撃を真琴の口から告げることは出来なかった。

     たとえ過去の自分を忘れてしまっていても、糸を失うつもりは無い。
     たとえこの先も自分の記憶が戻らなくても、糸から離れるつもりも無い。
     糸は自分が生涯でたったひとり巡り会えるかけがえのない人間だと、真は少しずつ自覚し始めていた。

     だからこそ、きっと糸なら、
     こんな事情があったとしても、真が父親との約束を破って糸に正体を明かすことを絶対に許さないだろう。
     がからこそ、糸が記憶を取り戻した時に、自分が彼女の傍に居ない訳にはいかない。


     ――――― どんな糸さんでも オレが護るから

     ――――― 絶対に誰にも渡さない


     真琴の決意は誰にも知られることなく、新たに潔く固まって行った。







     チャプン


     天井から湯気がしたたり落ちる。

     (・・・・・真琴・・・ 大丈夫かな)

     糸はゆったりと湯船に浸かりながら、今日の出来事を思い出していた。

     思い出すのは、見知らぬ男にいきなり自分を庇って真琴が髪を切られたという事実だけなのだが。

     (あんなに綺麗な髪だったのに・・・・・)

     切られたのは地毛ではなくカツラなのであるが、真琴に関する記憶一切を無くした糸には解らない。

     笑顔で糸に接してくれた真琴を思い出し、すまないという気持ちが湧き上がって来ると同時に、
     気持ちが落ち着くにつれて、今日の事件についての真相がどうにも気になり出した。

     浴室の中の鏡は真っ白に曇っている。
     糸が手で擦るとその向こうに自分の顔が映ったが、あっという間に、蒸気に負けてもとの通りに白く曇った。

     白くなって何も映し出さない鏡に向かって糸が問い掛ける。

     (あの男 だれなんだ?)

     今の糸の記憶の中には存在しない男だった。

     (そこから確かめてみよう)

     糸は勢い良く水音を立てて湯船から出た。



     「湯冷めするなよー」

     部屋へ戻る途中で、いつものように居間から妹を気遣う竜矢の声が聞こえた。










     「こんなヤツ知らないか?」

     「・・・・・?」 
     「・・・・・・・・?」

     昨夜、必死に描いたらしい見知らぬ男、つまり飯塚隆士の似顔絵を手に、糸が部員達に訊いていた。

     「三白眼で 髪をこう真ん中で分けてて・・・・・」

     糸の説明はともかく、不思議な似顔絵が部員の証言を阻んでいた。
     一生懸命描いたらしいことは解るが、その線画から生きている人間の顔を思い描くのは、
     至難の技のような気にさせるらしい。

     真琴に訊ねるのが一番手っ取り早いと解ってはいたが、
     出来る限り真琴に昨日のことを思い出させたくは無かった。

     あの狂気にも似た男の目を思い出すだけで、糸の背筋に冷たいものが走った。
     あんなにも憎悪を剥き出しにされた眼で見つめられたのは初めてだった。



     「これって飯塚くんじゃない?」

     「誰だ?それ?」


     「え? 糸さんのクラスに編入して来た子よ」

     「は??」


     「そっか!」

     「真琴さんが編入して来た後だから きっと覚えてないのね?」

     「飯塚隆士 鳴西から転校して来たのよ」

     「飯塚グループのお坊ちゃまじゃなかったっけ?」


     「そうなんだ」

     「転校生か・・・・・」


     この学校に来てまだ日が浅いらしいその彼が、どうして自分に危害を加えようとしたのか?
     その中にどうして真琴が絡んで来るのか?

     助言をくれた皆の言葉を頼りに考えても考えても、糸の中には飯塚隆士の名前すら浮かんで来ない。


     (本当にあたしとこいつは同じクラスなのか?)

     記憶を失っている自覚の無い糸は、思い出せない自分よりも、
     存在感の無いこいつが悪いとでも言うような気持ちで、自分が描いた似顔絵をマジマジと見つめていた。



     「糸さん 与四郎くん ちょっといい?」

     真琴の声に、糸が慌てて似顔絵を折り畳んでポケットに仕舞った。
     糸より先に与四郎が答える。

     「なに?真琴さん」

     「勧誘会の日に姉さんが手伝いに来てくれるんだけど 何時頃に来てもらったらいいかしら?」

     「そうだな 三浦 どうだ? 女子の方が時間がかかるか?」


               ――――― 朝から4時間かかったわ


     つきーんと糸の頭に鋭い痛みが走った。


               ――――― ・・・・・から・・・・・・ったわ



     早くなる鼓動に合わせて、ずきずきと頭の奥が痛んだ。


     「えっ・・・・・と 悪い 美咲と相談して決めてくれないか?」

     「どうした? 具合悪いのか?」

     「糸さん? 顔色悪いけど?」

     「いや 急に頭が痛くなっただけだから ごめん ちょっと冷やして来る」


     「ついて行こうか?」

     真琴が心配そうに声をかけた。

     「だいじょうぶだって さんきゅ」

     糸は心配そうな真琴と与四郎に見送られて、小走りに体育館を出て行った。





     ――――― おまえ だれ?




     ――――― これはあたしの声?


     ――――― おまえって?


     ――――― だれに言ってるんだ?



     無意識に握り締めた手のひらにじわっと汗が滲んで来る。
     自らの問い掛けを追い求めるほど強くなる頭痛を振り払うかのように、
     廊下を走る糸の速度はどんどん増して行った。






             ――――― そこにだれかいるのか?










     *****************************


     ===空白のとき===[11]===


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     ===空白のとき===[12]=== へ、続きます。



     ・・・・・まだ続きます。

     読んでくださって、ありがとうございます。

     今回をお読みくださったということは、延々とお読みいただいているのでしょうか??
     ありがたいこと、この上無しにございません。

     そんなお心の広いWジュリ世界を熟知の方々を頼りに、
     本編を読んでいなかったら全く解らないであろう妄想世界を繰り広げております。

     更新期間は一定ではありませんが、地道に話はざかざか進んでおりますので、
     次の折にも飽きずに覗いていただけると幸せです。
     あちらこちらからの励ましも、本当にありがとうございます。
     妄想=創造の源であります。


     Wジュリばんざいっ!


    
    
     (2007.01.25)