===空白のとき===[10]===







     不敵な笑みを口の端に浮かべた隆士の前に、真琴が静かな怒りを秘めて立っていた。


     「どういうつもりですか?」

     「あれは 三浦くんの眼に前髪が入りそうだなって思って」


     真琴の片方の眉がぴくっと持ち上がった。


     「それで 少し切ってあげようとしただけだよ?」


     隆士の最もらしい最高にあり得ない言い訳を、真琴は冷静に聞いていた。
     怒りに震える真琴の綺麗な長い金髪は、ばらばらに切られてしまっている。
     真琴は静かに息を吸うと、いつもとは違う性の声を出した。



     「糸さんに何かあったら 貴方を殺すかもしれませんよ?」


     「僕達を いや隆世を裏切ったら許さないよ?」



     お互いを凍らせるような視線を交わし合って、ふたりは背を向けて歩き出した。


     ふたりの想いは、相手が違えども同じくらい純粋で正当なものだった。
     真琴は糸を、隆士は隆世を。
     同じくらいに愛しく大切に想い、自分の手で幸せにしたいと思っているに違いない。
     その希望を叶える為にも、お互いが必要であり不必要なのだ。





     ――――― もう 大丈夫だから・・・・・・


     鏡に映る青ざめた自分の顔が、心配そうな真琴の顔に変わる。
     静かな優しい真琴のあの声が耳にいつまでも残っている。
     同時に、髪をばさばさにされた真琴の姿も糸の脳裏に残ってしまっていた。

     しばらくして涙を止めた糸は、真琴と離れてからトイレで顔を洗って体育館に戻った。


     「糸さん おかえりー」

     糸が体育館を出た時から時が止まっていたかのように、皆がほぼ同じ位置で休憩しながら迎えてくれた。

     まるでさっきの出来事が、糸だけが見た白昼夢であるかのように。


     「ああ ただいま」
     「あれ? 真琴さんは? 一緒じゃなかったの?」
     「え?」
     「糸さんが出て行ってから すぐに真琴さんも出て行ったから」
     「そうなのか?」

     糸の戻りかけた血の気がさーっと引いた。
     さっきの悪夢は、どうやら現実らしい。

     ――――― じゃあ、真琴は?

     ――――― あんな姿になって今何処でどうしているんだ??

     ――――― あたしはいつ真琴と離れたんだ??

     糸の心臓が不安と心配でばくばくと高鳴り始めた。


     糸が自分だけが知っている真琴の哀れな姿を思い浮かべて困惑していると、

     「あ 真琴さーん」
     「ごめんなさい まだ休憩時間だった?」
     「うん 間に合ってるよー」

     真琴が笑顔を浮かべて、小走りで体育館に入って来た。
     何事も無かったように皆の方へ駆け寄る。

     その姿を見た糸は目を疑った。

     真琴の髪は、数分前にこの体育館で見た時と全く同じ。
     長くしなやかに揃いながら、真琴の動きに合わせて曲線を描いていたのだ。



     ――――― いったい何が起こっているんだ??

     目を丸くする糸に向かって、真琴が意味あり気に小さく微笑みかけた。






     ――――― あたしは夢を見たのか?












               「ねえ、糸さん、驚かない?

               「私の正体を見ても驚かない??

               真琴は長い金髪を頭から遠く離した手に抱えていた。

               顔は真琴のままだったが、金の髪が肩までしかない。


               「なに?それ?

               糸は真琴の手にある金の髪について質問したのだが、答えてはもらえなかった。


               「それでね

               髪の短い真琴が悪戯っ子のように笑って糸の手を掴んだ。


               「ちょっと触ってみて?

               糸には同性の胸に触るような趣味は無かったが、抵抗する間も無く腕を引っ張られた。

               「!!!

               なに?これ?

               真琴の胸は、自分のなけなしの胸よりも凹凸が無い?

               これって??

               「どういうことなんだ?

               「騙してて ごめんね


               「実はオレ 男なんだ


               !!!!!

               糸の驚きは声にならない。

               にっこり笑って男だと告げたばかりの真琴が言った。


               「ふたりだけの秘密にしてくれる?












     真琴が長い金髪をさらさらと揺らしながら、立ち尽くす糸の前に歩み寄って来た。


     「真琴・・・・おまえ その髪・・・・・」

     「驚かせてごめんね これ ウイッグなの」

     真琴がするりと指を長い金の髪に通した。

     「あの頭じゃ 皆もびっくりするでしょ?」

     何の心配も無いのよ?というような屈託のない笑顔で真琴が糸の質問に答える。


     ――――― そんなに都合良くウィッグを持ち歩いているのか?

     などという疑問は、立て続けにショックを受けている糸には生まれない。

     気持ちの整理がつかないような表情の糸に、真琴は微笑み続けた。
     糸のショックをほぐす言葉は見つからなかった。
     本当は、隆士に切られたのも女装するために使用していたウィッグなのだが、
     そこまで今の糸に説明する理由も真琴には見当たらない。


     真琴は隆士と別れた後、更衣室で予備のウィッグと身に付けていたばさばさに切られたものを交換した。
     その僅かの間には、これを好機と、糸に自分の本当の性を打ち明ける自分の姿が脳裏をよぎった。
     だが、誰かに女装生活がバレたら家に戻って跡を継ぐという父親との約束も、自分からは軽軽しく破れない。
     糸に正体がバレてしまったあの時とは、真琴の置かれた状況は余りにも違い過ぎる。

     少し過去に糸が真琴の本来の姿を知ってしまったことは、真琴の油断もあれこそ不可抗力な事態であった。
     糸はそんな真の生活の全てを理解して、自ら秘密にすると協力してくれたのだ。
     そんな糸は秘密を守るどころか、いつしか真琴の総てを守ってくれる存在になっていた。

     父親の仕向けた監視生活の中で、今の真琴が糸に正体を明かすことは絶対にできない。
     そんな危険を冒して、糸と引き離されることになる訳にはいかない。
     真琴からの暴露は一切無しで、糸に思い出してもらうしかないのだ。


     「わたしは大丈夫だから 心配しないで?」
     「・・・・・うん 」

     尚も不思議そうに自分を見つめる糸の視線に、真琴は必死に平静を保っていた。



     「じゃあ 各パートごとにチェックしましょう」

     伊藤先生の大きな掛け声に、部員全員が一斉に動き出した。



     真剣に稽古を続ける真琴の姿を、どうしても糸の目が追ってしまう。
     いきなり髪を切られたのだ。
     しかも何がどうなってなのか、本当に髪を切られそうになったのは自分なのだ。

     見知らぬ冷たい目をしたあの男の言動が、糸にはこれっぽっちも理解できないでいた。
     そして、真琴がそこまでして自分を庇ってくれたことの理由も、糸には見当もつかなかった。

     ただ、自分の代わりに大切な髪をばらばらにされてしまった真琴の気持ちを考えると、
     同性として気の毒でたまらなかった。

     ――――― 本当に平気なのか?

     男勝りとはいえ、糸の内面は普通の女の子である。
     あんな悲惨な目に遭った真琴に同情するのは当然のことであった。


     糸が心配そうに自分を見ているのが解る。

     ――――― さっき隆士に切られたのは本物じゃないから心配しないで?
     ――――― そんなことよりも糸さんが何もされなくて 本当に良かった。

     すぐにでもそう叫んで糸を抱き締めたい衝動を抑える。
     真琴を忘れてしまった糸に、今の自分を受け入れてもらえるかどうかは想像もできない。
     悲しい結末を否定できない未来への行動を、迂闊に起こす訳にはいかなかった。



     ――――― とにかく 糸さんに思い出してもらうしかないんだ



     糸に自分の秘密を告白した夢を見たことを、真琴は誰にも言えずに胸の奥にしまい込んでいた。











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     ===空白のとき===[10]===


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     ===空白のとき===[11]=== へ、続きます。




     このような陰気くさい話で、年をまたいでしまいました。
     思えば遠くへ来てしまったものです。
     次で終わろう!次こそ終わろう!と思っていた筈なのに。

     何を言っても走り出してしまったので、まだしばらく走り続けます。
     途中でリタイヤしないよう、気合い入れますです。

     くどいですがフィクションですので、許せる方のみお付き合いください。
     
     では、2007年も どうぞよろしくお願い申し上げます。

     更新をお待ちくださっているとのお声、大変にありがたく励みになります。
     本当にありがとうございます。

     Wジュリばんざいっ!


    
    
     (2007.01.16)