***管理人のいきなり闘病入院日記(2003.11.26〜12.24)***



<11月26日>

寝起きの時に仰向けの状態で無意識にさわった下腹部に異物感を感じる。
初めは
「またビールの飲み過ぎで膀胱がいっぱい?」
と思ったが手で押すとぐりっ!
と何か塊が左に移動したのでびっくり!

あまりの驚きに夢だと勝手に思って放っておいたまま、いつものようにお仕事へ。


<11月29日>

3日経っても、仰向けになっているとやっぱり手に触れるので近くの婦人科に行く。
それまで隠していたのに、なんとなく身内に話したら即行で受付時間ぎりぎりだというのに、
すっぴんのまま(←笑い事ではない)強制連行される。
受付時間終了間際にもかかわらず、内科もあるこのかかり付けの病院は
スリッパも足りないほどの大盛況。
インフルエンザの予防接種が大半らしい。
「あさってにする------っ!!」
という訳のわからない幼児の絶叫が処置室から聞こえる。
そっか、あさっては月曜日だからあさってまで注射しないでー!という意味なのか?こうやって気を紛らわせる。
別の処置室で触診やらエコーやらで診察されたところ、
「ちょっと様子を見ましょうか?と言える状態ではないですよ?」と脅される。いや、マジ。
子宮筋腫には間違いないが、まだ他にも何かありそうと言われて、
設備の大きな病院に紹介状を書かれる。


<11月30日>

子宮筋腫と勝手に判断して、どの程度の手術になるか?
どの程度の入院期間になるか?
などを経験者の友人の話をもとに勝手に推測していた。
だったら冬休みに入院すれば仕事に支障は無いね〜と、かなり呑気な様子の何も知らない馬鹿な自分。


<12月 1日>

早朝から市立の病院へ紹介状を持って行く。
すぐに卵巣腫瘍と診断される。子宮筋腫どころの騒ぎでないらしい。
急な展開にあまり自体を把握できず何事もなかったかのように午後から出勤する。
◎子宮がん検診
◎MRI検査

予約が必要な検査なのにドタキャンでその日のうちに受けられた。
医者にまで「超ラッキーv」とか言われる。いーのか?これで?
40分くらい筒状の機械の中で横たわる。時折聞こえるスゴイ機械音も気にせず寝る。
担当技師に「たのもしいねー」と笑われる。ほっとけや。
帰りの会計で19150円の診察代に19149円しか財布になくて大恥。次回に回してもらう。
高い財布を持ってる意味がまるでないわ。恥ずかしいったら。


<12月 2日>

◎CT検査
昨日のMRI同様、造影剤を使用されるが、この注射ってマジで痛い。
献血が趣味の私でも、看護師さんに「痛いですよ?」と言われた後、
「ホントに痛いですねっ!」と答えてしまったほど。


<12月 3日>

何事もなかったように普通に過ごす。嵐の前の静けさ。


<12月 4日>

◎心電図
◎レントゲン
◎採血
◎検尿
◎止血検査(6分半)

すっかり忘れていたが心電図って上半身裸にならなければならない。
しかもその時の検査技師は、まだまだうら若き学校卒業したてっぽいお兄ちゃんであった。
以上より私のその時の気持ちを10字以内で想像しましょう。
きっと当たってます。

数々の検査結果が出たので、身内と結果を聞く。
【卵巣腫瘍】と【子宮筋腫】。
筋腫は置いといて【卵巣腫瘍】の方が非常にヤバイとのこと。
当人の意思を無視して手術の日程も即行決められる。
11日か25日。
術中凍結迅速組織診断(手術中に行う病理検査)を行うのでこの日しかない。
仕事上の都合で25日が良かったのだが、
「仕事よりもまず自分の体のことだろうがっ?」
というすさまじいオーラを周りから感じて11日に決定。
職場で「残念なお知らせがあります」と社長に報告。大変偉そうな私。


<12月 5日>

◎麻酔科によるもっと正しく麻酔を知りかけられるための説明
◎止血検査(8分)

前日も行った止血検査の2回目。
耳たぶにわざと切り傷を作ってどのくらいの時間でで血が止まるのかを測るもの。
通常は5分程度なのに、昨日の結果が6分半ということで再検査。
これが異常と判断されると背中からの痛み止めの注入が難しくなるらしい。
しかもこの痛み止めをしないとすっげー痛みと戦うことになるらしいと聞かされ内心かなりびびる。


<12月 6日>

友人に連絡をしまくる。一様に驚かれる。
「働きすぎなんだからとにかく休んで来い」と口を揃えて言われる。
そんなに必死に働いた覚えは無いのだが。複雑。


<12月 7日>

昨日から 朝から 仕事の引継ぎ書類を作る。必死で作る。身内も巻き添え。


<12月 8日>

◎腎臓検査
手術前最後の内臓検査。
◎止血検査(5分)
前回の異常な数値に止血検査3回目。
実は前回の検査の時にはいつものようにがんがん晩酌をしていたので、
それが関係あるのかどうかは恐ろしくて訊けなかった。
が、今回は正常値でクリア。
よかったっ!これで痛みにのた打ち回らなくて済むっ?
その後出勤でいつものように仕事をして引き継ぎ。
午後10時帰宅。


<12月 9日>

◎午前10時より入院手続き。
9日と10時をごちゃごちゃに記憶していて、9時から入院と言い張って身内ともめた朝。
馬鹿は私でした。
病棟2階。個室に案内され「そんなに悪いのかっ!?」と身内と一瞬びびる。
結構広くて洗面台&トイレ付き。
着替えて小物を整理して(不本意にも入院慣れしてるので手際良し。悲しい。)
前夜から殆ど寝ていないので死んだように寝ていたら、回診で起こされる。
ねぼけたまんまで話を聞く。(当然何も覚えていない。)
出勤時間になるとものすごく今日の仕事が気になったが、
もうどうしようもないのでひたすらあちこちに手紙を書きまくる。

夜、身内の上司(=飲み友達)が見舞いに来てくれる。
すっぴんなので来るなっ!って言ったのに〜。(苦笑)
テレビカードと大量の切手の差し入れありがとうございます。
そうこうしているうちに身内が家に届いた種写真集を持って来てくれる。個室ばんざいvvと見まくる。

消灯は午後9時30分。
看護師さんが
「不安でしょうけど何でも言ってくださいね。眠れますか?」
と声をかけてくれる。
何も悩んでないです。ただとにかく眠いので大丈夫です。
睡眠薬はいりません。

入院に際しての励ましのメールを皆さまありがとうです。


<12月10日>

起床は午前6時。
って起きたのは7時半。何時間寝たんだ!?
◎抗生剤テスト注射2本
抗生剤が使えるかのまめ注射。
◎剃毛
衝撃の初体験。
えっ!?そこまで剃るのっ!?と声にならない驚きの絶叫。
Mさんのおっしゃる通り、真琴さんより先にさわられてしまったわっ!
◎膣内消毒
最悪の状況の備えての準備だそう。
◎午後9時より絶飲食
相変わらず横になる度に眠り続けていたら看護師さんに「眠り姫みたいによく寝てますね」と言われる。

明日の手術を受けるための同意書に身内とサインをする。
腫瘍が良性でない場合の子宮の摘出について最後の話し合い。
「少しでも悪かったら全部取ってください」
これは病気発覚時最初の説明から決めていたコトなのできっぱり。
うじうじ悩んで考え続けるのは嫌いなので。
身内には「本当にいいの?」とぼろぼろ泣かれたが仕方ない。
あまりの潔さに主治医が後から病室に再度意志確認に来てくれる。
「そこまでで腹をくくったなら・・・」と納得される。
配慮ありがとうございました。でもそれでいいんです。覚悟はとっくにできてます。


<12月11日>

◎浣腸
これも人生初体験。
「しばらく我慢してからトイレに行ってくださいね」
・・・・・・我慢できるかっ!!とたった○分で我慢の臨界点を超える。
◎麻酔導入のための点滴
◎麻酔科で背中に痛み止め用の細い管を入れる

病室に戻ってから背中なので「見えな〜い!」と身内にデジカメで撮ってもらって自分で見る。物好き。
だが管が透明で極細なのでさっぱり見えない。がっかり。
◎全身麻酔
◎手術
終了後、無事に病室に戻れた。
意識もあって話もできるがすっげー痛いのでそのまま眠る。
筋腫は見せてもらえたが卵巣は病理検査に送られてしまったので見れなかったとのこと。残念。

【境界悪性疑い】ということで子宮は残された。
身内は安心したと同時に
「なんで良性じゃないのに残したのよっ!?」
私が怒り狂うと思って
どうしようとおたおたしていたらしい。
私は常日頃そんなに恐ろしい生き物か?
ところで身内はあまりにも予告より早く終わってしまった手術に
「最悪で全摘出かっ!?」と真剣に青ざめたらしい。
シャレにならん。


<12月12日>

◎点滴3本
◎抗生剤2本
◎痛み止め1本
◎尿管を抜かれる(蓄尿開始)
◎傷の診察&消毒

ベッドごと上体を起こせる。が、とにかく腹全体が激しく痛い気がする。
発熱もあり。自分で体温計も測れないので何度なのかもわからない。
昼食から流動食。喉を通らない。むせる。(こんなことで痛みを倍増させる私。)
尿管を抜かれたので自力でトイレに行こうとしたら、おおっ!!起きれないぞっ!?しかも痛いっ!!
ベッドから足だけを下ろしてコマ送りのように少しずつ上半身を起こす。
点滴用のスタンドに渾身の力を込めてのつかまり立ち。
トイレひとつしようにも拷問に近い痛みが下腹部に炸裂。
あちこちがちくちく痛い〜〜〜〜っ!!
しかも身体もろくに曲がらないのに蓄尿なんて更なる苦行でしかないっ!
この怒りの矛先は何処にもなかった。

Mちゃん、お見舞いありがとう。
Mさん&Sさんお見舞いメールをありがとう。嬉しくて泣けた。
Kってば電話ありがとう。ホントにすげー心配させちゃった。
なんでこんな目に合うのかな?と思う事もやっぱりあったんだけど、
そう身内に話したら「出る杭は打たれる」と訳わからない返答をされる。
私のどこがでしゃばりなのよっ!?←自覚なし。どこまでも自分大好き。


<12月13日>

◎点滴3本
◎抗生剤2本
◎痛み止め錠剤
◎背中の管を抜く

7時に起床。
なんとか昨日よりはスムーズに起きれるようになった。
顔を洗っていたら食事を運んでくれる看護師さんに
「もう起きていいんですかっ!?」と驚かれる。
え?まだ寝ててもいいの??
だって動いた方が良いって主治医にも言われたよ?(笑)
それにしても本当にいつかこの痛みがなくなるのかっ!?
と疑いたくなるほど痛い。
だって鼻もかめないし(腹に力が入らない)、咳もできない(痛さでのたうつ)。
腹撃たれたらこんな感じなのかな〜とか考える。余裕あんじゃん。
天気がすごく良いので何をしようかな。
日頃テレビも見ないので時間がいっぱい。でも痛みもいっぱい。
で結局昼からまた眠る。
身内がお見舞いに来てくれるのは非常に心強くてありがたいのだが、
なんで笑わそうとするのよっ!?マジで死ぬほど痛いんだってばっ!!笑うとっ!
こんな非情なリハビリってないぞっ!!


<12月14日>

◎点滴2本
◎抗生剤2本

7時起床。
排尿後出血。びびりまくり。大したコトないと言われてほっとする。
身内がデジカメを置いていったのだが、時間はあるので病室の内部を描いてみる。
・・・・・・何か使うことがあるのだろうか?と思いつつ描く。
病院ネタなんて何も思いついてないぞ?(笑)
何もしなくても良いというこんなに長いお休みを未だかつて貰ったコトが無いので
まだまだ入院していないといけないのに、あれもできるこれもできると気ばかりあせる。
私の中には「のんびり過ごす」という感覚が欠落しているのかもしれない。
点滴に通って来る看護師さんに「元気ですよね〜」と感心される。
「皆さん、もっと弱ってます?」
「うん、出てきた(手術室から?)時から元気ですよね」
とダメ押し。
私は化け物かっ!?
夜、思いついてSさんに突然電話する。びびられてしてやったり(笑)。


<12月15日>

◎点滴2本
◎抗生剤2本
◎採血
◎検尿
◎蓄尿終了

7時起床。
体調が戻って来たのかだんだん眠れなくなる。
朝、Mさんに電話する。術後4日目なのにあまりの元気さに驚かれる。わはははは。
Mさん、お見舞いありがとう。エロ本ヨロシクお願いします。漫画がいいです。
社長、奥様共々お見舞いありがとうございます。ちょっと泣きそうになりました。
Hさん、たっくさんのお見舞いありがとう。この度は色々と助言いただいて感謝してるのよvv
夜、Mさんにお願いしたエロ本が届く。買うの恥ずかしかったって?ごめんね〜。
でもエロ本の中に自分の写真を貼り付ける辺り尊敬するわ。


<12月16日>

◎傷の消毒
5時半起床。
今日から点滴も無くなり、ちょろちょろ動き出す。
鼻もかめるようになって感動する。
巷では色々なニュースが飛び交っていますが、今の私の世界はこの病院内が全てです。
自分の世界なんて本当に狭いものだな〜となんとなく思う。
初めてちゃんと傷を見る。思ったより長かったかな?
あのすごい痛みから横にずっぱり切られているものと思っていたら、縦に切られててびっくり。
本当に切られていたんだ〜としみじみ考える。
身内に自宅に戻っても役に立たないから12月31日まで入院してろと言われる。
血も涙もないのね・・・・・。


<12月17日>

7時起床。
調子は良い。熱も無いし日に日に痛みは引いている。鼻もかめるようになった。うんうん。
アホになると困るので身内に持って来てもらった問題集を午前中みっちり解く。
中学生の冬休みみたいだ・・・。
午後から親戚に見舞われる。


<12月18日>

7時起床。
午前中のうち1時間くらい寝てしまった。
◎抜糸
主治医と他愛ない仕事の話をしながら抜糸される。
つくつくした後ちょっと痛かった。
傷の治りは順調らしい。良かった。
午後から親戚に見舞われる。
その後教え子達に見舞われる。
久しぶりに顔を見れて自分でも信じられないくらいこみ上げて来た。
彼らが帰ってからカードや手紙を読みながら、入院後初めて声にして泣いた。


<12月19日>

いつもより寝坊。眠い。なんでだろう?
回診で検査の結果が出てからの退院と告げられる。
来週の半ばくらい?予定は未定。
忘れかけていたがまだ腫瘍の悪さの程度はわかっていなかったんだった。
境界悪性という疑いは宣言されているが悪性というの可能性も残っている。
最悪の覚悟はとっくにできているとは言っても、結果待ち・判定待ちでいるというのは
なかなか気付かぬうちに重荷になっているのかもしれない。心の。
冷静に結果を受け止める心の準備をしておくしかないのだけれど。
気持ちが元気なので「なぜ今こんなところにいるのか!?」と思ったりするのだけれど、
傷跡を見ると「こんなに切ったんだよ?当たり前でしょ?」と訴えられているようで我に返る。
もうちょっと大事にしようかしら?


<12月20日>

7時起床。
昨日欲求のままに眠りまくったせいかそれはそれは爽やかに起きていた。
午前中は相変わらず問題集をただただ解く。
くしゃみをすれば薄れていた痛みが復活。
腹筋もまだまだ使えないので仰向けのままでは起き上がれない。
午後から手紙を書いて出す。
1階のポストまで階段で行く。
調子が良かったので6階までほいほいと階段往復リハビリ。
今日で禁酒12日目。
お酒を飲みだしてからこんなに長い断酒は初めてではないだろうか?
禁煙は簡単だったけど、このまま禁酒もできちゃうのだろうか?
いや、あり得ないね。と自分で突っ込む。


<12月21日>

7時起床。
午前中は勉強。
冬休みの計画を正しく守る小学生のようだ・・・。
術後初めてのシャワー浴が許されたが、なんとなく恐ろしくてお腹をがしがしと洗えない。
毎日見舞いに来てくれる身内がそろそろ検査の結果が出るねぇという話から
「結果を気にせず今はとにかくのんびりしなさい」と意味深な言葉を残して退場。
・・・動揺して余計にのんびりできないんですけど・・・・。


<12月22日>

6時起床。
めざましでかかっているTUBEの新曲を聴こうと気張って起きてるのにちょっとしかかからない。
がっかり。
社長が2度目のお見舞いに来てくださる。
恐縮して思わずベッドの上に正座する。
2回もすっぴん見られたらもう怖い物無いな・・・と思った。

その後、検査の結果が出たので主治医から説明を受ける。
【境界悪性Ta期】
良性と悪性の真ん中の初期。
悪性ではなかったのでガンではない。。
ちょっとでも悪かったら子宮も全て取ってもらおうと思っていたが、
「再発の危険性はかなり低く、悪性ではないので残した方が良いのでは?」
と主治医に言われる。
但し、決めるのは全て患者なので、
もう一度手術というリスクを背負ってまで残った卵巣と子宮を取り除くメリットはどのくらいあるのか?
と、主治医とこんこんと話し合う。
返事はいつでも良いとのこと。
再手術を受けないならすぐに退院して良いとも言われる。
さて・・・、どうしようかな?と私にしては珍しく時間をかけて考えた。

これから先の自分の強運を信じて生きてみましょうか。


<12月23日>

再手術を受けない主旨を看護師さんに告げる。
これで明日、退院です。
午前中はいつものように勉強して午後からぼ〜〜〜っと過ごす。
年内に退院できると思っていなかったので少し感慨にふける。
大きな窓から少しだけ見える青い空の中を白い雲が流れていく。
そういえば何度もこうやってここからしか見えない空を見ていたなと思い出す。
これから先、再発したり、子宮がいらなくなってから取ってもいいんだよね。
ゆっくり流れに逆らわずに生きてみましょうか・・・。
夜、Hさんに退院の報告をする。
お世話になりました。本当に。


<12月24日>

◎退院
「午後からの退院診察で何も問題がなかったら退院です。」
という看護師さんの言葉に、問題ってなんだ!?
とちょっとびくついたり(笑)。
診察に問題はなかったのだが、術後説明をまだ受けていなかったので待つ。
ひたすら待つ。
主治医に急な分娩が入って思いっきり夕方になった。
この度はお世話になりました。
「これからやっちゃいけないことって何ですか?」
「次の診察までシャワー浴しかしないでください。」
おおっ!そうなのかっ!?と心の中で驚愕。
お風呂に入りたかったな・・・。(笑)

入院時に来ていた洋服に着替えて外へ。
7センチヒールが懐かしくも笑えるこの不思議な感覚。

夕方6時過ぎに無事帰宅です。


車で帰って来たので殆ど外の風にも当たっていないのに
お腹が痛くなる。
うわ〜〜、本当に病人だ〜と痛感。


<<入院生活 おまけ話>>

術後起きれるようになってからは、午前中は勉強。
午後からは読書や創作をしてました。
その合間には眠くなったから寝ちゃおう!というコトもいっぱいありましたが。(笑)
笑うと痛いためとにかく迂闊にテレビを見て笑う事は自虐行為でしたので
専らニュースばかり見てました。
テレビは1分1円の料金だったので、なんとなく見る気にならなかったというのが正直なところ?
でも時間はあったので、初めて【鋼の錬金術師】を見てみたり、
朝起きれるので【カレイドスター】を見たりはしてました。
普段夕方や夜にテレビを見れる環境に無かったので何を見たら良いのかわからなかったのですが。

【Wジュリ】は全巻持参で行ったのですが(これだけで入院荷物の半分にもなった)
殆ど読めませんでした。
手に取ると内容が全部浮かんで読んじゃった気分になったから(笑)。
手に取っては棚に戻す。の繰り返しでした。
これもある意味上半身のリハビリか?そんな訳ない。

何が辛かったかといえば術後の強烈な痛みは勿論ながら、
【毎日3食規則正しく食べる事】でした。
こんな生活もう何年もしたことが無い乱れきった生活を送っていた私には
本当に、食べる事に追われる毎日で、
一日の中でこんなに食べる事に時間を費やしたのは本当に久しぶりで参りました。


でもしかし、
手術の当日に前日夜から絶飲食を言い渡されているこの私の部屋に
朝食を普通に食事を運んできたこの病院。
・・・腐ってます!!

しかも「今日から絶飲食なんですけど?」という私の問いに
「そうなんですか?」という返答。
同じ社会人として許せませんっ!

「おまえらふざけんなっ!!」(絶叫)

患者が病院に出されるままに食ってもいーのは当然だろっ!?
食ってもそのまま予定通りに 手術してくれんのかっ!?

今も生き延びて怖いモノ無しの管理人がケンカ売ってます。
これからの展開をお楽しみに。(笑)



それにしても、もう既に一生病院通いをしなければならない病気を持つ私に、
もうひとつお付き合いを続けなければならない病気が増えてしまった。
これも私の運命かなぁ。 ま、いっか。 気持ちも見た目も元気なんだし。

ところで卵巣に悪い事って
【ハードワーク】・【重過ぎる責任】・【過労】・【寝不足】
らしいよ?と退院してから身内に言われました。
もっと早く教えてくれ。全部当てはまってるじゃん・・・・・。




教え子にもらったお花(左)と
Mさんにもらった手のりあひるのガー子(右:私が命名)

アタマをなでると鳴いたり歌ったりするガー子。
得意な歌=チェッコリ
見舞いに来る度に身内がごしごしなでるので
既にかなりハゲそうな悲しい予感。

今回はガー子が私の付き添い婦であった。
ごくろう。





==入院中にお見舞いとヒマ潰しに頂いたものの一部==

☆お見舞いのメール
☆お見舞いの手紙
☆マンガ
☆小説
☆エロ本
☆同人誌


他にもいっぱいあったけど食べちゃったり(笑)。


<<入院生活 今だからの語り>>

思いがけない病気に侵されていましたが、なんとか通常の生活に戻れそうです。
今回の入院でたくさんの方に励ましをいただきました。
近くから遠くからのメッセージに元気をもらった毎日でした。
そして毎日 新聞を持って通って笑わせてくれた身内に感謝します。
また早期(でもないのか?)発見した自分の運の良さにも感謝します。

これからの人生にも何が起こるかわかりませんが、自分に起こった事を悲観するより
どうやって毎日を面白おかしく笑って過ごせるかを求めて歩いて行こうと思います。
済んでしまったこと、やってしまったことを悔んでいるヒマがあったら
これからどうしたらよいのかを考える方がずっと建設的です。
それでも言い知れない葛藤に襲われることもありますが、
そんな時はどこでもかまわないから思いっきり言葉にして吐き出してしまいましょう。
苦しみを自分なりに吐き出せる方法を皆さんも見つけていますように。




退院祝いにAさんよりいただいたお花


入院期間      【2003年12月9日〜12月24日】
病名          【卵巣腫瘍  子宮筋腫】
病理組織診断名  【粘液性のう胞腺種(境界悪性Ta期)】
手術内容      【左卵巣及び左卵管全摘出  筋腫切除】 
手術時間      【1時間50分】
傷跡         【下腹部縦方向に12センチ】
摘出物        【左卵巣 576g  筋腫 82g】
出血量        【358 ml】 輸血なし  
追加治療なし。
10年間の定期検診必須。

この日記は入院中に書きとめた内容からの抜粋です。
何を書いておるのか?私は?と信じられない長文日記が出来上がっていました。

(2004.01.01.   管理人拝)

2005年8月現在、1年間の毎月の検査とガン検診を経て、
2ヶ月に一度の通院に減りました。
残された卵巣はひとりで何事も無かったように頑張ってくれていますが、
爆弾であることには違いないので暴発しないようにと密かに願っています。

見た目は健康そのものです。
ご心配なく。


そして、この数年前に、私は斜視を強制する為の手術をしています。
その思い出しても痛かった入院話はそのうちに・・・・・。

(2005.08.14)