「ちょっと!何よこれっ!」

美咲の声が甦る。

真が芸能界にデビューしてから、ずっと覚悟はしていた。
こんな事態に遭遇する事を。

美咲が何処にでも出回っている薄い雑誌を握り締めて怒り狂っていた。

「なんでこんなことになるのよっ!?」

糸の気持ちの全てを美咲が代弁してくれているようだった。

天野マコト、つまり真が、
共演した女優と付き合っているというゴシップ記事に美咲が激怒しているのだ。

美咲の隣に居る伸子と与四郎も神妙な面持ちで糸を見つめていた。
彼等は数少ない、糸と真の関係を知っている貴重な友人達であった。

それだけに糸の立場を思いやってくれることがたまらなく嬉しい。
だが、同時に、その思いやりが、考えないようにしている糸を追い詰めているのも事実だった。

「なんで真琴さん 反論しないのっ!?」
美咲にも少なからず事情は解っている筈だったが、
それ以上に糸に対する思いが強かったのであろう。
表面上とは言え、糸を裏切り続ける真琴が許せなかったのだ。

「落ち着けって」
見かねた与四郎が美咲を制した。
冷静な与四郎と伸子の視線に、美咲は涙を浮かべながら溢れる言葉を飲み込んだ。

「・・・・・・・いちばん辛いのは 糸さんだよ」
伸子が全てを納めるかのようにポツリと呟いた。

「・・・・・・あたしは大丈夫だから!」

「心配してくれて ありがとな」

糸はこみ上げる熱い全てを堪えて、心から訴えかけてくれる友人達に笑って頭を下げた。

だが少しでも気を緩めれば、この場で大声を上げて泣き出しそうになっていた。





「ただいまー」

「わん!」

「いい子にしてたか?」

糸は微笑みながら、今日も玄関まで出迎えてくれる一慶を抱き上げた。

遅い夕食を一人で済ませると、疲労に任せて独りでは大きすぎるベッドに倒れこむ。

そしてまた次の朝を迎える。

こんな日が、もう何日も続いていた。


一緒に同じ部屋で日常を過ごしていた真が、
天野マコトとして芸能界を通じて世間に認められてからは。


芸能プロダクションと契約してからは特に、天野マコトとしての露出が増えると、
それだけ、糸の知らないところで笑っているマコトの画像やポスターが増えることになった。
同じ俳優を目指す者として、志を同じくするマコトの日々の活躍は嬉しかった。
だが、モニターやレンズを通してマコトの姿を見る度に、
自分だけが取り残されたような気分になる。
真の方が先に表舞台で注目されて認められることは、解っていたつもりだった。
それでも、一緒に居る時間が減るにつれて、
糸の中に不安と焦りが生まれ育っていくのは否めなかった。

糸にも、幼い頃から、アクション女優になるという揺ぎ無い夢がある。
その目標に向かって、演技力を磨くという鍛錬も必要であった。
だが、独りで抱いていたその夢を、いつしか真の傍らで叶えたいと思うようになってからは、
真は糸の夢への支えの大部分を占めていたのかもしれなかった。

それ故に、あり得ないゴシップ記事と真を信じていても、
糸の心の中に渦巻く不安は消えてはくれなかった。
美咲から受け取った雑誌の記事が、糸の脳裏にこびりついて離れない。

―――― もうあたしでは ダメなんだろうか? ――――











「お疲れさまー」

「お先ですー」

所属する劇団での練習の後、バイトを終えた糸がくっと背伸びをして家に向かった。

そう遠くない家路を少し歩くと、ケータイから着信音が流れた。

(真?)

―――――予定変更でこれから帰るから―――――

いつもは帰れないメールばかりが送られて来る真からの言葉に、
糸の顔は柔らかくほころんでいた。





「糸さんが起きているうちに帰って来れるの 久しぶりだよね」

「そうだな」

炊事を終えた糸が、ふたりで選んだソファでくつろく真の隣に腰を下ろした。

こんなに近くで真の顔を見るのは何日ぶりだろう?

例の記事のことを真は知っているだろう。
でも、自分から口に出すのが恐くてたまらない。

真は、糸が眠っている間に家に帰って糸が起きる前に家を出ている時もあったのだが、
はっきり覚醒していない間に、おやすみやおはようのキスをされている糸には記憶が無い。

ここしばらくは眠っている糸の顔しか見ていない真も、
いとおしそうに糸の顔をまじまじと見つめた。

いつもと変わらない真の優しい眼差しからすっと目をそらして、
糸が真の腕に自分の腕を絡ませ抱き付いた。

真の腕を抱き締め、肩に顔を寄せて、心地良い匂いと体温を感じる。

  ―――――ここに居るんだ・・・・・

自分の手が届くところに真が居るという実感に、糸の胸がじわっと熱くなる。
この腕に自分以外の誰かが触れていたと想像することすら、悲しくてたまらない。
真に触れていられる嬉しさと切なさが込み上げるままに、想いが声となって外に出た。

「置いていくなよ?」

らしくない糸の行動に真はほんの少しとまどったが、
すぐに全てを糸への愛しさに変換していた。

肩に感じる糸の重さと温かさと柔らかさ。
何かもが真の欲し続ける糸、そのものであった。

糸と一緒の時間が限られてしまっている現状を、耐え忍んでいるのは真も同じであったが、
夢に向かって一歩先を進む真の後ろ姿を見つめる糸の心情を思うと、真の胸も締め付けられる。
誰が解ってくれなくても、今の真があるのは糸の存在という後ろ盾があってこそなのだ。

真は、そのことを改めて骨身に染み込ませながら、
自分に弱さをぶつける糸が可愛くてたまらない。

肩に預けられた糸の額に唇を寄せて、静かに囁く。

「絶対に離れないよ」

糸以外に誰も聞いたことのないような、甘くとろけるような小さな、
けれどはっきりとした意思を込めて。

真の腕にしがみついた糸の手に、真の手が重ねられる。



――――― ふたり一緒じゃなきゃ意味がない ―――――


少し昔、真琴が言った言葉を、糸が見えない音で復唱していた。
数々の試練を乗り越えたからこそ、今を一緒に寄り添って居られる。



糸は真を、そして真は糸を、お互いをかけがえのない存在だと、心と体に深く刻んでいた。




――――― オレには 糸さんだけだよ ―――――



真の真実の声とぬくもりを、糸は全身で感じて受け止めていた。














【WジュリエットU発売記念 〜その2〜】


『糸さんがまこに対して浮気の疑いを持つ!
(ドラマで共演した女優さんに☆)
という話を書いていただきたいです!!!』
露斬那さん、リクエストありがとうございましたv

私が消化すると、こんな話になってしまいましたです(汗)。

ちなみに続きはあっちの世界で公開しておりますので、
お許しいただけたらご覧ください。


(2006.11.05)