アイドルの彼氏をやっていれば、結構いろんな所に顔を出すもんだ。
んで、そのプロデューサーの所にも関わっていれば。
「あら、藤井さん。こんにちは」
「ども。由綺…確か、第3スタジオでしたよね?」
「えぇ、そうですよ。もうしばらくは、収録ですけど」
「うん、ありがとう」
手をひらひらと振ってエレベーターに向かう。
ラジオ局の受付だって、こんなもんだ。
そういう所の廊下っていうのは、窓がない。
むしろ、スタジオとかの間にある通路って感じで…
で、なぜかそういった通路の端には自販機や灰皿があって。
休憩所になっていたりするモノで。
両開きの扉をくぐったオレは、そんなスペースに見慣れた人影を見つけた。
紫煙の向こう、銀に染めた髪にしゃれた眼鏡。
「やぁ、青年。由綺のお迎えかい?」
「えぇ、夕食に誘われたんですよ。
ところで…英二さん、タバコ吸ってましたっけ…?」
「ん…? あぁ…
たまに、ね」
苦笑しながら、灰皿にタバコを押しつける。
緒方英二さん。元ミュージシャン、自称アーティスト。
由綺や理奈ちゃんの所属する事務所の、天才プロデューサー。
……この人がタバコを吸っているのも、珍しい。
「あぁ、煮詰まっていることがあってね…
ちょっと、気分転換だよ」
「へぇ… 新しい曲…ですか?」
言いつつ、ちょっと警戒してみる。
英二さんは…(多分)悪い人ではないのだが。
作曲や作詞に集中している時期は機嫌が悪くなる。
こう…激しく理不尽になるのだ。
……理奈ちゃんあたりに言わせると、俺に対してだけみたいだけど。
『兄さんに、気に入られてるのよ』ってコトらしい。
……イヤな気に入られ方だ。
で、煮詰まっている理由ってのが。
「いや、料理のレパートリーがね…」
「……は?」
思わずフリーズしてしまった。
……英二さんがエプロン?
「食というものはね」
右手で眼鏡をずりあげながら、英二さんは言う。
「いわば文化の集大成なのだよ。
風俗、風土、風習、冠婚葬祭。
いかにその土地にあるものを美味く食べるか?
どういった場面で食べるべき料理であるか?
そのユニークさたるや! まさしく、文化の極み!
料理を極めること、アートとは斯くの如きかな!
そうは思わないか、青年!?」
「は…はぁ…」
熱弁を振るわれてしまった。
「…というわけでだね…」
いきなり素に戻ると、どこからともなく英二さんは紙皿を差し出した。
「柏餅があるんだ。食べたまえ」
なるほど、そこには緑の葉っぱに包まれた和菓子が盛られている。
そういえば、端午の節句の時期だっけ…
「それでは、ひとつ」
いただきます。
………
ちょっと歪な形ながらも、結構美味い。
「ごちそうさまでした。結構おいしかったですよ」
俺はにっこりと笑いながらそう言ったんだが。
「ほぅ…一つでいいのかね? 遠慮せずに全部食べたまえ」
「…全部…?」
あの…その角度でこちらを見られると、眼鏡が白く光って…
表情が見えなくて怖いんですけど…
イヤ、それ以前に俺、由綺と食事に行くって言ったハズなんですけどー?!
「そうか…残念だな…それは、午前の収録で理奈と由綺が作ったんだが…
そうか、食べないのか…
ふたりには、『青年は不味いと言って食わなかった』と伝えておこう」
「食べます。イヤむしろ、食べさせてください」
ふいっと立ち去ろうとする英二さんに。
俺は血の涙を流す思いでそう答えた。
…英二さん、その口元だけの笑みが…
俺には邪悪に見えるよ…
「あ…冬弥くーん」
「あら。兄さん、冬弥君も呼んだんだ」
「ううん、わたしが誘ったの。
でも…大丈夫、冬弥君? 顔色悪いよ…」
由綺が心配そうな顔で覗き込んでくる。
そっか…顔色悪いか…
結局、10コ近くあった柏餅…全部食べたもんな…
俺は壁にもたれかかっていた。
「むぅ、調子悪そうだな青年。
一緒に何か食べようかと思ったんだが…
残念だな。せっかく、俺が奢るつもりだったのに」
「はっはっは、ちっとも調子なんて悪くないですよ。
せっかく由綺が誘ってくれたのに、俺も一緒に行きますよ」
いい感じに腹一杯だけど…
俺は意地でもついていくつもりだった。
「そういえば兄さん、あの柏餅はどうしたの?」
「ん? ちゃんと始末したよ」
「……まさか、捨てた?」
「そんなことはしないよ。ちゃんと腹の中に」
「まったく…あんなに柏餅作って、食べきれるワケないじゃない…」
……騙されたー!?