市場戦士タンバリン
第8話「バスジャック」
「日本の金融システムはものすごく危ない。不良債権の問題だけじゃない。システムそのものが遅れている。フィリピン以下で、最下位は韓国かな」
マイケル・ラファティー
10月中旬、新関西国際空港を出発した1台のバスがあった。
そのバスには翌日京都で開催される二酸化炭素の排出削減条約の会議に集まった各国の外交代表が乗っていた。
二酸化炭素の排出が原因と見られる地球温暖化の脅威は、特に太平洋上の環礁国家にとっては死活問題である。
特に南太平洋のバヌアツ共和国は平均海抜が僅か1.3メートルしかなく、毎年2センチほど上昇する海面は、少しずつ国土を蚕食していた。
実はヨーロッパにもこの問題を重視する国家がある。
オランダ代表、ハルトマン環境省次官は沈痛な表情で大阪の町を眺めていた。
広大な海抜ゼロメートル地帯を抱える同国は、長い干拓と堤防建設の歴史によって国土を保持してきた。
しかし海面が上昇すれば、堤防を新たに建設しなければならず、もはやその財政負担に耐えられる状態ではない以上、この京都会議は何としても成立させなければならなかった。 ハルトマンが窓の外を見ると、奇妙な車が併走していた。
車は黒塗りの大型ワゴンで、装甲車のようないかつい外見をしていた。
そしてさらにその後方から、トレーラーが現れた。
車体には「無限の正義株式会社」と白い字で書かれている。
日本語をほとんど読めないハルトマンであったが、もし彼がその字を読めたなら、ある秘密結社を思い出したに違いない。
「無限の正義」はヨーロッパにおいても暗躍していたのだから。
10年前、ベルリンの壁に殺到した東ドイツ市民にハンマーを配ったり、不法移民のトルコ人に石を投げるネオナチの若者に石の入ったバスケットを配ったりしていた。
「どうせ右翼かなんかの宣伝カーだろう」
ハルトマンはそう思い、ヘッドホンを耳に当ててうたた寝を始めてしまった。
そして・・・
「東名阪でバスのハイジャック発生、無限の正義の犯行!」
タンバリンことアル・海田がこの一方を聞いたのは、八尾市にあるモスクでの礼拝を終えた直後であった。
敬虔なイスラム教徒であるアルは金曜日の礼拝を欠かすことはなかった。
30人ほどのムスリム達と礼拝を終え、なごやかに談笑している途中で、携帯がけたたましく鳴った。
メロディはイス○エル人がもっとも嫌うというリヒャルト・ワーグナー作曲の「トリスタンとイゾルテ」である。
電話は、小山教授からだった。
「アル、事件じゃ。すぐに本部に戻れ!」
そうは言われたが、今日は金曜日。
イスラム教の安息日で、基本的に労働はしてはいけない。
「あのー先生。今日は非番ですよねぇ?」
アルが何気なくそう答えると、
「馬鹿もんがぁ、いいから早く帰ってこい!」
小山の怒鳴り声がアルの耳をつんざく。
「はいはい」
アルはやる気なさそうにそう答えて電話を切った。
「なにを起こってるんだろう、今日は金曜日なのに」
首を傾げながら、アルは愛車のスーパーカブにまたがった。
「みなさん落ち着いて聞いてください。このバスは我々がハイジャックしました。みなさんは当面の間、人質になってもらいます。抵抗さえしなければ、身体及び財産の保証をいたします」
英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・フラマン語・ノルウェー語・スウェーデン語及びイタリア語の8カ国語を流暢に話すロボットのようなモノが状況を説明した。
高速道路上で横付けした二台の車から、黒ずくめの男3人と奇怪なロボットが乗り込んできてから1時間がたつ。
侵入者達は近鉄バスの運転手をパーキングエリアに降ろし、代わりに黒ずくめの男の一人が運転を始めた。
「トイレはバス備え付けをつかって下さい。毛布が必要な方は申し出てください。電話は遠慮願います。それと食事は人数分用意してあります。ハンバーガーにフライドポテト、コカコーラを配りますので前から順に回してください。菜食主義者のエルトリッヒさんとターナーさんにはベジタブルサンドイッチを別に用意していますのでご安心を」
投げやりな表情に奇妙な手、パイプを継ぎ合わせたような奇怪な身体に股間の筒状のものが妙にコミカルなロボットは、各国の代表達にそう言った。
(妙にいたれり尽くせりのハイジャッカーだな)
回ってきた食事を受け取りながら、ハルトマンは思った。
(こいつらはこちらの正確な人数、食事の嗜好までチェックしている・・・何者だ?)
ハルトマンはいぶかしげに思う。
この日の移動計画や各国代表の嗜好などは、外交機密に属するものだ。
移動計画や個人のプロフィールは企画に携わる兵庫県・大阪府・京都府の自治体か外務省でなければ手に入らない。
いずれか、或いは複数の情報提供者があったはずだ。
が、今はそれを詮索している場合ではない。
彼らが何者で、何を要求しているかを確認しなければならない。
もしこの事件で京都会議が失敗に終われば、祖国オランダの国益が大きく失われてしまうのだから。
乗り込んだハイジャッカー達は奇怪なロボットと3人の黒ずくめの男達。
ロボットは素手だが、男達は短機関銃で武装している。
高速道路の標識によると、もちろん日本語は読めないが下に書いてあるローマ字を読む限り、バスは大阪市内へと向かっているようだった。
バスの後には相変わらず装甲車とトレーラーがまとわりついている。
「かなり大がかりな組織ですね」
ハルトマンは隣に座っていた黒縁眼鏡のベルギー代表に、ドイツ語で話しかけた。
「まったくです。日本は治安がいいと聞いていましたが」
ベルギーの代表は表情をこわばらせながらそう答えた。
「そうですね。しかしオウム事件であれだけの被害を出しながら、この国はテロ防止の条約に対してひどく非協力的でした。いずれこの国が第二のアフガンになるでしょう」
ハルトマンは毒づいた。
人間、こういう状況に陥ると、尋常じゃないストレスを感じる。
そのストレスが、彼をいらだたせていた。
「おや、高速を降りるようですね」
小声で、ベルギー代表が標識を指さす。
標識には「OSAKANANKOU」と書いてあった。
「先生、予想通り連中は大阪南港を目指してるようです。もうすぐ追いつきます」
時速100キロが出る改造スーパーカブに乗ったアルがハイジャックされたバスを発見したのは、大阪南港の高速を降りる道路と国道との交点付近だった。
「こんどは数が多いなぁ」
アルが追っかけている車列は大型バスの他に装輪装甲車が2両とトレーラーが1両の計4両もあった。
アル達がこのルートを予測したのは、以前にも「無限の正義」が使ったルートであり、国籍不明の不審船が大阪南港沖に停泊しているという海上保安庁の情報があったからだ。
「いいかアル、今回の人質は京都会議に出席する各国の代表じゃ。くれぐれも人質に害がないようにな!」
耳に当てた無線機の受話器から、小山の声が響く。
「わかってますよ先生」
そうは答えたものの、どうるればいいかの知恵は浮かばなかったが。
しばらくすると、関西汽船のフェリー乗り場の第2駐車場に差し掛かった。
戦闘のバスが停車し、他の車両も停車する。
沖からは灰色の不審な船が向かってくるのが見えた。
「それでは下車してください」
ロボットが各国代表に8カ国語でそう言っている間に、アルはカブを降りてバスに近づこうとした。
すると、
「止マレ!」
装甲車を降りたジャスティー達から一斉に銃口が向けられた。
「いやだね」
しかしアルはそう言うと、手始めに手前のジャスティーを蹴り飛ばし、奪った短銃をバス以外の方向に乱射した。
「ウワァ!!」
ジャスティー達はたまらず装甲車の遮蔽下に逃げ込んだ。
「よし、いまだ!」
アルはすぐさまバスへ向かった。
しかしその瞬間、バスから変なロボットが降りてきた。
「あなたがタンバリンですか?」
あまりに投げやりな表情から漏れた気の抜けた合成音声が、アルの血気を削いだ。
が、それでも態勢を立て直したアルは変なロボットに向かって答えた。
「そうだ、俺が『市場戦士タンバリン』だ。貴様らの不埒な悪行三昧、月に代わってお仕置きだぁ!」
前日見ていた桃○郎侍とセー○ームー○の台詞をつい口に出しながら、アルは飛びかかろうとした。
刹那−
「人民ちょーっぷ!」
そう叫びながら、そのロボットがへらのような手で手刀を繰り出した。
「くっ」
間一髪でかわすアル。
「おりゃあ!」
アルはかわした身体をひねり、意外な角度から後蹴りを喰らわした。
がきぃぃぃぃん!
蹴りがパイプのつなぎ目を切り、圧縮された空気が
ぷしゅぅぅぅぅぅー!
と音をさせて漏れ出す。
「も・・・毛沢東同志万歳!」
そう叫んであっけなく崩れ去る奇妙なロボット。
よく見ると胸のところに『先行者』と書いてあった。
「な・・・なんなんだこいつ、超人にしてはよわ・・・」
アルがそう呟いた瞬間。
ばしゅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!
空気を切り裂く音がして、トレーラーの方から電磁砲のようなものが襲いかかった。
「うわぁぁぁぁぁ!?」
とっさに身をかわしたアルだったが、左腕の肘から下が熱線を浴びたように焼けこげ、使い物にならなくなっていた。
「くっ油断したか」
アルがトレーラーの方を見たとき、さっきとほぼ同じフォルムのロボットが股間の筒から煙を噴いていた。
そして、その胸には、英語で「PIONEER(先駆者)」と書かれていた。