市場戦士タンバリン
 
第6話 知事と悪事とオリンピック
 
「銃は他人を殺傷するものではない。銃は暴力から身を守るためにある」
全米ライフル協会
 
 
「なんてこった!東京で12円、ニューヨークで45セント、ロンドンでは1ユーロも下がってる。もうすぐ9月中間決算だというのに。ソロン博士、この責任はどう取るつもりかね!?」
 
 日経新聞を床に叩きつけながら、福山は白衣の科学者に罵声を浴びせた。
 しかし典型的なドイツ人紳士の風体をしたソロン博士は、その堂々とした態度にいささかの動揺も見せなかった。
「今回の敗北は」
 立派なカイゼル髭の先を親指と人差し指で整えながら、博士は冷静に答え始めた。
「タンバリンのデータ不足と、サスケのパワーを低めに抑えすぎたことが原因でした」
「原因などどうでもいい、大切なのは結果だ!結社の株価が下がったという今そこにある現実なんだ!」
 かなり興奮した様子で、福山は怒鳴りつけた。
 二度続けて失敗したことは、彼の38年の人生の中で、初めての出来事だった。
 日系3世としてロサンゼルスに生まれた福山は地元の高校を出た後シカゴ大学に入り、国際経済学を専攻した。そこで自由市場経済を至上とする新古典派経済学を学び、その分野で第一人者といわれるピグー教授に師事した。
 シカゴ大学で修士まで修めた彼は祖父母の祖国日本に自由市場経済を広めるべく、秘密結社『無限の正義(株)』に就職し、日本支部に勤務。37歳にして支部長に任命された。
 と、ここまでは順調な人生だった。
 しかし運命は暗転する。
 支部長になったとたん、立て続けに失敗をやらかし、結社に多大な損害を与えてしまった。このままではアフガンでイスラム過激派指導者の暗殺に立て続けに失敗し、現在イースター島派遣所でモアイの修復を行っているハーバード大卒の元中央アジア支部長同様、不遇をかこつことになりかねない。
「言い訳は聞きたくない、ソロン博士。大事なのは次の計画だ」
 興奮冷めやまぬ感じで、福山は引き出しから指令書を取り出しながらそう言った。
「今回の仕事、し損じれば我らは南極支部行きかもしれんぞ」
 半ば自嘲気味に、福山が呟いた。
(ふん、自尊心ばかり高いくせに、臆病で高慢ちきなえせエリートが)
 ソロン博士は内心毒づいたが、言葉はおろか表情にすら出さない。
 そもそも今回の敗因は、予算不足でサスケのパワーを削らざるを得なかったことだ。福山が開発費をケチらなければ、間違いなく勝っていたはずだった。
(おそらく、あのタンバリンとやら、100億近い金がかかっているはずだ)
 ソロンは思う。
(所詮、民間企業にすぎぬここでは開発費が制限される。国家なら開発費は無制限に出してくれる。が、・・・)
「聞いているのかソロン博士」
 ソロンの思考を中断したのは、世界で最も不快な男の声だった。
「で、何をするんですか今回は。ミスター福山」
「ふん。今回は特に重要な任務だ。新関西国際空港から京都へ向かう各国の環境大臣達の乗る政府専用バスをハイジャックし、京都議定書に関する京都会議を妨害するんだ。この作戦には○メリカの大手自動車産業界から大きな期待が寄せられている」
 落ち着きを取り戻したのか、福山の口調はいつもの嫌みなものに変わっていた。
「今回の二酸化炭素削減交渉など、まったくナンセンスだ。そんなことをしたら自動車は売れない飛行機は飛ばせない火力発電はできないで多くの経済活動が阻害される。多少海面が上昇しても、困るのは役に立たない小国で、先進国ではせいぜいオラ○ダだけだ。オラ○ダには、堤防代の援助をしてやればすむ話だ。だいたい・・・」
(馬鹿が、要点だけ言えばいいのだ。余計な価値観を人に押しつけおって)
 ソロン博士は福山の熱弁を軽く聞き流しながらそう思った。
「そこで今回は特別に予算がついた10万ドルだ。今回は言い逃れできないぞ」
 最後に、皮肉たっぷりに、福山は言った。
 
 
 大阪四天王寺公園に、活気が取り戻された。
 追い払われたボランティアの人たちに加え、この事件を知って駆けつけた近傍の大学生達がホームレスの人たちの支援をするべく、チャリティーのフリーマーケットや炊き出しに参加していた。
「いやぁ、小山先生。いい光景ですね。パレスチ○を思い出します」
 超人サスケ部品を回収しに来た小山教授に向かって、アル・海田が話しかけた。
「パレスチ○では毎日が戦いでした。イス○エルの連中はひどい差別主義者で、パレスチ○人というだけでひどく安い給料しか払ってくれないんです。僕は日本人顔だったからそうでもなかったですけど」
「日本も同じじゃよ」
 陽気なアルとは対照的に、暗い表情で小山は答えた。
「日本に来ている外国人労働者の現状、お主も知っているじゃろう。所詮、人間の考えることなど同じじゃ。ワシもアウシュヴィッツから生還した男がパレスチ○で同じような収容所の所長をしているのを見たことがある」
「先生・・・」
 アルは発すべき言葉を失った。
 だが小山はアルの表情を察してか、急に明るい声で言った。
「じゃがくよくよしてもしょうがない。ワシらはワシらの正しいと思ったことをすればいいんじゃ」
「そうですね先生」
 アルがそう答えたとき、四天王寺公園の周囲に黒塗りのライトバンが何十両も現れた。
 ライトバンのボディには「大阪府」の文字が大きく書かれている。
「公園を不法占拠している諸君!」
 選挙カーのようなお立ち台をつけた車両の上に、灰色の作業服を着てマイクを持った初老の男が現れて叫んだ。
「当四天王寺公園は大阪オリンピックの選手村候補地として国際オリンピック委員会の視察を受けることとなった。したがって諸君は直ちに退去せよ。大阪地方裁判所の命令であり、大阪府はただいまより強制代執行を行う!」
「そんな馬鹿な!」
 最初に声を上げたのは、ホームレスの支援の先頭に立っていた産共党の府議会議員だった。
「議会でその案件は否決されたはずです!」
 その女性議員は党の運動員数人を引き連れて、マイクを持った男に詰め寄った。
「知事の命令です。知事は議会に対して拒否権を持つのです」
 その男、おそらくは府庁の課長クラスはそう答えた。
 その状況をつぶさに見ていたアルがその男の方へ行こうとすると、小山が腕を掴んだ。「回収作業は終了した。お主の修理もあるから、研究室に帰ろう」
「でも・・・」
「わしらには関係ないことじゃ」
「・・・・・・」
 アルはしぶしぶ労働厚生省の官用車に乗った。両足が破損しており、カブには乗れそうもなかったからだ。スーパーカブ(市販品)は若い職員が乗って帰ることになった。
「人が考えることは、みんな同じか・・・」
 車の後部座席に横たわりながら、アルは呟いた。
 車の窓から見える大阪の景色が、いつになく暗く見えた。
 
 
「しかし知事も悪でまんなぁ」
 大阪府の府庁の一室で、与党民自党の府議会議員が知事にたこ焼きの差し入れをしながら、そう言った。
「ふふん、最近議員の連中、エロだこやゆーてわいを馬鹿にしとるさかいな。オリンピックでも持ち上げてぇ話題をそらさへんとな」
「そやけどほんまにオリンピックやるんかいな。土地なんかありゃへんで?」
 議員は壁に掛かった大阪府の地図を見やった。
「心配いらへん。メイン会場と選手村だけ大阪にきてもろて、後の会場は奈良と和歌山に頼めばいいんや。連中最近景気悪いよってに」
 そう言って、知事はたこ焼きをぱくつき始めた。
「うまいなぁ、わい、たこ焼き喰うて阪心が巨神に勝てばいうことないんや」
「そやったら選挙カーでセクハラせんといてや、わいら公判対策でたいへんなんやから」
「すまへんすまへん、まぁよろしゅうたのんますわ」
 知事がそう言うと、議員もたこ焼きを一つ放り込み、
「ほなわいはこれで」
 そういって知事室を後にした。
 しばらくしておよそ大阪人とは正反対の雰囲気を持った大柄な男が知事室に入ってきた。
「米山府知事ですね、先日お電話したしました無限の正義株式会社日本支部長の福山と申します」
「おお、あんさんが福山君か、まぁ座れや」
「失礼します」
 米山府知事が立ち上がってソファを勧めると、福山はソファにどっしりと腰を下ろした。
「どうですか、オリンピックの準備は進んでいますか?」
「おおきにおおきに、あんさん達のおかげで順調にいっとりますわ」
「ふふ、我が社としても最大株主の○メリカ政府から共産国でのオリンピック開催を阻止しろと依頼を受けていますからね。北○には開催させません。全力で大阪オリンピックを支援させていただきます」
 そこまで言うと、福山は胸ポケットからタバコを取りだすした。
 するとすかさず米山がライターで火をつける。
「それで、今日は?」
「ふふ」
 福山はまだ二回しか吸っていないタバコを灰皿に押しつけながら、
「実は府知事、お願いがあるんですよ。来月の京都会議の計画書、手に入れていただけませんかね?」
「そんなんでええんか?」
「ええ」
 福山は答えた。
「あなたにとってはあまり価値がないかも知れませんけどね。我々には必要なのですよ」
 
 ・・・そんな人間達の葛藤をよそに、大阪の夜は静かに秋の訪れを迎えつつあった。