市場戦士タンバリン
第12話「決戦前夜」
「西欧文化とその遺産は、オリエントの廃墟の上に成り立っており、オリエントの血を吸わなければ栄えることはできなかっただろう」
サダト(元エジプト大統領)
「タンバリンが本当に死んでいたとしても、日本の対抗勢力を撲滅できたわけではあるまい。根本的な問題が解決されない限り、第二第三のタンバリンが産みだされ、報復の連鎖が世界を覆うだろう」
ソロン博士は朝食をとりながら、『無限の正義』の機関誌『不滅の自由』の社説に目を通していた。
1部75セント、週決めで5$の機関誌の情報を見る限り、タンバリン撃破の大戦果に対して必ずしも好意的な意見ばかりではなかった。
社説は続ける。
「根本的問題とは、日本における半社会主義勢力、すなわち抵抗勢力の存在である。抵抗勢力は与党野党内部に存在し、いまだ日本が完全な民主主義、資本主義の国家になることに抵抗する勢力である。2001年の農産物のセーフガードは、あからさまな自由貿易への挑戦であった・・・」
「ふん、『えせ』経済学者が言いそうなことだ」
そう言うやいなや、ソロン博士は機関誌を床に叩きつけた。
「ご気分がすぐれぬ様子ですが、博士?」
食後のコーヒーを持ってきた弟子の一人が、心配そうに博士の表情を窺った。
「なに、ハーバード出の世間知らずの学者どもが、ワシらの努力をどうこう批評しているいるのが、気にくわないだけだ」
「そうですか・・・ひどい話ですね、2回目の失敗の時は散々ひどいことを書いておきながら、成功したのに批判するなんて」
そう言いながら、その弟子はコーヒーをカップに注ぐ。
「それより博士、次の超人はどうしますか?」
「ああ、フィリピンとイエメンのテロ撲滅に使う、確か海兵隊の特殊部隊の要員とか言ってたな」
福山から来たファックスの文面にちらっと目をやりながら、博士はやる気なさげにそう答えた。
「そんなものは、今回の亀男と同じスペックで、カメレオン男とかトカゲ男とか作ればいい。穴蔵に潜んでいるテロリスト退治には丁度よかろう?」
「そうですね、ああ、そう言えば博士。例の亀男、外務大臣の襲撃に使うそうですが、あんな適当な奴で本当に大丈夫なんですか?」
食器を片づけながら、弟子は疑問を口にした。
タンバリンと壮絶な相討ちを遂げた「先駆者」には93,287ドル49セントもの大金を投じたが、今回の亀男には10,012$97セントしかかけていない。
もちろん対タンバリンと対SPという点でスペックに大きな違いがあるせいだけれども。
「どうせ相手はSPか、最大限SATTだ。亀男は7.62ミリ弾の直撃でもびくともせんからな、例えゴルゴ13を雇っても凡人には倒せまいが・・・」
(だが、もしタンバリンが生きていれば、ひとたまりもあるまい)
そうした推測はしかし、言葉には出さず、半ば自嘲気味の表情を浮かべたまま、博士はコーヒーカップに手を伸ばした。
その頃、東京地検特捜部では外務省と『無限の正義』の癒着構造についての捜査が進展していた。今回のターゲットはエリートキャリア組の春日局長であり、前回のノンキャリの課長クラスとはわけが違う。
「捜査から春日局長の東大同期を外せ、万一事前に漏れたら長官の首が飛ぶぞ!」
韮崎検事が特捜部の職員を前に指示を出していた。
高級官僚で問題となるのが、半数を占める東大の同期ネットワークであり、官庁の情報の伝達はこうした非公式ルートを使って流れているのである。
唯一の例外は防衛庁で、ここでの制服組では東大ではなく防大が主流であったが。
「春日はいま槇田大臣と犬猿の仲にある。おそらく『無限の正義』と組んで大臣の失脚を狙っているに違いない」
「しかし班長、容疑はどうしますか。前回の札だって業務上横領が罪名だったはずですが?」
五十嵐事務官がそう聞くと、
「馬鹿野郎、てめーは検察入って何年飯食ってきたんだ!?」
と、いつものように怒鳴られ、
「罪名なんてなんでもいいんだ。駐車違反でも軽犯でも。前にお笑いタレントのナンとかってやつの麻薬事件の時、警視庁は『覗き』で令状とったろうがぁ!!」
と締めくくられた。
確かに昨年くれ、かねてから警視庁がマークしていたお笑いタレントの高城という男の家を捜索するとき、容疑の罪名は民家の風呂を覗いたという軽犯であった。
そういえば10年くらい前の「名古屋地下鉄マスタードガス事件」の時、容疑のかかったカナリア真教というカルト集団の構成員に対する別件逮捕では、そうした令状が横行した経緯もある。
それゆえ、韮崎の言うことも確かに正しいものであるが、許可状請求は骨の折れる仕事の上にあからさまな別件、しかも相手が高級官僚となれば腰が引けるのも理解して欲しかったが。
通常、通信傍受や家宅捜索など、人権侵害や強制を伴う犯罪捜査を行うには裁判所の発効する許可状が必要である。
その許可状請求には犯罪を犯した疑いがある程度存在し、強制捜査を行うことでその真偽が確かめられる程度の証拠が必要である。もちろん証拠が相当程度にあれば逮捕状を請求することになる。
令状の請求には捜索許可状、検証許可状などの許可状請求書といくらかの証拠を示す報告書を作成しなければならない。
余談だが、一番大変なのが緊急逮捕時の逮捕状請求書で、これは刑事訴訟法の関係上、逮捕から数時間以内に求めることが決められており、充分な証拠が無いうちに逮捕すると捜査本部は戦場と化す。
そして、五十嵐事務官は、今夜も泣く泣く各種捜査許可証を貰いに行った地検で裁判官からもいじめられ、結局半年前に結婚した新妻の待つ家に(今日も)も帰れなかった。
「あのー班長。俺は何をしたらいいんですか?」
そうした修羅場になんら動揺することなく、アルは韮崎に素朴な疑問をぶつけた。
アルは肩書きは検察事務官だが、言うまでもなく司法手続きの教育を受けたことはない。 さすがに、ここ2週間で逮捕手続だけは勉強したが・・・
ということで、書類に追われることはなかった。
ここ2週間やったことといえば広域指定暴力団事務所のがさ入れについてって、邪魔しようとしたちんぴらを排除したぐらいである。
「おう、おめーにもいい仕事があるぜ。ちっとばっかし違法だがな」
韮崎は不気味な笑顔を浮かべながら、アルの肩をポンと叩いた。
「ふむう、最近日本の景気の先行きが不透明なせいか、わが『無限の正義』の株価も低迷気味だな。やはり槇田大臣の拉致を成功させて、わが秘密結社の実力を全世界に喧伝せねばなるまい」
日経新聞を読みながら、福山は原宿のビル4階のオフィスで、独り言を呟いていた。
前回の京都会議への軍事介入に成功し、一時はストップ高をつけた『無限の正義』の株価も、年明けには徐々に値下がりを始めていた。
もちろん日本の景気の先行きへの不安と円安が最大の理由であるが、原因のひとつには中央アジア支部が反米テロリストの親玉を見失い、中国支部がオリンピックを北○に取られるなど、他の支部の工作失敗があった。
「まぁ、それも今週までだ。明日の夜には反米の立場をとる槇田大臣の拉致に成功し、週明けには我が社の株も上がるというものだ・・・我ながら面白い『しゃれ』だな、くくく」
半分意味不明の笑い声を上げながら、福山は己のセンスのなさには気付かずにいた。
たったたーたーたーたー・・・
不意に、福山の携帯のひとつがアメ○カ国歌を流した。
「ふふ、春日局長だな。明日のことが気になって電話をかけてきたか・・・小心者めが」
福山はそう呟くと、13個並んだ携帯のひとつを取り出した。
思った通り、不安にかられた春日局長からのものであったが。
・・・その内容はしかし、5階の空き部屋を借りて住んでいたアルによって、全て傍受されていたのであった。