市場戦士タンバリン
第11話「通信傍受」
「発展途上国が、例え緩慢であろうとも近代化に漸進しており、不断に成長を遂げているといった楽観的な仮説は否定されるべきだ」
アイゼンシュタット
「あら、アル君じゃないの、久しぶりね」
かつて日本を震撼させた革命のリーダーは、にこやかに話し始めた。
「お久しぶりです、軽信おばさん」
久しぶりにレバノンでの知り合いに会ったせいか、アルは上機嫌でそう応じた。
「あ、そうそう、差し入れがあるんです」
アルはそう言うと紙袋からさっき上野駅で買った浅草人形焼きを手渡した。
「あらあら、どうもありがとう。うれしいわねぇ、人形焼きなんて何十年ぶりかしら」
軽信被告は、うれしそうに箱を受け取った。
もともと東京生まれの東京育ちの彼女は、1960年代の安保闘争の際に日本紅軍を設立し、いくつかの学生運動を指揮していた。
その後、分派の一部が朝霞山山荘事件で壊滅すると、国内での活動を断念。
1972年、日光ジャンボ機「大淀」号をハイジャックして北○鮮に亡命する。
それからレバノンに本拠地をかまえ、現地の反イス○エル闘争グループと組んでいくつかの国際テロの指導を行ってきた。
アルの父親である海田俊樹は彼女の部下の一人であり、1991年にイス○エル当局に暗殺されるまで彼女を支えていたのである。
「それで、今日は何を聞きに来たの。小山教授?」
軽信は、アルではなく小山の方に視線を走らせて、そう言った。
(勘の鋭い女じゃ、今まで公安が逮捕できなかったのも頷けるの)
小山は一瞬、悪寒を覚えた。
それに、なぜ自分の名を知っているのか?
「・・・『無限の正義』の正体について知りたい。おぬしならあいつらのことに詳しいじゃろう?」
婉曲的表現が無駄だと悟った小山は、単刀直入にそう聞いた。
「ちょっと待ってください、話がわかりません!」
一人事態を飲み込めないアルが、抗議の声を上げる。
「アル君、これは重要な話よ。公安もそれを聞きたがっていたわ。もちろん、軍国主義の犬になんか教えてあげないけれどもね」
あたかも『無限の正義』の詳細を知っているかのように、軽信は含みを持たせた。
「詳しくはまだ教えられないけれど、彼らの目的ははっきりしているわ。表向きは公開秘密結社だけれども、本当は最大株主である『ア○リカ政府』の非合法活動を請け負う、CIA不正規部隊の天下り先で、ア○リカ政府や西側民主主義国家の非合法活動も請け負っているの。シリアで捕まえた無限の正義の工作員から聞き出したんだけど」
「CIAとは関係あると思っていたが・・・まさか天下り先だったとは・・・」
「それだけじゃないわ」
怪訝そうな表情を見せる小山と、事態を飲み込めずきょとんとしているアルを後目に、軽信は続けた。
「日本国内にも『無限の正義』と深いつながりのある政治家や官僚がいるわ。昔、田村助平首相をロッカー社の賄賂工作で追い落とした竹上降、曽根村弘樹とその派閥幹部、それに外務省の大半の局長達は完全に奴らの手の内にあるの」
「・・・・・・」
しばしの沈黙が続く。
そして、この沈黙を破った声は、意外な人物であった。
「時間です。今日の面会は終わりです」
その人物とは、看守だった。
その頃、東京地検特捜部の韮崎検事は、部下の真田検察事務官とともに、外務省の安全保障局長の春日を尾行していた。
昨年捕まえた外務省の官僚達から、しばしば名前が出ていたからだ。
もちろん、外務省が告訴しない限り起訴に持ち込むだけの証拠は掴んでいない。
しかし先日、春日が昨年末に『無限の正義』の日本支部長である福山と密会したらしいという情報が、内調(内閣調査室)からもたらされている。
『無限の正義』は表向き経営コンサルタントの秘密結社で、東証一部に上場する一流企業だったが、その経営の実態は謎に包まれていた。
そんな怪しい会社の支部長と外務省の局長が会うということは、何か特別の事情があると韮崎は睨んでいたのだ。
春日は六本木のとあるマンションに人目を避けるように入っていった。
「おかしいですね、ボス。奴のマンションは池袋ですよ」
真田が手帳をめくりながらそう言うと、韮崎はタバコに火をつけ、一服して答えた。
「大方2号だな。去年豚箱送った松岡の話じゃあ六本木のスナック『花梨』のママだ。なんでも店出す資金を春日か貸したんだと。現金で4千万円な。年収1千万そこそこのあいつにそんな金が用意できるわけはない」
そう吐き捨てると、春日は携帯電話を取り出してリダイヤルを押した。
「はい、ボス。五十嵐です、何かありましたか?」
電話に出たのは、部下の五十嵐検察事務官だった。
「おう、五十嵐。星が愛人のマンションに入ったのを現認した。てめーはすぐ報告書書いて地裁から盗聴の札(許可状)貰ってこい」
「え、一人で行くんですかぁ?」
「当たりめぇだ、てめぇ検察入って何年だ!!」
五十嵐事務官のささやかな抵抗は、軽く粉砕された。
「うう、わかりましたボス。今日中に札貰ってきます」
「アホかてめぇは、3時間だ、3時間。緊逮(緊急逮捕)でも3時間で札取れるぞ!」
その様子を見ながら、真田事務官は心底尾行組でよかったと神に感謝した。
アルが特捜部のデスクに帰ってきたのは、午後6時頃だった。
東京とはいえ1月の夜は寒い。
特に今年は25年ぶりの大寒波が日本全国を覆い、名古屋では積雪のため多くの交通機関が麻痺したほどであった。
温度を感じることのない身体になってしまったアルだが、寒いとバッテリー電池の残量が減るのが早いので、感覚的に寒いということはわかる。
「ああ、はやく電気椅子に座りたいなぁ」
一般人が聞いたら思わず吹き出しそうな言葉を呟きながら、アルは警備員に身分証明書を差し出す。
「あれ、アルさんじゃないですか」
不意に、後の車から最近聞き慣れた声が聞こえた。
車から顔を出したのは同僚の五十嵐事務官だ。
早稲田大学法学部を3年前に卒業したばかりで、検察事務官としては非常に若い部類に入る。
「あ、五十嵐事務官。こんな時間にどこへ行ってたんですか?」
助手席に乗せてもらいながら、アルは五十嵐に話しかけた。
「地裁ですよ」
「何しに?」
「札もらいに」
「札って何?」
「検察事務官にあるまじき恐ろしい質問ですね。まぁそのうちわかりますよ」
五十嵐は笑いながらそう答えた。
車が駐車場に着くと、そこには韮崎検事が待っていた。
「おせーぞ、五十嵐。3時間って言っただろうが!」
開口一発、韮崎は怒鳴りつけた。
「そんなぁ、3時間でもらってきましたよぉ」
両手で頭をカバーしながら、泣きそうな声で五十嵐が弁解する。
「馬鹿野郎、3時間で貰うんじゃない。3時間で帰ってくるんだ!」
「そんな・・・」
五十嵐がさらに抗弁を試みようとしたが、韮崎はすぐに後部座席に飛び乗った。
「あれ、検事、今からどこか行くんですかぁ?」
「アホかてめーは、札とったんだからNTTに行って奴の通話を傍受するんだろうが!」
「ええ〜、今日まだ昼飯食ってないんですよぉ?」
「うるさい、真田はこの寒い中一人で奴を張ってんだ。飯ぐらい我慢しろ!」
「はぁ、じゃあ行きますよ。あ、アルさんどうします?」
五十嵐がそう言うと、アルは笑って答えた。
「真田さん頑張ってるんだから、僕も電気ぐらい我慢しますよ」
午後8時26分、NTT東京の某所に設置された通信傍受用のヘッドホンを聞きながら、韮崎検事、五十嵐事務官、アルの3人とNTTの職員1人が狭い部屋に集まっていた。
「これから外務省安全保障局長の春日の電話を傍受する。2時間交代で後は仮眠だ。ただし『無限の正義』とつながったら全員起こせ、いいな」
韮崎はそう指示し、五十嵐に買い出しを命じてから最初にヘッドホンをつけた。
手元には通信を全て録音する器材のスイッチが置かれていた。
最初にかかったのは午後9時2分、春日が自宅の妻に電話をかけた時であった。
(公恵か、すまんが俺は今日防衛庁のテロ対策会議にオブザーバーで参加しないといけない。多分泊まりになる)
「け、何がテロ対策会議だ」
韮崎は毒づいた。
「てめえの囲ってる愛人といちゃついてるくせに、だから外務省ってのは信用ならねぇ」
去年外務省の官僚を10人以上尋問したせいか、かなりアンチ外務省症候群が進行している韮崎は、この会話もしっかり録音した。
「どうせマンションの家賃も機密費かなんかだ、正体暴いてやる」
韮崎はそう意気込んだが、交代までに電話はなかった。
次に電話があったのは11時23分、今度は春日にかかってきた。
「春日局長ですかね、私ですよ。槇田大臣の車のナンバーと正確な運行計画をお願いしますよ。ではまた」
「ヒット!!!」
その時傍受していた五十嵐事務官が叫ぶ。
「もう来たか!」
ベッドに横たわっていたアルと、焼きそばパンを食べていた韮崎がすぐさま近寄る。
「よし、すぐに再生しろ!」
「はい!」
そう元気に答え、五十嵐は喜々としてテープを再生した。