市場戦士タンバリン
第10話「タンバリン、東京へ行く」
「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無の者は、人間がかつて達したことのない段階にまですでに登り詰めた、と自惚れるだろう」マックス・ウェーバー
暗いトンネルを歩いているようだった。
ここはどこだろう?
もしかして天国への道なのだろうか?
幼い頃かよったモスクの講義で、イスラム教の指導者は
「殉教者は天国に行ける。天国には72人の神女がいて、幸せに暮らせる・・・」
と説いていた。
あれは嘘だったのだろうか?
何もない、ただ暗いトンネル。
それとも、俺は殉教したわけではなかったのか?
そういえば、父も兄も、イス○エルとの戦いで殉教した。
弟は、アフガ○スタンでア○リカ軍の最新式の爆弾で、生きながら灼き殺された。
俺は・・・変なロボットと戦って死んだ。
・・・・・・
いやだ、どうせ死ぬなら殉教したかった。
なぜ俺はイス○エル人やア○リカ人と戦って死ななかったんだ?
このトンネルの先には、何があるのだろう。
アッラーの裁きは、どういう結論を導くのだろう。
・・・光が見える。
あの先には、どんな世界が待っているのだろうか。
「気がついたようだな、アル」
アル・海田が目を覚ました場所は、病院の一室のようだった。
周りには小山教授と、見慣れない背広の男達がいた。
「ここは・・・?」
自分はてっきり死んだものだと思っていたアルは、状況がよく理解できなかったのだ。
「幸か不幸はわからないが、君は死んではいないのだよ」
小山は噛み含めるようにゆっくりと喋った。
その表情には、苦悩のかげりが見える。
「先生・・・俺は死んだわけではなかったんですね」
「ああ」
小山は、重い口調でそう答えた。
「先生、顔色が悪いですよ」
小山の表情を察して、アルはそう言った。
それから例のロボット−先駆者−がどうなったか聞こうとした刹那、
「2週間ぶりの意識回復のところ申し訳ないが」
見慣れない背広の男の一人が、アルの言葉を遮った。
背が高く、表情は硬いがインテリ風の容貌だ。
「私は東京地検特捜部特捜検事の韮崎検事だ。こいつらは検察事務官の五十嵐と真田」
韮崎と名乗る男は、抑揚ない声で自己紹介をした。
「ああ、どうも。私はアル・海田です」
「知っている」
どうしてこいつは無駄な名乗りを上げるのだろう、といった口調で、しかも最小限の語彙で、韮崎は答えた。
「我々は忙しいので、君に要件だけ言っておく。君は今日から特捜部の検察事務官として働いてもらうことになった。内調(内閣調査室)と公安(国家公安委員会)との話し合いで、そう決まった。ゆえに今度から、自分のことは海田事務官と名乗り給え」
高圧的な、傍若無人な態度で、彼は言った。
「そういうことじゃアル・・・いや、海田事務官。おぬしは公式には殉職したことになっておる。厚生労働省の医薬局生物製剤課では、おぬしの葬儀もやった・・・」
「いやです、もう」
アルは首を横に振った。
「なんだと?」
韮崎が左の眉をつり上げながら、強面の顔をぐいと近づける。
「俺はもう、イス○エル人とア○リカ人以外とは戦いたくないんです」
「なんだと貴様、それでも日本人か!?」
韮崎はいきなりアルの寝間着の襟を掴んだ。
しかし、アルは全く動じなかった。
「俺はレバノン人だ、日本人なんかじゃない!!」
「き・・・きさまぁ!!」
突然、韮崎は懐からニューナンプを取りだし、アルのこめかみに当てる。
「もう一度言ってやる。お前は今日から俺の部下だ。東京地検特捜部の検察事務官として」
「いやです、撃ちたければ撃っていいですよ。どうせ効かないですけど」
「く・・・」
「事実じゃよ、韮崎検事。ここは病院だ、その物騒なものはしまってくれんかの」
小山が静かに言った。
「・・・博士がそうおっしゃるなら仕方がないな」
あくまで高慢な口調で答えながら、韮崎は銃をホルダーにしまう。
「まぁ、今日のところは『病み上がり』ということで休暇を与えてやる。3日後の月曜日にまた来るから、それまでによく考えておけ」
最後まで高慢な態度で、韮崎は病室を出た。
そして後を追うかのように、二人の検察事務官が病室を出る。
残されたアルと小山博士の二人の間に、しばらくの沈黙が続く。
「なぁアル」
十数分の沈黙の後、口を開いたのは小山だった。
「軽信を知っているか?」
「ええもちろん。俺の父の同志で、小さい頃はよく遊んで貰いました。今年大阪で捕まったそうですが」
軽信被告は、かつて日本を震撼させた左翼過激派のリーダーの一人で、30年ほど前にレバノンに亡命した女だ。
その後イス○エルの空港で無差別殺人を指揮したり、オラン○で大使館を占拠したという容疑で国際指名手配され、今年大阪のシンパの家に潜伏しているところを逮捕された。
「・・・会ってみるか?」
「え?」
「今彼女は東京拘置所にいる」
アルはしばらく黙っていたが、ふと顔を上げて聞いた。
「でもどうして、先生が会うことを勧めるんですか?」
「・・・彼女の潜伏先を大阪府警に教えたのは、『無限の正義』じゃ」
「なんですって、それじゃあ・・・」
「実は大阪は、知事以下ほとんど『無限の正義』と繋がっている。前の事件の時だって、府警はわざと出動を遅らせたり、マスコミを抑えたりしていた」
小山は眉間にしわをよせながら話を続ける。
「もはや大阪で戦っても意味がない。東京に行き、奴らの本拠地を叩かなければならん。それに連中のほとんどはア○リカ人だ。戦闘員も日系というだけで、ア○リカ人に変わりはない」
「・・・・・・」
「どうじゃアル、特捜に入って東京に行き、『無限の正義』の本部を潰す気はないか?」
そう言われたときには、すでにアルの腹は決まっていた。
その頃、原宿の『無限の正義』日本支部では、福山と亀のような甲羅をつけた男が熱心に地図を見つめていた。
「外務省からリークした情報によれば、槇田外相は1月18日午後6時に永田町の議員会館を出ることになっている」
福山は地図上の議員会館を指さしてそう言った。
そしてワールドカップのレセプション会場である赤坂のホテル「ニュー大蔵」とをつなぐ道路をなぞってゆく。
「ここだな」
福山が指さしたところは、オフィス街にある交差点で、右折しなければならないところだった。
「ここは土日ほとんど人がいないし、右折に減速しなければならないから襲いやすい。ここで大臣を拉致して晴海埠頭に連行する」
「なるほど、さすがは福山支部長」
おそらくは新しい超人であろう、亀男は言った。
「しかし赤坂署が近いですね。警視庁は抑えておられないんでしょう?」
「確かに、大原都知事は国粋主義者だし、警視庁は大阪府警とはレベルが違う・・・が、一時的になら動きを封じられる」
福山はにやりと笑いながらそう答える。
「前に新宿でやった手を使う」
「ああ、雑居ビル火災ですね」
「そうだ。前回のように元空挺部隊出身のジャスティーを使う。警視庁もまさか、3階から飛び降りて無傷で走り去るような人間がいるとは思えまい。しかも、今回は5階でいく」
そこまで言うと、福山は机の引き出しから、赤いファイルを取りだした。
「それは何ですか?」
亀男が聞くと、CIAの刻印の入った表紙を見せ、
「東京にある共産圏の息のかかった風俗店・企業一覧表だよ。主に中○、北○鮮、ロシ○のスパイ網に関係しているところだ」
「ずいぶんあるんですね」
「ああ、この国にはスパイ防止法がないからな」
そう言いながら、福山は赤坂地区の店を探し初めた。
「ここがいいな」
福山は赤坂のビルの一つを指さした。
「このビルは、1階の牛丼屋以外は全て北○鮮系のオーナーが所有している風俗店だ。名義は金田一郎だが、本名は金詮嘩、在日朝○人だ。朝鮮○連の幹部でもある」
「ふうん。それじゃあそこから流れた金の一部が、核開発に使われているんですね」
「そのとおりだよ、まったく日本人というのは馬鹿ばっかりだな」
そう言うと、福山はその部分をメモに書き写した。
「警察の方は、ここを燃やして惹きつける。君はジャスティーを率いて槇田大臣を丁重にお出迎えするんだ」
年が明けて2002年1月7日、アルは小山と一緒に東京拘置所の面会案内に来ていた。
「軽信さんに会うのは15年ぶりかなぁ」
アルはうれしそうに待合室で待っていた。
正月明け早々であるせいか、けっこう面会の弁護士や家族とおぼしき人たちが餅などを抱えて待っている。
「まぁ、ここで家族に会うようなことはしたくないがの」
小山は、もっともなことを言った。
「そういえば先生のご家族の聞いたことありませんね」
アルがそう言った時、看守から呼び出しがかかった。
「小山さん、面会時間です、20分です」
「はい!」
自分の名が呼ばれたわけでもないのに、アルは揚々と面会室に入ってい行った。