市場戦士タンバリン
 
第1話 市場戦士誕生 
 
「来るべき時代には文明の衝突こそが世界平和にとって最大の脅威であり、文明にもとづいた国際秩序こそが世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置なのである」  S.P.ハンチントン『文明の衝突』
 
 大阪国立衛生研究所第二実験棟の地下にある手術室に、一人の男がベッドに寝かされていた。
 この実験棟は10年前に看護婦や治療費の水増し請求で院長が逮捕され、破産管財人から国が買い取ったという輝かしい伝統がある。
 その男は30前半で立派な口ひげを蓄え、筋骨隆々としたおよそヒーローものには不適格極まりない悪漢である。
 その男の傍らに立つ男もまた、立派な口ひげを蓄えた初老の紳士であり、心電図と心拍数を示す計器の画面を注意深く観察していた。 「テルルルルル・・・・」
 突如、入り口のドア付近の電話が鳴った。
 白衣の男はめんどくさそうに受話器を取り上げ、
 「ワシだ。何のようだ?」
 とぶっきらぼうに言った。
 「高橋です、ドクター・小山。治験はどのくらい進んでますか。飯尾さんが来週の会議で中間報告をしなければならないそうで・・・」
 「わかっておる。今のところ順調じゃ。一日遅れじゃが、明日には実戦に投入できる」
 「わかりました、ドクター。飯尾さんには明日休日出勤して待つように言っておきます。それでは」
 小山と呼ばれた白衣の男は、その返事を聞き終わる前に受話器を元に戻した。
 「まったく、役人という奴は報告、報告とうるさいわい。そんなにせかすから我が国の基礎科学は世界水準にたっせんのじゃ」  そう呟きながら、インスタントコーヒーにお湯をそそぐ。
 実質1杯68円のチープな香りが、薬用アルコールの臭いの中に溶け込んでゆく。
 「しかし、予算と労働厚生省お墨付きがないと治験なんぞできんしのう」
 小山はそう言いながら、まだ熱いコーヒーに口を付けた。
 刹那−
 「あちちちちちちちち!」
 思わず熱いコーヒーに舌を灼かれた痛みに声を荒げ、カップを放り出す。そして急に立ち上がりしな、酸素吸入器のコンセントを引き抜いてしまったことに、まったく気がつかなかった。
 「ふうう。ワシとしたことが失態じゃわい」
 小山はそういいながら雑巾を探しに実験室を出ていった。
 
 「苦しい、苦しい、苦しい!」
 ベッドに横たわった男は、酸素不足で苦しんだ。
 そして急に−まだ麻酔が効いているにも関わらず−上半身を起こしてって酸素吸入器を外した。
 「はぁはぁはぁ・・・、あれ、いったいここはどこだ?」
 男は上半身を起こしたまま、あたりを見回した。
 一見すると病院の集中治療室である。現物を見るのは初めてだが、この光景自体はドラマ番組で何度も見たことがある。
 「俺は、事故にでもあったのか?」
 男は自分に繋がれたいくつもの計器のコードと、間断なく記録を続けるコンピューターの画面を見つめながら呟いた。そして、深刻な表情に変わった。
 「と、いうことは・・・俺のビザ切れがばれたうえ、保険をかけてないのにこんな高い治療をうけちまったのか」
 男は頭を抱えた。
 この男の名はアル、姓は海田。日系レバノン人三世で、血統上は純日本人であるが、国籍はレバノンだ。祖父母は『日本赤軍』という正義の味方だったらしい。ベイルート(レバノンの首都)は失業率が高いので二年前に半年間の留学ビザで入国し、不法就労を続けていた。もっとも、生まれてから何度も祖父母や両親達と日本に密入国を繰り返したから、日本語はネイティヴといっていい。
 最後の記憶は、U.S.パークの倉庫でコカコーラの段ボールをリフトで運び上げる仕事をしていたことだ。
 「思い出した!」
 彼はコカコーラの段ボールの山が崩れるシーンを、鮮明に思い出して叫んだ。
 すると慌ただしくドアが開き、先生らしき初老の紳士が驚いた形相で中に入ってきた。
 「おい、君、気がついたのかね? 麻酔がかかっていたはずじゃが・・・」
 そんな小山の疑念など全く意に介さず、アルは悲痛なおもむきで言葉を返した。
 「はい。先生、おかげさまで・・・ところで、治療費はどれぐらいかかったんですか。私は保険に入っていませんし」
 「治療費?」
 小山は一瞬『こいつは何をいっているんだ?』といぶかしがったが、常識的に考えれば、彼は自分が『国家機密レベルの実験体に使われている』ことなど知らないのだから、ある意味当然の質問かも知れない。
 「治療費は、ただだ。そのかわり、国のために働いて貰う」
 小山はそう言って手にしたバケツと雑巾をテーブルの上に置いた。
 「働く、ですか。でも私はビザ切れですから、強制送還されてしまうのです」
 アルは悲しそうに言った。
 しかし、小山は冷静に答えた。
 「その点は心配ない。君は公式には死んだことになっている。これが、7日前の朝刊だ」
 そう言っては小山は、7日前の日付の日経新聞を差し出した。一面には『イスラエル軍、レバノンに再侵攻』と書いてある。
 
 「・・・いや、そこじゃなくて」
 
 小山は社会面の左端の5行くらいの小さな記事を指さした。
 『不法就労者事故死』という小さな見出しに、倉庫の荷崩れに巻き込まれたレバノン国籍の日系人(32)が死んだという
 「不法就労者・・・」
 「まぁ、過ぎたことは気にするな。たかが戸籍上死んでるというだけじゃ。じゃから、強制送還されることはない」
 小山は誇らしげに言った。
 「・・・それで、私は何をして働ければいいのですか?」
 諦めきった顔で、アルが問いかけた。
 「ふむ、実はある『正義の秘密結社』と戦って欲しいのじゃ」
 「は?」
 「実は先月、我が国に世界を完全な自由市場経済と民主主義で支配しようという正義の秘密結社『無限の正義』の工作員が潜伏したという情報が入ったのじゃ。連中は『ジャスティー』と呼ばれる特殊部隊と、バイオテクノロジーによって産みだされた『超人』を使ってよからぬ陰謀をたくらんでおる」
 「はぁ」
 「そこで我が国政府もやつらに対抗すべく、改造人間を作って戦わせるという計画を練ったのじゃ。所管は労働厚生省医薬局生物製剤課じゃ」
 「改造人間・・・まさか?」
 アルは、おそるおそる聞いてみた。よく見ると腕は奇怪な機械で覆われており、首から下の感覚がない。
 「ふふふ・・・そのまさかじゃよ。アル・海田君。君は我が国の市場を守るため最高の技術とバイオテクノロジーを駆使して作ら れた最高の試作改造人間、
 
 市場戦士『タンバリン』なのじゃ!」
 
 小山が唾をまき散らしながらそう言い放つと、アルは一瞬たじろいだが、すかさず平静を取り戻して叫んだ。
 
 「いやじゃああああああああああああああああああああそのネーミングセンス!!!!!」
 
 アルがそう叫ぶと、小山は怪訝そうな顔をして答えた。
 「気にいらんか?」
 「当たり前でしょうが! パー○ンとか○カイダーとかメ○ルダーとか、もっとセンスのある名前を思いつかなかったんですか!?」 
 「いや・・・それもいいセンスとは言い難いが・・・」
 アルの剣幕に押し立てられ、小山はたじろいだ。
 「しかし、そういう名前で労働厚生省に計画案を提出して大臣の認証を得たから、そう簡単には変えられないのだ。どうしてもいやなら、正規の手続きで労働厚生大臣宛に行政不服申し立てをしてくれ」 
 「あの・・・そんな思いっきり現実的なことを言われても」
 今度はアルがたじろいだ。そしてしばらく考え込んでから、一つの疑問を口にした。
 「そう言えば先生、さっき確か『試作』って言ってませんでしたか?」
 「うむ、その通りじゃ。じゃからこれから改造人間の実戦テストをして、成功すれば量産して防衛庁にでも売りつけようと思っているところじゃ」
 「・・・それって人権侵害じゃぁ?」
 「大丈夫じゃ」
 小山は自信たっぷりに言った。
 「死人に人権なしじゃ!」 
 「死んでません!!」
 一瞬の思考の余地もなく反論しながら、アルは机を叩いた。するとベキベキと音を立ててスチール製の机にひびが入る。
 「あの、先生。机が割れたんですけど」
 「当たり前じゃ」
 小山はほこらしげな笑いを浮かべながら答えた。
 「握力177キロ、背筋力302キロのパワーと、鳥人ブブカもびっくりな走り高跳び3メートル18センチ、走り幅跳び9メートル11センチ、100メートルは8秒67で走れる高性能な改造人間じゃ。仕様書上はな」
 「なんですか、その中途半端な数字は」
 「いや、基本能力を決めるとき、委員会でもめたもんで、全員の意見を平均しようということになってな」
 
 「んなもん平均するなー!!」
 
 アルがそう叫ぶと同時に、内線電話が鳴った。
 「なんじゃよ今度は」
 そう言いながら、小山は受話器を取り上げた。
 すると高橋の慌ただしい声が聞こえた。
 「ドクター、大変です。『無限の正義』の連中が、米の自由化に反対している食糧庁次官を拉致して逃走しています!」
 「何!? ついに連中が悪事を働きだしたか!!」
 「ええそうです。犯人は大阪南港に向かっています。府警が追っていますが、奴らは重火器を持っているので近づけません」
 「自衛隊はどうしたのじゃ!?」
 「それが、知事がセクハラ裁判に出廷中で、治安出動要請ができないのです」
 「ううむわかった。すこし早いが、タンバリンを実戦に投入しよう。飯尾局長には君から伝えてくれ」
 「わかりました」
 高橋がそう答えると、小山はアルに向かって言った。
 「聞いた通りじゃ。『無限の正義』の連中がついに動き出したようじゃ。起きたばかりで悪いが、奴らの陰謀を阻止してもらいたい」
 
 −こうして、アル・海田の市場戦士『タンバリン』としての第二の人生が、やや騒々しく幕を開けた。