番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / 注意事項なし

魔王の世界征服日記 番外編

魔王の世界征服日記 The Movie 『きんじられたことば?』

written by 日々野英次
「それは言っちゃだめだよ」
 彼女はごく普通の会話のように言った。
「そんな風に呼ばれたら、ナオ、いくら弟だからって間違いなくひねり殺されるよ」
 内容はあんまりな物だったが――

 そもそも彼女が家に帰ってくるのは珍しい事だった。
 鮮やかなオレンジに近い赤色の長い髪、すらりとした長身に引き締まった四肢。
 つり目がちな猫系の顔立ちの、二番目の姉だ。
 彼女の名前はミマオウ=ナツ、人呼んで「朱(あけ)の将軍」。
 帰ってきたというよりも顔を見に来たという印象も受ける。ちなみに今結婚相手ぼしゅーちゅう。
 実は、弟であるナオは(物心ついてから)初めて顔を合わせたことになる。
 常に戦場を駆けめぐり、訓練する暇もないほどらしい。詳しいことは聞いていないが。
「え、え……」
 だから、たとえ姉にとっては弟でも、彼にとってはその言葉を信じるには少々の抵抗がある様だった。
 夕食と風呂を終えた姉弟達は、話題の中心である長姉を除いて居間に集合していた。
 ナオは湯上がりの艶やかな髪にタオルをかけ、薄手の服装であぐらを組んで、ソファの上にいた。
 まだまだ幼さの残るふっくらとした顔立ちは、少年と青年の境目といった印象を一層強くする。
 吊り上がった目元は、よく見てみればナツにそっくりなのだが。
「そうですね」
 今度は、ナオの隣にちょこんと腰掛けた、少し背の低い三番目の姉が言う。
「ナツ姉さんがあの時はとんでもない事になってしまって」
 彼女は吊り目と言うよりは鋭く切れ長で、綺麗な印象が強い。
 顔立ちは幼い感じがあり、ナオとよく似ている。名前はフユ。彼女は人呼んで「青の将軍」。
 姉妹そろって同じ軍属で、フユが准将、ナツが中将である。
「そうそう。危うく涅槃にてまつ、かなって思ったよ。あはははっ」
 明るく笑うナツに、ナオは怪訝そうに眉を寄せて顎に手を当てた。
「……そりゃ、呼ばねーけどさあ、そんなの」
 一番上の姉、アキは彼女達の一番上で、司令官なのである。
 ほんわかした雰囲気にいつもにこにこ笑みを絶やさず、姉や彼と違いたれ目でどこか優しい印象を与える。
「じゃあいっぺん呼んでみればいいんだよ」
 ナツは笑いながら言った。
 フユの頬が引きつった。あの顔色を変えない姉が、誰が見たって判るほど頬を引きつらせたのだ。
 だから、ナオは信じることにした。
 そしてもう一つ。絶対に口にしないことを誓った。


「ゆーちゃーぁん」
 ぽてぽてと可愛らしい音を立てて、彼女の真後ろから間延びした黄色い声が近づいてくる。
「黙れミチノリ、集中が乱れる」
 黒いざんばらに切った髪に、どこか草臥れたような印象を与える顔。
 見ようによってはただ眠いのを我慢して不機嫌なようにも見える。
 整った顔立ちから鋭く断ち切るような強い口調が漏れる。
 目の前にある水晶は淡い光を湛えて、彼女の顔を照らし上げている。
「ごはんできたよぉ」
「薄く切った肉をパンにはさんでもって来い」
「早くひえないうちにぃ」
「聞け馬鹿者」
 ぐいっと彼女の首に腕を巻き付けて、全身で彼女を後ろに引っ張ろうとする。
 白い肌に細い腕、甲高いとろんとした声だが、彼はれっきとした男である。
 全く対照的な二人。
「なぁにぃ」
 にこにこ。
 ミチノリの笑みは、どこか見る者もとろけさせるものがある。
 だが、彼女、ユーカには通じていなかった。
 こちらは本気で疲れた顔で、自分の背中から抱きついている男に横目を向ける。
「……私は今忙しい」
「んん。丁度良いから休憩しない?ばんごはんできたし」
 むにむに。
 ユーカの左頬を、右手でつまんでみる。
 右頬を、自分の左頬に押し当ててみる。
「ゆぅちゃぁん」
 むにむに。
 さすがにうざったく感じたのか、それともめんどうくさくなったのか。
 思いっきりため息をついたと同時に、水晶から輝きが消える。
「もう実験にならない。……お前のせいだぞミチノリ。夕食にしよう」
 するり、と腕が彼女の身体から離れる。
「うん♪」
 くりん、と一回転して、とてとてと台所に向かっていくミチノリを見送って。
 ため息をついた彼女の顔も、どこか嬉しそうに口元を歪めていた。

「そう言えば」
 テーブルに並んだ料理は決して手を抜いた代物ではない。
 生野菜のサラダ、唐揚げ、ポタージュスープに焼きたてのクロワッサン。
 全部ミチノリの手作りである。
 非常に料理は巧い。
「なんだ」
 不思議な顔でミチノリは首を傾げている。
「サッポロ防衛軍のアキ司令、ユーカは仲が良かったぁ?」
 ユーカはサッポロ防衛軍に出入りしているが、軍関係者ではない。
 正確には関係者になるのだろうが、軍属ではない。
 軍事顧問に近い立場にいる『魔術師』だった。
 時々、軍の権力やら何やらを傘に借りて、手に負えないような現象の調査、魔物の研究を行っている。
 今はここ、サッポロは唯一凍らない大地の調査のために住み着いているところだ。
「……どうしたんだ。確かに旧い知り合いだ」
「昔何かあったんだぁ?ほら、その……禁句があるぅって聞ぃたんだけぇど」
 考えながら話しているせいか、妙な間延びをしながら彼は言う。
「ナオちゃん、この間言ってたんだ」
 ユーカはあまり顔色を変えず、ただ納得したように頷く。
「そうか、その様子だとまだ禁句そのものは聞いてないのか」
 サラダボールにささった葉っぱのような野菜に手を伸ばし、くるっと唐揚げを包んで口に入れる。
 そのまま右手でポタージュにさじを入れて言葉を続ける。
「アキちゃんって、呼ばれるとぶちきれるんだ」
 ぴたり。
 向かい合ったまま時間が留まったように固まる。
「……アキちゃん?」
 こくこく。
「言っておくが、ミチノリ。死にたくなかったら絶対に呼ばない方が良いぞ」
 特に、と彼女は付け加える。
「間違いなくお前は呼びかねない」
 ミチノリは誰彼構わずちゃんづけ、それも馴れ馴れしく呼ぶ。
 彼女をゆうちゃん、友人であるナオをナオちゃん、ナオの同僚であるキリエのことはキリちゃんである。
 しかも初対面いきなりでそう呼ぶ物だから、彼の胆力というかなにやらが窺えるというものだ。
 むう、と彼は唸って首を傾げる。
「呼びたいなぁ」

  がたん  ばん

「やめろ!死にたいのか!」
 思わず椅子を蹴り倒し、机を叩いて叫ぶ。
「やめろと言って居るんだ!好奇心でやる程甘い事なんかじゃないんだ」
 最初の興奮を無理矢理抑えるように、ゆっくり冷静な口調で続ける。
「……うん」
 素直に答えながら、彼は腑に落ちない物を感じて、頭の中だけで首を傾げ続けた。
 そんな無言の夕食を終えて、ユーカは再び実験のために部屋に戻った。
 普段なら確かにミチノリは素直で良く言うことを聞く。
 普段よりも強く言い聞かせたから、とユーカは安心していた。
 だが逆に、純粋な彼は、ユーカがあれだけ怒る事の理由を知りたくてうずうずしてしまった。
――みっちゃんが、言わなきゃいいんだよね
 取りあえず明日、サッポロに向かうことにした。

 サッポロ、サッポロ防衛軍訓練場。
「にゃーっほぅ!」
 ざわっと一瞬訓練場の視線を一手に集めたが、いつものこと、と再び訓練へと戻っていく。
 木と木が打ち合わされる音、金属を叩く鈍い音。
「相変わらずだなー。早速ちょっと頼むよ」
 ミチノリの声を聞いて、何人かが近寄ってきた。
 祈祷師として治療を行う彼は、時々訓練中に顔を出している。
 実験や調査を続けているユーカの代わりに必要な金銭は彼がこうして稼いでいるのだ。
 祈祷師としてのスタイルに、彼独特の巨大な手袋という独特の格好で。
「んー。いたいのいたいのとんでいけー」
 抱きしめたりおまじないを唱えたり。
 彼の手袋は、患者が動かないように拘束する為に使われているのだ。うん。
「がーっ、卑怯だぞっ、ナオ、今のはなしだ!」
「うるせぇ!昨日お前こそ斬魔刀投げただろうが!」
「いいからいいからぁ、ほらいたいのいたいのとんでけー♪」
 むぎゅ。
「わーっっ」
 相変わらずの訓練中の出来事。
 上半身はシャツ一枚、下は麻で出来た訓練用の服に木刀という瓜二つの二人。
 性別は違うんだが……キリエとナオはいつも訓練の勝ち負けを競って本気で殴り合っている。
 樫の木で出来た、巨大な鉈のような形の木刀で打ち合うのだ。
 怪我ですまないことも多いのだが。
「こらーっ」
「んふんふんふー。キリちゃんやわらかぁい」
 いきなり真後ろからキリエを、その巨大な手袋で抱きしめる。
 そりゃーもう嬉しそうだ。
 ほおずりほおずり。
「全く。治療だけにしてくれよミチノリ」
 あきれ顔で二人の様子を見下ろすナオ。
「だだっ、ナオっ!違う、ちがって、こらっ、離せくっつくな!」
「でもじゅぅしょぉだよぉ、まだくっついてないからはなせなぁーい」
 ほおずり。もちろん、彼の手袋による拘束からは逃れられない。
「せめて頬ずりはやめてやれ」
 ナオは本気で呆れた顔でため息をついた。
「きちんと愛してあげないと回復が遅いんだよ」
「いい!遅くて良い!じゃなくて、ていうかどうでもいいから離してくれぇっ!」
 そんなこんなで。
 役得というか、お目当てはナオとキリエと。今日に限ってはもう一人、狙っている人間が居る。
 とはいえ別に頬ずりしにきたわけではない。念のため。
「あぁ、おにぃさんですぅ」
 骨折しかけた腕を抱きしめて術を使う最中、彼はにこにこしながら声をかけた。
 患者と話をするのは、治療する際に相手に安心感を与えるため、非常に重要なことである。
 特に彼は、自分の術に微塵も疑いもなく、ただ話しているだけで癒し効果を与えると曰くつき、もとい噂の名高い治療師。
 癒すというより呆れさせて安心感を与えるというべきかもしれないが。
「?誰が誰のお兄さんだって?」
「えぇ〜、ナオちゃんのおにぃさんですよぉ」
 ナオの義理の兄、婿入りしたミマオウ=ヒロ。
 何を隠そう、あのアキの夫である。
 隠した覚えはないが明記していないのでついでに言うと、こんな感じのミチノリだがユーカの夫である。
 どういう接点なのかは敢えて説明しない。
 あと、このアンバランスな夫婦は、既にサッポロ防衛軍では有名だった。
「ああ、良く知ってるな」
「ここのぉ、司令官のぉ、だんなさまぁでしょぉ?」
 すこしもみもみ。
 この手袋はどんな構造をしているのか、少なくとも中身を見たことはないのではっきり言えないが、ヒトとは違う感触がする。
 拘束されれば身動きはとれないし、こうやって揉みほぐせばどんな筋肉痛も一発で消える。
 心を揉みほぐすことは出来ないが。
「そういうことになるな」
「普段ん、どぅいぅ風ぅ〜にぃ、呼んでるんですかぁ」
 今度はささっと彼の背後に回って、両肩から背中をわしづかみに押さえつける。
 取りあえず逃げられない。
「え?えー、まあ、普通に名前だよ。向こうが『ヒロくん』で俺が『アキ』」
 もみもみ。
「そぉなんですかぁ。ちゃんとあぃしてるっとか、すきだよって言ってあげてますかぁ?」
「な、なんだよいきなり」
 かっちりと完全な拘束により、逃れることが出来ない不安からか不穏当な雰囲気に逃げ腰な声を上げる。
 彼の柔らかい頬がふにっと側頭部に触れる。
 呼吸、言葉ひとつひとつを紡ぐ瞬間の動きまで判る。
「名前をぉ、呼ぶ時ぃだっておんなじですよぉ。『ちゃん』って呼ばれるだけでもぉ、違いますからぁ」
「……そうなのか?」
 にひ。
 見えないのを良いことに、彼は凄く嬉しそうに笑った。
 でも普段から溶け崩れたようなにたにた顔は変わらないので傍目にも判らないだろうが。
「そぉですよぉ。試してみてぇ」

 数日後。
「なあ、ミチノリ。お前何かやったか?」
「んーん?何のことぉ?」
「お前の仕事、一週間分キャンセルだって。アキから連絡があって」
 ほえ?とミチノリが首を傾げるのを見ながらユーカは続ける。
「なんでも急遽予定を変えて雪中強行軍訓練を始めるから、一週間戻ってこれないって」
「…………そぉ〜?仕方なぃなぁ〜」
 何故か彼は、いつもよりもとろけた顔をしていた。
 余談ではあるが。
「俺、アキ姉の事見直したっていうか、気を付けるよ絶対」
 ナオは、ぼろ切れのようになって棄てられたヒロを見つけて、そう呟いたという。
 彼女が何故ちゃん付けで呼ばれるとぶちきれるのか、ぶちきれの一部始終を見ていたというミチノリ以外誰も知らない。
「うふふふ。アキちゃんってばかわいー♪」
 多分、だれも。

本編情報
作品名 魔王の世界征服日記
作者名 日々野 英次
掲載サイト Wizard style(国立精霊学院)
注意事項 年齢注意事項 /年齢制限なし 性別注意事項 /性別注意事項なし 表現注意事項 /表現注意事項なし 連載状況連載中
紹介 英雄伝説と、世界を征服する魔王。でも今代の魔王は、世界征服なんかやりたくなかったのです。「え゛ー。なんでー。なんでよー。もうあきたよー」大好物はサッポロ名物アイスクリーム、外見十代前半のおんなのこ。それが――魔王、まおなのです。「それが世界を征服する魔王の仕事だからです」
[戻る]