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Holocaust ――日常編――


※ この物語は、本編とは直接関わることのなかったある日常の一こまが描かれています。直接ストーリーには関係有りません。


 『……でも、これ以上何かを起こすようなら私が赦しません』
『あなたは、待っていてください』
等きつい言葉遣いをしながら、弟を溺愛する姉、冬実。
でも、まだ貴方は知らない。彼女の本当の姿を。
 この物語は、彼女の本当の姿を描いた貴重な作品である。

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「……行って来ます」
 ある日曜日の朝、冬実は何の抑揚もない声でそう言い残して、玄関をくぐった。
「行ってらっしゃい。お昼はそうめんにするから、早めに帰ってきなさいね」
 今日の食事担当は明美。明美は料理は出来るがめんどくさい料理はあまりしない。
 出来合いは買ってこないので、一応『料理』だ。
 どうでも良いかも知れないが、つゆもだしから取って作る。簡単だが。
「あれ、どこに行くんだ?」
 博人は、朝練で出来た左腕の痣を冷やしながら、台所から出てくる明美に訊く。
 スポーツドリンクのチューブから口を離して、指で唇を撫でるように雫を拭うと彼女は応える。
「ああ、みーちゃんの事はあんまり知らなかったんだ」
 ドリンクのポットを差し出して少しだけ得意そうに、もしくは嬉しそうに言って、片目をつぶる。
「こんな朝早くから……」
 博人はドリンクを受け取りながら言って、自分もドリンクを飲む。
 くすくすと笑う明美は、続けて彼に言う。
「面白いから、ついて行こうか?ね?」
 いつの間にか、酷く無邪気で悪戯っぽい笑みを彼女は湛えていた。

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 色々な雑貨の並ぶ、巨大な店舗。
 もしかすると、本来倉庫のようなつもりで構成されているのだろう、無機質な棚が並ぶ。
 倉庫も必要ないのか、かなり上の方まで商品が在庫で並んでいる。
 日用品は勿論、工具、車用品、医薬品、酒、食料に事務用品等まさに雑多な品揃え。
 それも普通の店よりも安い。
 普通、こういう店を―人はホームセンターと呼ぶ。
 ここ真蔵DIYSHOPでは、殆ど仕入れ値で商品を捌く業務用商品のスーパーである。
 素材もかなりの数かなりの種類で存在するため、人気があるのだ。
 冬実は白いワンピースに横ぽにリボンでその中を歩いている。
――ん……
 ぴたり。
 冬実は足を止めると、目を留めた品物を見つめる。
 医薬品のコーナーに、激安商品があった。
 銀色のけばけばしい包装に、黄色やら赤やらべたべたと使った派手な風邪薬。

  『必殺!風邪薬』


 思わず手を伸ばしかけて、止める。
――お小遣いは、二千円まで
 くるりと視線を前に戻すと、再び歩き始める。
 こういう店は、ブランド物も並んでいるが聞いたことない妖しいメーカーの、要するに一世代前の技術の代物が並ぶことがある。
 メイドインチャイナは無論、韓国、インドネシア製品、果ては北朝鮮製も在るかも知れない。
 効果は保証で安いが、新しい物ほど物が良い訳ではないというものだ。
 てくてくと次のコーナーへ向かう。
 次は素材のコーナー。
 布、木材、プラスチック、金属、紙、それこそ何でもある。
 ぷうんと生木の匂いが漂い、独特の雰囲気を醸し出す。
 きょろきょろと見回して、ある一点で視線を止めててとてとと近づく。
 庭いじりもといガーデニングは、彼女は嫌いだ。
 日本庭園のような、自然を完全に模倣するような、そちらの方が好きだ。
 ひとかけらの自然より、箱庭の自然。
 彼女はその代わり、奇妙な飾りが好きなのだ。
 たとえば灯籠。最近はプラスチック製のもある。
 彼女が歩いた先にあったのは、コンクリートブロックだ。
 コンクリ。……ひょい、と人差し指と親指で軽くつまみ上げる。
「くす」
 多分相当可笑しかったのだろう。誰が見ても判るぐらい彼女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
 発泡スチロールで出来ているが、綺麗に塗装(か、そう言う色で仕上げた)していてちょっと見本物のように見える。
 彼女はそれをくるくると持って見回すと、元通りに戻す。
――あれだったら、積んで並べても風で飛んでいく
 びゅんびゅんと風に乗って飛んでいくブロック。
 想像に耐えきれなくて、彼女は右拳を口元へ近づけて笑いを堪える。
――一つ
 買おう、と手を伸ばして、よく考えると一つじゃ物足りない事に気づく。
 でも三つも四つも買い込むと高い代物になってしまう。
 そして手を戻すと、残念そうに眉尻をわずか下げて一呼吸躊躇。
 意を決したように踵を返して、彼女はさらに次のコーナーへ向かう。
 次は食料品のコーナーだ。
『まーくらー、真蔵D・I・Y』
 高すぎる天井と棚の空間を埋めるようにBGMが流れている。それも、聞いたことのない店舗オリジナルの曲だ。
――♪
 実は、意外とこういう場所でしか聞けないチープなノリの曲が好きだったりする。
 時折混じる録音済みの放送が、気分をますます昂揚させる。
 思わず、足の運びがリズムと同調する。
 貌は変わらないのに、どこか嬉しそうな感じ。

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「ね。可愛いでしょ」
 無愛想な冬実が、子供みたいな仕草を無愛想な貌のままで見せるのはどこか可笑しげで、確かに可愛いかも知れない。
 博人は思った。
――でも、趣味がよく判らん
 先刻手に取りかけていた妖しい薬の箱をくるくる回して見ながら、彼は首を傾げた。
 大体これもあれだ、使用法のところにぺたりとシールが貼られている。
 一体何が必殺なんだろうか。飲んだら死ぬんだろうか。
「そう言えば、あんな髪型見せたことないよ」
「ふふーん。あの娘、あれがお気に入りなのよ」
 明美はかごを片手に、既に商品を幾つか入れている。
 ついでに買い物を済ませようと言うつもりなのだ。
「なかなか人前や友達の前では見せないけどね」
 ふうん、と答える博人。
「冬実ちゃん、何を探してるんだろ」
「みーちゃんはこうやってただ遊びに来てるのよ。子供の頃から、こういった雰囲気が好きみたいで」
 そのまま夕飯の材料をひょいひょいとかごに入れていく明美。
「ね、飲み物とってきてよ」
「お茶と、ジュースでいいだろ」
 確認して飲み物のコーナーへ向かう。
 総菜コーナーから角を曲がった先――
「まーくら」

  ばったり


 目の前に冬実。
 二人とも鉢合わせた格好で凍り付く。
 冬実は片足を上げたまま固まっている。
 一気に貌を赤くして、足を降ろして今度は仁王立ちになる。
――、今、とてつもなく珍しい声を聞いた気がしたぞ
 角から鉢合わせなかったら多分聞こえなかった。
 冬実が、小さな声でBGMを歌っている声が。
「…………」
 そのまま少し険を加えた顔付きで、冷静に睨み付ける。
「博人兄さん、どうして、ここに」
 恥ずかしいところを見られた。
 冬実は珍しく動揺している。
「あ、いや、明美と、買い物にね」
 半分真実、半分嘘。
「明美、なああけ……み…」
 つい先刻まですぐそこにいた。
 総菜コーナーでお気に入りの漬け物を物色していた。のに。
――図られた
 買い物に来ていながら、かごを持っていたのは明美だ。
「……どこにいるんですか」
 先刻までの貌の赤さが消える。僅かな、博人の動揺の隙に彼女は落ち着いたようだ。
 代わり、冷たく白い彼女の肌が蛍光灯の光に映える。
「うん、先刻までそこにいたんだけど、な」
「随分のいいタイミングでここにいましたね。買い物にしては早くないですか。まだ昼前です」
 昼食はそうめんと既に決めているし、そうめんは家にある。
 大抵夕食の買い物は夕食時前にする。その時までについでが見つかれば一度で済ます事ができるからだ。
「い、いや。……でも、冬実ちゃんの可愛いかっこが見れて運が良かったかな」

  ぴき

 一瞬空気が硬直して、冬実の右手が残像すら残さずに走る。
 瞬時に彼女の髪が舞い、横向きに纏めていた小さな房がはらりと元に戻る。
「納得のいく、説明をしてもらいましょうか、兄さん。返答次第では兄さんと言えども容赦しません」
 そして何故か、照れを怒りに昇華した冬実が『ごごご』の描き文字を背負って博人を睨み付けていた。

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「……明美姉さん、何か弁明はありますか」
「え?何の話?」
 結局博人をたきつけた証拠が見つけられず、明美は逃げおおせたらしい。
 博人は、いつものように入院した。
 予定よりも早かったせいで、明美は少し残念がっていたという。
「自業自得です」
 冬実の可愛い姿を見るには、大きな代償が必要なのだった。

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