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Holocaust ――The borders――
Chapter:5

冬実――Huyumi――   第8話(最終話)


 まるで微かに残った温もりを全て奪い去るかのように、抱きしめる力を込める。
 もう冷えていくだけの動かない治樹は、姉の行動を非難することもない。
 時が止まっているように、何の物音も冬実を遮ることはなかった。
「…ほぉ」
 だがそれは唐突な声で現実に引き戻される。
 冬実は慌てることもなく顔だけを向けた。
「死体を抱きしめるクセでもあるのか?」
 月の明かりは蒼く、そこに立つ男は奇妙な姿をしていた。
 肘から下の部分には肝心なものがなく、ただ雫を垂らしているだけだ。
 やけにバランスが悪く見えてしまう。
「……あなたは」
 冬実は治樹を地面に寝かせると立ち上がる。
 走りすぎたせいで両足とも筋肉が悲鳴を上げている。
 逃げようと思っても恐らく逃げ切れない――まだ。
 男は目元を引きつらせるようにして苦い表情を浮かべている。
「冷静だな、真桜の女」
 彼の後ろから二人の人影が近づいてくる。
「この状況で」
 そのうち一人の手には細長いものが握られている。
 時折月の雫が嘗めるように明滅する――あれは多分、金属製の。
 冬実は自分の視界に映ったそれを表現するための言葉を探す。
 まさかそれが刀であるはずがない、から。
「お前が今ここにいれば、後ろの奴に斬り殺される。弟の後を追うなら止めはしないが」
 彼は吐き捨てると左手を上着に突っ込み、少し大きめのナイフを取り出す。
 華美な装飾はなく、黒く艶のない刃に黒い影の筋が走っている。
 明らかにそれは戦闘の為に不必要な部品を排除した、そんな印象を与える無機質な武器。
 だがそれは彼女に突きつけられた物ではなかった。
 一瞬彼の視線が、彼女の向こう側の地面へ注がれる。
「暫く、お前にも選択権はあるようだな」
 彼は呟いて背を向けると、彼女に背を向けた。

 河川敷沿いの道路から戦いを見下ろしていたミノルは、実隆にコンタクトを取った。
 戦いの最中に身体を預けるのは危険だったが、目的のためには仕方がなかった。
 そして戻ったミノルは、詠唱を続けて刀を構える隆弥の目の前にいた。
 血の臭いのする河川敷で、彼は血刀を振るう隆弥と、死んだ治樹を見た。
――ちっ
 しかも右腕が落ちている。
 空気が詠唱によって粘りを覚えている。
――『言語拘束』か。姑息な使い手だな
 素早い踏み込みからの上段。
 振り下ろされる刀は、目ではなく肌に触れる空気の流れで読む。
 耳元を吹き抜ける風切りの音をいなし、転がりながら体勢を立て直す。
『腕をなくすな。後で元に戻してやる』
 リーナの声が脳髄に直接響く。
 実際には響いているのではないが、感覚としてそう聞こえるのだ。
――ああ。判ってる
 この辺りに落ちているはずだ、彼は視線を逸らせることのできない今の状況を悔やんだ。
 身体を捻る。
 地面についた左足が返してくる地面の感触。
 そこに――全力を流し込む。
「!」
 ミノルは嗤った。
 今見せたこいつの貌、それがあまりにもおかしくて。

 総ての言葉の拘束を引きちぎる

「無駄だよ」
 あの無表情で、戦いに感情を持ち込めない戦闘用ロボットには。
――予想外の結果になったか
 空間に亀裂が入るような、そんな感覚。
 奴の振り下ろした凶刃の側を、ミノルの身体は加速しながら抜けていく。
 一旦距離を取って、離れなければならない。
――リーナ
『…既に家には連絡しておいた。一人がそちらに向かう』
 同時に、どちらから向かってくるのかが彼の頭の中に浮かぶ。
 それに従ってもう一度地面を蹴る。
 後ろから声が追ってくる。
 但しそれは感情のない、いつまでも続く呪詛の音。
 彼の足を止めるには茨の蔓程も効果はない。
 ミノルは僅かに声に向けて振り返り、堤防を一気に乗り越え、反対の斜面をかかとだけで滑り降りる。
 その彼の頭上を、風音が走り去る。
――やはり、来たか
 同時に一瞬視界を遮る影。
 彼の前に、後ろにいたはずの男の姿が現れる。
 めりめりと着地時に超荷重に耐えきれないような音がした。
「けぇっ」
 動きと登場を読んでいたミノルは、左肩から奴に体当たりを行う。
 すんででかわす。
 そのまま斜面を転がって、更に間合いをあけようと試みる。
 体を捻り、背を向けている奴を確認する。
――今は、時間を稼ぐ方が大事だ
 腕を拾って行かなければならない。そのためには、こいつを止めなければならない。
 だがそれは片腕では無理だ。
 ならば、来るはずの隆弥の『家』の人間に止めて貰うより他はない。
 ゆっくりと振り返りながら、刀の切っ先が彼に向くまでの時間、彼は逃げる方法を考えていた。
「死ぬ覚悟ができたのか」
 いつの間にか詠唱は途絶えていた。
 彼に呪詛が――言語による拘束の手段が一切効かない事が判ったからだ。
「いや」
 短く言い、腰を僅かに沈める。
 最初から想定していれば問題なかったのだろうが――残念ながら準備不足だった。
――それに、どれだけ逃げてもこいつは追いつく手段がある
 それも以前に経験した。
 だからこそ、『仕掛け』に誘導したというのに――それもままならない。
 ここから離れるわけには行かない。
 落ちた自分の腕を確保しなければならないからだ。
 隆弥も追いつめられていた。
 既に仕事を終えたのだから、できる限り早く現場から離れなければならない。
 だが本能にも似たものが、彼を殺さなければならないと疼く。
――一人殺しても二人殺しても、同じ事だが、やはり以前に殺しておけば良かった――

 青眼に構える隆弥には隙がなかった。
 ミノルもぴくりとも動くことができない。
 どう動いても一撃で刻まれる気がする。
 普段なら――もう片腕が在ったとしたら、素手でも勝てるだろう。
 既に片腕では格闘に持ち込んだ際、あまりに不利だ。
――……どうする

  疾っ

「!」
 動いたのは隆弥だった。
 だが、ミノルも躊躇いはない。
 上段から斬りかかる刀を、右腕の切断面で一瞬受け止める。
 刃が完全にめり込み、引かれる前に体重を抜き、大きく屈伸する。
 隆弥は完全に読み切れなかった動きに斬るタイミングをずらされたため、そのまま袈裟懸けに斬り払えなかった。
 それが致命的な隙になる。
 もしミノルに戦闘ができる状況なら、左手にナイフが握られていれば終わったかも知れなかった。
 隆弥が動揺した隙は、ミノルにとって好都合だった。
 充分に蓄えた力で地面を蹴り跳躍する。
 一息に道路まで跳び上がった時、彼の視界に奇妙な物が映る。
――?
 それは血溜まりに倒れた治樹に駆け寄る姿だった。

 ナイフを構えて腰を沈めるミノルの視界に、二人の人影が見えた。
――間に合ったか
 だが、この現場にいる部外者はどうだろうか。
 それも『家』の人間が見逃すだろうか。
 もう一度彼は後ろにいる少女へと目を向けた。
 まるで何も知らないかのように、畏れすら抱かない瞳が彼を見つめている。
 すぐに判った。
 そしてあの家の人間も判断するだろう。
 彼女の臭いと目に宿る光に。『化物』の家系、真桜という存在に。
 ミノルは苦々しく顔を歪める。
「…何故、逃げない」
「足が動かないから。…休まないと、逃げることもできない」
 それは肝が据わっているのか、それとも感情が潰れてしまっているからなのか。
「逃げても、すぐに追いつかれてしまうから」
 彼女は現実を淡々と述べると、ついっと視線を逸らせた――多分、『家』の人間と隆弥を見ているのだろう。
「あの人は敵。…そんな臭いがする。私達を狙って、殺すためだけの」
 冬実はもう一度ミノルに視線を向け、その冷たい能面のような表情のまま、やはり淡々と聞く。
「あなたは何故あの人から逃げているの」
「腕がないからだ。お前の後ろにある腕――あれがあれば、戦っていた」
 ミノルは言うと顔を隆弥の方へ向けた。
 一度跳躍するだけで詰められる間合いに、奴がいる。
「今は、何故」
 その言葉は何を指していたのだろうか。
 ミノルはあまり考えもせず、僅かに膝を落として跳躍の準備をして応えた。
「……さあな」
 そして、彼女の双眸をもう一度思い出して彼は苦々しく口元を歪めた。
「俺が、お前の事を殺すことはできないから、かもな」


 後を追う隆弥は名前を呼ばれて立ち止まった。
「重政」
「やめろ。依頼人に攻撃をする事は許可しない」
 その一言で隆弥は構えを解き、すっと背筋を伸ばす。
「相手が喩え化物であれ、目標の殲滅後新たに目標として示すまで」
「…………」
 不平も不満も、そして疑問すら語らず、彼は沈黙して視線を再び『目標』に向ける。
 既に息絶えたはずのそれに、一人別の人間が覆い被さるようにいる事が判る。
「依頼人か」
「いや。……電話連絡を入れてきた依頼人とは違う」
 つい、と視線を細めると隆弥を促して、依頼人のボディガードとされるミノルへと足を進める。
 ミノルは片手にナイフを握りしめ、いつでも飛びかかれる体勢で構えている。
 時折後ろを向き、少女と話をしているようだ。
 そして、ぎりぎりの間合いで二人は足を止めた。
「目標は、確認できたかね」
 重政の言葉に、小さく頷いて応えるミノル。
「ああ。だがあんたのところの始末屋に、俺は手傷を負わされているんだがな」
 そう言って右腕をあげてみせる。
 重政は苦い笑顔で一瞬だけ顔を引きつらせた。
「それについては謝罪しよう。まさか、確認に来る人間が『人』ではなかったなんて思わなかったのだ」
 肩をすくめて隆弥を一瞥すると彼は続ける。
「これには、人ではない物を見つけると攻撃するように仕込んでいるからな」
「猟犬のしつけはしっかりやりな」
「言われなくとも。――だが、我々が人間以外を赦す程愚鈍でも無ければ情けがある訳でもないのは承知のはず」
 黙り込む。
 しばらくの沈黙を肯定と取ったのか、重政は続ける。
「時に、後ろの彼女はどなたかな」
「あなたの言葉を借りれば『敵』」
 重政に応え冬実は目を細める。
「その人が私の、大切なこの子を殺したの」
 それは冷え切った冷たい言葉の羅列。
 疑問形ではない、確定の言葉――確信している強さ。
「成る程」
 重政はもっともだと言わんばかりに大きく頷く。
 隆弥は、動かない。
 彼は応えることも言葉を紡ぐことも、表情すら変えずただ突っ立っている。
「だがそこにいる男がそれを指示――依頼してきたんだが?」
 冬実の表情は変化しない。
 ただ重政に変化の少ない貌を向けているだけ。
「そう」
 やはり淡々と、感情が感じられない言葉で応える。
 重政は冬実から視線をミノルに向け直す。
「我々はまだまだ、できれば友好的でありたい。違うかな」
「……できれば、な」
「では」
 重政の沈黙に、ミノルは怒りの表情を浮かべる。
「今回の報酬はねぇよ。違うか?――後始末まで、きちんと頼むぞ」
「ふう、やれやれ。そうか、仕方ない」
 瞬時にミノルは空気を緊張させる。
 だが、隆弥はそれでも反応しない。
「今回は無償奉仕としよう。ああ、それから我々は慈善事業ではないが、報酬は頂いていないよ。あくまで必要経費分だけだ」
――自分達の組織維持や、猟犬の餌代も必要経費って言い切るんだろうな
 ミノルは思ったが、何も言葉にせずに構えを解いた。
 緊張だけは解かず、背を向けるとナイフを懐に戻した。
「お前も帰れ。できれば、今すぐにな」
 律儀に冬実に言い、彼はさっさと道路に向かう。
 冬実はそれを見送るように視線で応え、隆弥の方を向いた。
「今日のところは帰れ、真桜。まだお前は枠の中にいるだろう?そのうちは――見逃す」
 機械かレコードのように抑揚のない音を紡ぐと、隆弥は再び動かなくなった。
 冬実も無言で彼を一瞥し、背を向けた。
 何を言っても無駄――彼らとは、絶対に分かり合えないから。
――先刻の男
 もう既に道路を歩いている彼を捜すと、冬実は小走りに彼を追いかけた。
「――では片づけようか」
 重政はゴミでも捨てるような、気軽な口調で呟いた。

「待って」
 人気のない河川敷の道路で、冬実はミノルと向かい合った。
 ミノルは自分の右腕を左手に掴んだままゆっくりと振り返った。
 月明かりでは彼の顔色は判らないが、腕を切り落とされたというのに何事もなかったようにも見える。
 そう言えば血の臭いもしない。
「…なんだ」
 彼は面倒臭そうに返事を返した。
「何故、私が真桜だって」
「判るさ。――そう言うものだろう」
 ため息をつくように吐き捨て、彼は背を向ける。
「じゃあ」
「何だ、まだ何かあるのか。俺は腕の治療をしたいんだが」
 今度こそ彼はため息をつき、肩をすくめる。
 振り返ろうとしないが、彼は足を止めて冬実の言葉を待つ。
「あの人達は」
「人間だろ?――だから、反吐が出る程嫌気が差す。奴らは、俺達を排除しようとする」
 そして彼は振り返った。
 感情が高ぶった貌を見せて。
「お前はどうなんだ」
「私は」
 冬実は言葉を詰まらせて、顔をあげてミノルの目を見た。
 この闇の中で絞り込んだように黒い彼の瞳を。
 どれも正しくない。
 どれも間違いではない。
 肯定ができない――でも否定にならない。
 人間として生きてきて、人間の中で生きていて、彼らを嫌悪するどころか。
――自分の存在すら、不安定で何の感情も抱けないのに
「判らない。だから。…どうしてあなたは人間を否定しなければいけないんですか」
 少なくとも自分の家族は、人間でもあるしその規格から外れかけたものもいる。
 真桜という家系そのものが『ヒト』の家系として薄まろうとしていても。
 まるでそれに反発して、自ら規格外の存在になろうとしているのか――それともそれが種の保存として現れるのか。
 ひやりとした夜の空気が、二人の間を僅かに流れた。
「今、俺がいる理由だからだ」
 再びミノルは背を向けた。
「お前は、俺が出会った二人目の同類だ。――もう一人と、お前は」
 一瞬顔だけを冬実に向ける。
「どこか似ている気がする」
 ミノルの脳裏にリーナの顔が浮かぶ。
 勿論人形の顔などいくらでも造作できる、顔形が似ている訳ではない。
 でも背丈のない彼女を見ていて、彼は早く帰らなければいけないと思った。
 冬実はそれ以上何も言わなかった。から。
 そのまま彼は無言で立ち去っていった。


「行って来ます」
 あの時の、あの男。
 そっくりなこの実隆という名前の男は、しかしそれを何も知らなかった。
 まるでおかしな事に、菜都美やあの時死んだ弟のように。
 警戒する必要はなかった。だけど、彼は『楠隆弥』を探していると言う。
 弟を斬り殺したあの男を。
 冬実は玄関に腰掛けて、小さな革靴に足を通して立ち上がる。
「大丈夫?」
 実隆の声に彼女は顔を上げる。
 何の話だろうか。いや。
 昨晩の事――血塗れで帰宅し、途中で少年に襲いかかられた事を言っているんだろう。
 怪我はないと伝えたのに。
 彼女はすぐにもう一つの事を思い立って、答えた。
「大丈夫、かも知れません」
 それが精一杯の返事だった。
 すぐに背を向け、扉に手を伸ばして、もう一度実隆の顔を見る。
 真剣な、そして何の媚びもない真摯な瞳。
 強さよりも脆さを感じさせる、どこか危うい男。
 それが何故なのか、少なくとも冬実は知らない。
「昨晩のあの少年は、私が近づかなければあれで終わります。……でも、これ以上何かを起こすようなら私が赦しません」
 少年――五十嵐幹久と言う彼は、いや、彼の周囲で起こっている出来事。
 半年という時間は短いのか長いのか、冬実は独力だけである事に辿り着いた。
 ヒトを護るという組織があり、『家』と呼ばれる出先の機関が有る。
 『家』に与えられる『駒』、そしてそれを育てる孤児院が存在するというのだ。
 そして彼らの育成の過程というのは、途中幾らか外部による教育もあるらしく、その人間の素質の方向に伸ばすという。
 ヒトというあり方を失ってしまった化物を狩る為の駒。
 過去に真桜家を追いつめた一団は、もしかすると彼らなのかも知れない。
 ぱたんと小さく音を立てるドアを一度振り返り、冬実は学校へ向かう。
 治樹は『家』の『駒』に殺された。
 もう治樹はこの世にはいない。
 まだ彼女の中で、彼の怯えるような貌が焼き付き残っているのに。
――私は菜都美姉さんを護る
 化物として狩られる事を逃れるための、ヒトの檻。
 でも逆に、化物に狙われてしまうのであれば――化物である彼女達がそれを防がなければ、打つ手はない。
 いかに化物に最も近いヒトであったとしても、純粋にヒトの枠を越えられないはずだから。
 ヒトから護り、化物からも護る。
 その協力関係が血脈としての家族を、より具体的に形作る。
 そうやって、一族として今まで生きてきたのだ――隠れ棲むようにして。
 今という平和な時代にそれは本来必要なかったはずなのに。
――ハルの選択を、私は否定したくないから
 高校三年にあがる時、明美は冬実に様々な口伝を全て伝えた。
 もう少し正確に言うと、実隆が彼女の家で下宿することが決まった時に、『最後の真実』と言う感じに。
『できれば、知りたくないことかもね』
 明美は苦笑してそう言っていた。
 ヒトとしての側面と化物としての側面を持つ家系で、家族同士の結びつきがまるで利害関係のようで。
『本当は伝える必要がない方がいい。だって、それじゃまるで家族ってものが、ないがしろみたいじゃない』
 理由がなければ家族と言えないなんて。
 明美はそんな理由なんて関係ない、そう言い切って笑っていた。
 でも、冬実は思った。
――理由がなければ生きていけないから。それがどんな理由であれ構わない
 喩え、それが形だけで構成された偽物であっても。
 生きるために縋れる物であれば構わない。
『理由?……みーちゃん。境界に立つ者が現れて、人狩りを始めたから、身を護らないといけないでしょ』
 実隆の居候を決めたのも、彼に柔術を仕込もうとしているのも、明美が関わっていた。
『軽蔑するなら軽蔑して。その方がわたしも気が楽だからね。でもなっちゃんには内緒よ』
――多分私は、この為にだけ生まれたのかも知れないから
 もし菜都美が、また襲われるような事があるなら。
 誰かに捕らわれるような事になるなら。
――その時は私は、ヒトを殺してでも護ってみせる
 如月工業には魔術師が棲みついている。
 まさか、黴の生えた技術である魔術などが今まだ存在しそれが影響力を持つなど、誰が考えるだろうか。
 所詮科学に置き換わった、もう一つの技術体系であり、宗教的・哲学的存在だとしか捉えられていないだろう。
 『駒』の養成について調べていた際、彼女は、今まさに日本に存在する魔術結社との接点を発見した。
 だから――魔術師から辿れば、敵にぶち当たる可能性がある。
 そうでなくても、あんな化物を抱えているんだから。
 冬実は五十嵐の裏にいる魔術師が、何らかの手を打つだろうと確信している。
 実隆にはああ言ったが、動く覚悟を決める必要を感じていた。

 明美は実隆の出かける声を聞き流して、食堂でお茶をすすっていた。
 今まで動きを見せていなかった敵が、やけに強引な手段を行使している事に疑問があった。
 今回の冬実の報告によれば、魔術師が扱っている『薬』に原因があるのかも知れないと言うことだ。
――魔力があがる、ね。…多分狩人も何か掴んでいるのかも知れないし
 少なくとも、無差別に襲うことはないだろうが、行方不明になった隆弥の動向も気になる。
 何故彼がいなくなったのか。
 実隆も巻き込まれただけなのだろうか。
 何にしても犯罪を引き起こして、周囲の目を引くような形は、彼らには不利になるばかりのはずなのに。
 よしんば隠せなくても、隠蔽するために別の事故を装う事もあるだろうに。
 彼女は、自分専用の大きな湯飲みを両手で抱えて、お茶を覗き込んだ。
「あ、茶柱」
 良いことがあるかも知れない。
 のんきにそんなことを夢想しながら、食後のお茶を終えた。


◇次回予告

  夜電灯に群がる蛾のように。
 「悪いな、それは俺じゃない」
  闇の中を歩くには、光が必要だ。
  もしその灯りが――炎であったとしても。

 Holocaust Intermission:ミノル 4  第1話

 迷い蛾のダンスか。それは俺も同じなのかも知れない
                                            ヒトがヒトであるための必需は多く

      ―――――――――――――――――――――――


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