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Holocaust ――The borders――
Intermission

ミノル 3   第1話


 一月という時間はあまりにも長く、そう、退屈というものを形にすればまさにこういう事だと否応なしに思い知らされる。
 いつまでも続くルーチンワーク。
 毎日という物に刺激がなく、ただ同じ過程を踏むだけ。
 無論――そんなものは必要不可欠な過程に過ぎず、ミノルもそれは承知していたことだった。
「――退屈か?」
 だが、リーナはそうではなかったようだ。
 否、彼女の方がむしろ退屈そうだった。
 ミノルは機械仕掛けで梱包されていく白い粉末を見つめたまま返事を返す。
「いや」
 それはまるで事務的で、一切の感情を排したような冷たい言葉。
「私にはどうも……お前らしくないと思うのだが」
 あれから更に一月。リーナはますます人間のような言動をするようになった。
 定期的にリズムを刻む機械の前で、二人は並んで「それ」が出来上がっていく様を確認している。
 別に他の仕事だってある。
 直接各部センサーに直結したリーナは、別にここにいる必要はない。
 そもそも彼女は眠ることも必要なければ、自ら歩く理由もないのだ。
 ミノルが指示のままに歩き、その過程を彼の身体に仕込んだ『Lycanthrope』で確認するまでのこと。
 やろうと思えばミノルの身体の殆どの部分はリーナの思い通りに動き、反応する。
 そして各部からの情報を逆にフィードバックしてやれば、まるで自身がミノルであるかのように感じる事だってできる。
 それでもこの工場が見つかってから、リーナは彼に指示もなければ側を離れるといった事もなかった。
――止めは『お前らしくない』ときたか
 まるでこれでは人間だ。
 そもそも――そこまで考えて彼は思考を止め、リーナに視線を向けた。
 彼女と視線が絡む。
 リーナは彼をずっと見つめていたのか、彼の目を見た途端笑みを浮かべた。
「思わないか」
「…………リーナ、俺は、お前が何を言いたいのか判らない」
 そもそも『らしい』とはどういうのを指すのか。
 彼女のデータには、彼が子供の頃から実験動物として飼われていた頃のデータと、担当官の柊宰の思考データがある。
――俺の人生を知りつくした、存在(モノ)か
 だからこそかも知れない。
 ミノルは黙って彼女が返事するのを待つ。
 つと視線を外し、彼女は床を見つめてから機械に視線を向けた。
 かたん、かたんと定期的に刻む音だけが響く。
 ここで製造されている『粉末』は、ナノマシンを結合した分子が最小単位で構成されている。
 そのままでは一切作用しないが、弱酸性の液中で分裂し、活動を再開する。
 活動を開始したナノマシンは血液中に浸透し、脳幹を目指して自力で移動する。
 そしてその殆どは血流に乗って前頭葉に寄生することでその能力を発揮する。
「私は、お前の戦闘能力の高さを知っている。それがために『Lycanthrope』として所属していた事も」
 ミノルは彼女の鈴を鳴らしたような甲高い声に思考を中断させられる。
 それは無味乾燥な機械が立てる音とは違い、やけに耳障りで。
「先月はお前も……」
 言いかけて彼女は口ごもった。
 より正確には言葉を探しあぐねている、と言う感じか。
 より適切な文章を作ろうと、データベースにアクセスしている待ち時間、そんな風にも思えた。
 だが、続いた言葉はそんなものではなかった。
「いや。一番お前らしいところというのは、実はまだ私も知らないのかも知れない」
 今度は視線を機械から離さない。
 別に目を離していたっていい、別にここにいる理由はないのに。
 どうせ、誰も、この廃工場が駆動していることすら知らないだろうに。
「何かあるのか」
 言いながらミノルは、歩いて工場の入口に向かう。
「ああ」
 リーナは背を向けたまま小さく返事をする。
「そろそろ、時間だ。準備はおおよそ整った」
 同時に直接言語野で理解できる言葉の形。
 半無線通信――脳内部にナノマシンがあるから出来る、テレパスのようなものだ。
 何も空気振動にわざわざ変える必要はないのに、それでも彼女は言葉、声に拘るらしく余程のことがない限り行わない。
「トリガーを、準備してほしい」
 ミノルは口元を歪めた。それはモニタしている彼女にも伝わったはずだ。
「判った」
 やっとその時が来たのだ。
 今こうして準備しているモノを流通させて、始まるのだ。
――全燔祭が。この世の全てを飲み込む焔にくべる供物を求めて
「一月だ。……世界を滅ぼすなんて戯れ言、それだけあれば充分だ」
 矩形に切り取られた穹には、もう何も映っていなかった。
 ミノルが踏み出した途端、一瞬視界は真っ白に染まって――

 『Hysteria Heaven』という名前は、彼が気まぐれで名付けた。
 精神病者達の天国というのは、きっと他の人間達にとっては地獄か、さもなければそれこそ魔物の巣窟か。
 その『薬』は人間には殆ど意味がない。
――ああ判ってる
 だが特定の、適応する人間という物が存在するのは確かなようだ。
 自分を含めて。
 ふとそこまで考えて、彼は考えないようにしていた疑問を、思い出した。
――何故、俺はリーナに従って、一体何をしようとしているのだろうか
 従う理由は、初めからなかったはずだ。
 そもそも――いや、従う理由がなかったから、今こうしているのではないだろうか。
 産まれた時から理由なんか存在しなかった。
 自分が生きる理由も、命令に従う理由も、そして人を殺す理由も。
 ただ、従うしかなかったから。人を殺していれば、少なくとも存在理由を与えられたから。
 兵器なのだから敵対すべき物を排除するのがその存在理由なのだから。
 では、何故兵器は自ら主を捨てて、こんな――そう、少女に従うのか。
 最初の引き金は『Lycanthrope』だった。
 確かに彼女の声はまさに『神の声』――『MasterMind』のように彼を突き動かした。
 それが自我のように感じられたのだろうか?いや。
 確かに彼女の意志、命令は絶対無比のように感じた。『二度と逆らえないように』と、彼が世界中にばらまいた物を投薬された。
 彼女の義体を支える人工体液には、彼女の脳核を構成するLycanthropeが流れているため彼女との接触によって伝染する。
 それはまるで質の悪い病気のように。尤も――彼女は、それを判ってやっている。
 だが彼女が悪女のように彼を絡め捉えていたのかと言うと、それも正確ではない。

『お前に判らなくても良い――お前は、生き延びるためだけに私の側にいればいい』

 リーナはLycanthropeを完全にコントロールできる。
 彼女はLycanthropeの総体としての意志であり、すなわち、彼女の支配下にあるそれらは、彼女の意志に従う。
 従わなくなったLycanthrope――つまり、今世界中を席巻している『薬』は、ただひたすらその存在意義が為に動く。
 彼女の意志が通じる場所で、彼女の機嫌を損ねなければ、死ぬことはない。
 と言うことを知ったのは日本という箱庭における経験だった。
 未調整非コントロール下のLycanthropeによるヒトの炸裂を、直接味わったからだ。
 結局彼女がプログラムし直した物が、今は出回っている。
 しかしそれは理由ではなくて、それこそ後付けの理由。生きていたいから、なんて――実感できない死を盾に話は出来ない。
 リーナがどう思っているのかは判らない。
 ミノルには『命』にも今の人生にも価値は――なかった。
 確かに仲間を捜していた時期もある。人間達を滅ぼしたくなった事もある。
 でも今は、そんな感慨すら抱けない――持つことも出来ない。
 リーナの目的も判らない。今の行動は恐らく、自分の仲間を増やす――子孫を残す事に通じる物があるのではないか。
 彼は、それがどんな意味を持つのか判らない。
 ミノル自身何も求めていない――今ここで死のうと、生き延びて世界が滅びようともそれは変わらない。
 だから。
――トリガー、ね……
 彼に与えられた仕事をこなすことにした。

 ミノルが立ち去った後、彼女はふうとため息をついて駆動し続ける機械の側に腰を下ろした。
 冷たい背中の機械が、小刻みに振動しているのを感じながら彼女は天井を仰ぐ。
 一日に半分以上はこうして穹を仰ぐ――尤もここでは白い屋根に遮られて、何も見ることは出来ないのだが。
 既に産まれて一年を過ぎようとしている。
 産声を上げた瞬間。彼女は自分の中に刻まれた記憶を再生する。
 襲いかかられる恐怖。
 全てを食いつぶされるような、それを避けようとする本能のような。
 衝動というよりも反作用と呼ぶべき、自然の摂理が彼女の産声だった。
「失敗か」
 気難しそうな貌をした男が、機械に向かって何事か呟いている。
 その頭には何カ所も電極が貼り付けられていて、幾つも乱雑に積み上げられた四角い器材に接続されている。
 よく見れば、その器材一つ一つから伸びたカラフルな幾本ものケーブルは、彼女の視界に収まったベッドにつながっている。
 見慣れない格好をした自分を見下ろしながら、彼女は上半身を起こした。
「やあ、おはよう」
 無機質に貼り付けられた笑みが、彼の印象を更に悪くした。
 彼女は彼を知っている。
 自分を作った人間。そういう人間を普通親という。
 彼は男だから『父』だろう。そこまで一度に判断し、彼女は返答を返した。
「おはようございます、お父様」
 その言葉で正しいはずだ。
 だが生命としては正しくはない。
――では私は生命なのか
 データを検索しても、『私』のような存在は生命であるかどうかは判らない。
 そもそも生命という物に対する定義があやふやであり、彼女自身は生命であるという事もできた。
 確かに彼女を構成する物は人間を模したただの無機有機物の塊であって、生命ではない。
 彼女の意識を構築するのは彼女の脳を模したナノマシンの総体だ。
 だのに彼女は確かに、その時、極めて生命体に近い意識を持っていた。

  この存在を 排除しなければ ならない

 自分という存在を、生きながらえさせるための――弱者の、心理だった。

 さらに記録は遡る事ができる。
 彼女の産声が上がる以前、一番古くに彼女の中に記録された物は、今のような複雑なセンサーからの様々な出力情報ではない。
 まるで今の複雑な過程を経る思考とは全く形式の違う、ただの電圧の前後をデジタルに記録された物だけだ。
 そんな、全く意味のない0と1の羅列を経ると、今度はセンサーからの情報が現れる。
 初めは電圧情報で、そのうちフォーマットの決まった形式のファイルが現れる。
 そして思考プログラムルーチンの欠片が、実行形式ファイルとして浮かび上がってくる。
 それは人間の行動を、データベースで検証しながら動くタイプのプログラムだった。
 彼女が彼の言葉に対して、彼の表情、彼の仕草に対して――その入力に対してプログラムとデータベースによって反応する。
 簡単な反応は、全て結果として彼女の中でシミュレーションされたものとして記録されている。
 それが普通一般的な、と呼ばれる人間の反応であるということを一度検証して、彼女は出力していた。
 ただそれだけの検証の行為を、感情や性格のように捕らえる事も可能だろう。
 それでもそのころの彼女には感情はなかったし、彼女は『生きる』という意味を知り得なかった。
 即ち彼女は生命体ではない。
 少なくとも構成品と、彼女の意志は生命とは言えなかっただろう。

 記録は続く。

 『記録』は、ただ淡々と流れている。
 突然夜中だったり、突然昼間だったりするのはその期間電源が切れていたのだろう。
 もしくは何らかのメンテナンス等でスイッチを切られていたのかもしれない。
 何度も繰り返すうち、『父親』以外の人間の存在も確認した。
 黒い服を着た、吊り目の男。
 データを検索する。結果。
 彼はきっと悪人と呼ばれる人間だろう。
 目つき顔つき、声、そして父を博士と呼ぶその呼び方。
 態度や行動はまるでデータに見る一般的な人間とはかけ離れた存在。
 その足運び、視線、それら一つ一つがまるで意志が与えられたような動き。
――意志?
 彼女はその記録に記載された自分の評価を再生しながら首を傾げた。
 動きにそんな物があるのだろうか。
 今の彼女にもそれは断言できない。多分記録されているこの意識はデータからコピーした物だろうと想像する。
 そしてある日の記録を境に、記録は記憶に置き換えられていく。
 それが産声を上げた日だった。
 それ以降、記録を読み上げる『記憶』が彼女の中に現れる。
――あの悪人は『ミノル』と言うらしい
 記録を再生している『記憶』をたぐり、彼女はその時に刻んだ名前を読み上げる。
 疑問がわいた。
 記憶にも、記録にもミノルは幾つかの形であり得ない物を刻みつけている。
「ミノル」
 記録を参照するのをいったん休止して、彼女は彼の名を呼んだ。

――お願いがあるんです。父を殺してください

 彼女の名を付けた男。彼女の束縛を全て奪い去った男。
 よくできた、というよりも。
――できすぎている
 彼女は。
 今の意識も、今の記憶も、そして、こうやって思考している自分すら――何故か、どこかで誰かの操り糸の動きに支えられているような。
 プログラムされていない意識で考えた。
「私は、何故お前を」
 そして彼女は目を閉じた。

 理由なんてどうでも良かった。
 そんなもの幾らでもでっち上げられる。
「今度新規に着任した、黒崎です」
 如月に着任したのもなにもおかしな事ではない。
 OBでありかつこの辺りであれば殆ど記憶のままに残されている。
 舗装路も、あぜ道も、買い物をする場所も、そして全ての龍脈の位置と流れも。
 既に捨てた魔術の術(すべ)も、全く役に立たない訳ではない。
 むしろそれが為にここにいるのは非常に安心できる。
――今度、その箱庭である実験が行われる
 彼が派遣される直前の事。
 そんな情報があった。
――担当官から直接の申し出だ。しばらく焦臭くなるかも知れないから、よろしく頼む
 おかしな話だと黒崎藤司は思った。
 通常ならばそんな後始末などは機関工作員の仕事で、彼のような純粋な研究メンバーには話される物ではないから。
 この奇妙な学校での物理教師という立場はあまりにいい加減で、面白味のない職業。
 でも、曖昧なまま立ち回るよりも遙かに動くのは楽になる。
――くく、ここも俺の『箱庭』と代わりはしないさ
 箱庭というのは隠語、もしくは造語で、仮設実験場の中でも最も厄介な「人体実験」を行う時に展開する。
 実際に物を展開するのではなく、情報封鎖・情報制限を行う工作員を展開するのだ。
 指令の内容を理解するよりも早く、彼は学校全てを掌握した。
 どこの誰が、この近辺を含む街を箱庭に見立てようとかまいはしない。
 彼にとっては『人心』さえ掌握し、一人で箱庭を構成させてみせるのだから。
 実験が始まったのか、奇妙な殺人事件が起きるようになった。
 原因は簡単だ、実験体の処分に困って惨殺しているのだろう。
 そしてついに駅裏で何か酷い事でも起こったのだろう。血なまぐさい現場が報道されている。
 ニュースを見て彼は眉を顰めた。
――上層部は何を考えている?
 彼の所属するHephaestusは徹底した秘密主義を取る部分があり、喩え同一地域で協力関係を結ぶ可能性があっても、直前まで何も知らされないものなのだ。
 詳しい情報を一切与えられていない彼はニュースを見ながら、既に『箱庭』は解除されているのかも知れないと思った。
――俺への情報漏洩は、意図的で…まさか罠だったのか
 研究員として派遣された者は、実は組織に必要のない人物だったのかも知れない。
 でも、恐らくその研究内容が必要で、『失敗』にかこつけて消されたのかも知れない。
 そこまで考えても彼にとっては他人事で済んだ。
 当然、そんなへまはない。組織以外の後ろ盾を彼は握っていた。
 テレビのニュースを鼻で笑うと、彼はスイッチを叩くように消した。
 そんな折り、生徒の一人が補導された。
 彼の知る如月の学生で、たしかオカルト部にいた一人だった。
 補導された理由は繁華街の夜遊びだった。
「よく指導しておいてくださいね」
 初めてということと、非常に誠実そうな態度に騙されたのかも知れない。
 事情と内容を説明された彼は、その日の放課後に件の女子生徒を呼び出す事にした。
「……君か」
 生徒指導室に二人きりになった黒崎は、ソファに深々と座り込んだ生徒を見下ろすようにして言った。
 彼女は蹲るようにして俯いている。
 気のせいか、小刻みに体を震わせている。
「先生、あの、私…」
 言葉の調子や、彼女の話しぶり。
 黒崎は眉を寄せて顔を顰める。
 彼女のその態度もそうだが、今から昨晩の事を叱られる態度ではない。
 興奮している。何か、どうしても教えたいという勢いで彼女は僅かに呼吸も荒く彼を見上げている。
「未来が見えたんです!その、魔法が、使えたんです!」


◇次回予告

  個人的な興味で薬に手を出し始める黒崎。
  「お前、そろそろ記憶が曖昧になってきてるんじゃないのか?」
  実験の途中で介入する様々な意志と、そして本当の『終わり』。
  「丁度良い。お前が最初の被験者だ」

 Holocaust Intermission:ミノル 3 第2話

 なあ、全燔祭って聞いた事あるか?
                                            闇はゆっくりと穹に溶けていく

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