Winged-White 【石仏破壊への批判】 Notes
――タリバン政権の石仏破壊に寄せて
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 アフガンのタリバン政権がバーミヤンの石仏を破壊した。
 歴史の中で幾度となく繰り返された蛮行が、今まさに進行している。
 イスラム教は、キリスト教と同様に、他宗教の文化を全世界的に破壊してきた。
 こんな歴史的な愚行をひっくるめて云々するのも気が咎めるし、現在のこの国の遺跡破壊だけに注視するつもりはない。
 だが、今さらのように、こんな無益な破壊を始めた現政権の気が知れない。原理主義はよくアナクロニズムと混同されがちだが、今回の一件は『誠にその通り』と、頭を振るほかない。
 
 彼らの声明によれば、石仏は『ただの石だ』という。それではこの破壊活動は、ほとんど無意味なのではないか。自衛隊が土偶を片っ端から潰して喜んでいるようなものだ。元々敬虔なイスラム教徒にとっては、偶像は己の信仰を揺るがすような、不穏な存在ではないはずだ。
 当地にこの石仏の信仰者が現存するかは謎だが、おそらくほとんど存在しない。アフガニスタンは74%がスンニ派、25%がシーア派のイスラム教徒で、他は1%(これにも諸派のイスラム教が入る可能性がある)。いればいたで、圧倒的多数者の暴力でしかない。
 
 さらに宗教の本質的な部分でも疑問が生じる。仏教はもともと不殺生を唱えるが、そこに砲撃を加えるというのは、平和主義者に刃を向けるようなことではないか。
 『ただの石』と『偶像』という点で、すでに彼らの声明は自己矛盾を生じている。だが、もし偶像の価値を置いているなら、それが何を意図していたか、吟味してから行動を決定すべきではないかと思う。
 もともとバーミヤンの大仏は、二体とも顔や腕などが欠損している。これは、もうすでに意図的な破壊・蹂躙を経験しているという証ではないか。『恥の上塗り』ではないかとさえ思う。
 
 コーランには、敵が攻撃をやめたなら、自分もやめよ、ということが書いてある。イスラム教も元々、平和を愛する素晴らしい宗教なのだ。だが、石仏は初めから攻撃の意図など持っていない。
 さらに、コーランは『しかし、悪者は別だ』と続ける、が……。果たして仏像は、悪者なのだろうか?
 
 エジプトは、国民の94%がスンニ派のイスラム教徒である(キリスト教徒は5.9%)。この国の政府は、かの吉村作治氏さえガックリさせるほど、自国の遺産を厳格に保守している(僕も、「エジプト展」でメモを取っていたら、『ボールペンは使わないでください』と指示されたりした)。このように、自国の財産となり得る遺産には、当面の近視眼的な主義主張や国際関係に関わらず、しっかりと後世に伝えられるよう、注意敬意を払うべきだろう。

 それでも信仰心から全く認められないと言うなら、むしろその地を放棄するくらいの決断があっても、いいかもしれない。信仰の大きさは領土の大きさに関係しないはずだ。
 二年程前、この政権は、遺跡の保護を約束したという。『嘘つき』ならば、もはや国際的にも、信用する筋合いが全くなくなってしまう。しかし、他国との約束事以前に、自国で考えられることなのではないか。
 
 昔、ナポレオンは、スフィンクスめがけて砲撃を加えた。五千年の遺跡に、自ら永劫続く汚名を冠したのだ。他の面では英雄と言えるかもしれないが、この件に関しては、彼はただの田舎侍である。
 ここで、『人類の歴史への冒涜だ』といった言は敢えて避ける。人類の愚劣な面の歴史を、彼らはちゃんと踏襲しているからだ。ただし、未来に関しては――言うべき言葉が見当たらない。
 これは、もしかしたら、彼らの神の名さえ汚しかねない振る舞いなのではないか。実利がまるで伴わない破壊活動は、永遠不変の原理とは対極に位置する。仏教者どころか、自国民や他のイスラム全同胞をも、冒涜しているのではないだろうか。
 
 僕は、遺跡そのものよりも、元来寛容な仏教者よりも、こちらの方が気がかりだ。

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 ――さて、中途半端な考察を書き綴ったはみたが、聖典コーランに忠実であれ、という意志を否定するつもりはない。もし唯一神アッラーが存在して、マホメットに伝えたならば、当然コーランは絶対的なものだろう(僕はムスリムではないので、ここからは仮定形を使わざるを得ないことを悪しからずご了承いただく)。
 
 しかしその場合、人間は唯一神アッラーから、考える能力もまた与えられたはずだ。人間それぞれがいろんな考え方をする必要も無く、(究極的には不可能なのだが)コーランは全てをカバーし尽くしたマニュアルで、人間はアッラーのカラクリ人形であって構わない――アッラーはそうではなかった。
 
 もっと単純に言えば、デカルトの要領で、なぜ僕自身が考えているのか、整合性がなくなってしまう。これは僕の存在自体がア・プリオリに証明してしまっているのだ。『人間に備えた思考能力(あるいは思考能力を有するに至ることのできる進化能力)』を、後から否定する『絶対神』というのは、完全に矛盾している。
 
 ということは、アッラーの絶対性に承服し、コーランを絶対視しても、なおかつ各自で考え、議論せねばならぬ部分があるように思えるのだ。だからこの文は、ムスリムの方々にとっても、無意味なものではないだろうと考える。
 
 イスラムという宗教全体に対しては、僕は尊敬する部分をより多く持っている。アフガニスタンは、かのムガール帝国ゆかりの地だ。かつてこの帝国は、ヒンドゥー教徒の親和的統治をも実現していたのだ。単純否定や全否定、拡大否定が、何の価値も生み出さないことを、筆を置く前に強く主張しておく。

(2001/03/07-12)

 ※ 「磨崖仏」という呼称をしていない記事が多いので、「石仏」に改めました。(2001/12/17)

【タリバンその1】
【タリバンその2】
【タリバンその3】

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