夏目漱石『それから』について


 夏目漱石の『それから』をどのような作品とみるかは様々な向きがあろうが、私はこれを自己と外部の対立の物語ととらえる。この物語では当初から一貫して、主人公である代助と周囲の人々との考え方の違いが描かれている。例えば、度胸や胆力に大きな価値を置く父と、臆病であることを恥じるつもりもない代助。働いている平岡と、遊民である代助。また、時には論理を持ち得ない嫂と論理的一貫性に重きを置く代助など、自己の考えを持つ代助に向かって、外部である周囲の様々なひとびとが相対している。彼らはあるいは世間を代表している。代助は三千代への問題を考えるにあたり、「自然の児になろうか、又意志の人になろうか」と迷っているが、これは象徴的な言葉だと言えるだろう。代助は自己の「自然」に誠実であろうとするために、周囲のように「金の延金」のように硬直した「意志」へ己を矯正することができない。この周囲との対立、特に働かないことに関する対立は物語中ずっと続いているのであるが、彼はそれをのらりくらりとかわし続けている。彼はパンのために働くことは働くことに対して誠実でないと考えているのだが、周囲はこの潔癖な勤労観を理解しない。

 それでは、なぜ代助は周囲との深刻な決別を決定付けるような行動をしたのか。それはこれまでのようにのらりくらりとかわすことが出来なくなったからである。本文にもある。「今までは父や嫂を相手に、好い加減な間隔を取って、柔らかに自我を通して来た。今度は愈本性を露わさなければ、それを通し切れなくなった」のだ。そうして、自ら「自分の運命の半分を破壊した」のである。つまり対立はもともと彼と周囲の間にあったものであり、それが事ここにいたって顕在化しただけなのだ。すると問題はなぜ「運命の半分を破壊」してまでも三千代と生きる決意をしたのか、ではない。なぜ、これまでも抱えていた対立を彼はこの問題に限って本性を現さなければ自我を通し切れなくなったのか、である。

 まずは状況に要因がある。つまり見合い話の件である。父や嫂は着々と見合い、そして結婚の話を進めつつある。働く様子もなく、結婚する様子もみえない代助に焦れた父や嫂は、どうにかして彼を結婚に追い込もうと計画している。いつものようにのらりくらりとしている間に否応なしに結婚させられてしまえば、彼は選択する余地もなく「意思の人」とならざるを得ない状況に追い込まれていたのである。

 どうして追い込まれたのか。それは柄谷行人が言うように、「代助のいう『自然』と『制度』の対立が最も鮮明にあらわれるのは、姦通において」だからである。柄谷は「制度性が結婚に、自然性が恋愛に象徴される」と言う。現代のフェミニズムやジェンダー論によるとたった一人のパートナーを規定する恋愛もまた制度であり、近代に規定された概念だということが出来るがそれはさておき、友人の妻を妻とすることを望む代助の葛藤と、また家族を裏切って見合いではなく己の好きな女と生きることを悩む代助の葛藤は、同じく一夫一婦制に基づいた近代的な結婚制度に基づくものと言えるだろう。

 むろん、「姦通」そのものの概念は近世からあり、これは女性にのみ適用されるものであったが、『それから』は女性の葛藤の物語ではなく、また代助が三千代の姦通罪を気に懸ける描写もみられないため、この物語における「姦通」とは既に近世の意味を離れたと解釈するべきであろう。ここでは、“ひとのものであった”他人の妻に横恋慕したことが問題なのである。今の言葉で言うなら「不倫」が適当であろうか。この“他人の妻に恋をしてはならない”という、『それから』における最大の前提こそが近代の一夫一婦制にもとづいているのである。

 ただし代助は、近代的結婚制度から逸脱しているわけでは決してない。三千代と生きるにあたって見合いの話を断ったり、平岡に「三千代さんをくれないか」ともちかけるその対応の仕方そのものも、一夫一婦制の観念にもとづいている。そもそも代助は近代の結婚制度の中で生きながらその中で逸脱してしまったが故に葛藤を得たのだから。

 つまり代助は、近代の結婚制度のもとで生きながら、その近代的な結婚制度に追い詰められて、三千代と生きる決断をしたと言えるだろう。この制度の内で彼の「自然」を最も折り合いよく着地させるにはこの方法しかなかったのである。


参考文献
夏目漱石『それから』(新潮文庫、1948)
小森陽一・石原千明編『漱石研究 第10号』(翰林書房、1998)





2007/01/17(update:2007/06/19)

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