浮世草子について


1. 浮世草子の発生

 浮世草子は、井原西鶴の『好色一代男』を以ってはじまる。というより、正確にはこの作品を受けて一変した庶民文学の様相を受けて、西鶴以前を仮名草子、西鶴以降を浮世草子と後から分類したものである。
 『好色一代男』は七歳で好色に目覚めた世之介が勘当されて諸国を放浪して各地の遊里で好色修行に励む様子を描き、父の死後は高名な遊女を相手とし、女ばかりの女護が島を求めて船で旅立つ六十歳までを描いた作品である。
 この作品の特徴として中村幸彦は、まず仮名草子以来の擬物語の流れを汲んでいると指摘する。そしてその理由として、『源氏物語』の五十四帖にならって主人公を七歳から六十歳までの五十四年間で描いていることや、世之介の人物像が『源氏物語』や『伊勢物語』の主人公にかなり近いことなど、既に藤岡作太郎らによって指摘されたことを根拠に述べている。また、すでに藤井乙男が、この作品が仮名草子期の遊女評判記の流れを受けていることを指摘したことを紹介しているが、中村は評判記には擬物語性が既に存在していたという。つまり、『好色一代男』にみられる擬物語性と遊女評判記性は偶然備わったのではなく、西鶴が新しく評判記を書くにあたり、小説性を高めるために擬物語の要素を意図して取り入れた可能性がある、ということである。いずれにせよ西鶴の『好色一代男』の擬物語性と遊女評判記性は仮名草子期とは大きく異なったものであり、中村は「描き出す当世性の量が遥かに多くなり、多量になって、質の変化を来たした」と言っている。
 また、描かれる遊女たちにしても様々な新しい変わった様子を描いたり、場所も三都から地方に広がりを見せるなどの変化があり、これらを記録する意図からか描写も写実主義的である。このことから中村は、西鶴の目的の一つに「好色生活の面を焦点に据えた当代風俗の描写があったのではなかろうか」と指摘し、『好色一代男』を「風俗小説」と表現している。


2.好色一代男の背景とその特長

 「浮世草子」という新ジャンルを生み出すに至った『好色一代男』を書いた西鶴は、如何にしてこのような革新的な作品を書くことができたのか。中村幸彦はその原因を西鶴が若きより修練を積んでいた談林俳諧に求めている。そして、談林俳諧がそもそも風俗詩であったこと、具体的な描写方法などに浮世草子に通じるものがあることや、滑稽性を持つこと、好色や金銭欲などそれまでの常識ではとても表立って言えないようなことを表現可能にした談林俳諧の客観的姿勢などをあげている。
 これに関連して中村は、初期西鶴作品の特徴を四点を挙げている。一つ目は俳諧的手法の活用、二つ目は口語調の文体である。実際に使われているのは文語文なのであるが、語句の配置や挿入句の位置、接続詞のはさみ方などが地の文においてもかなり口語的であることが指摘されている。三つ目は文章の構成自体が口語的でありスピード感があること、一章の中でも話が複雑に交錯しこれも口語的であること、最後に一章全体としては末はオチや感想・批評などでまとまり、矢張り口語話体的であるという。


3. 『好色一代男』にみる循環論的人生論

 高尾一彦は、広末保が『好色一代男』が経済生活と全く分離した形で好色をとらえていることを批判していることを紹介し、これを批判する。
 広末によると、生産と商業資本の発展の中で台頭してきた町人階級は、『好色一代男』でも当然、好色は経済的な戦いと統一されて新しい人間形成の問題として描き出されるべきであった。だが実際に描かれたのは経済生活と全く分離した形の好色であり、これでは好色を町人として人間的に自己を形成してゆく問題としてとらえることはできない。西鶴は町人の解放的な生活を好色によって大胆に描き出したが、それは一面であっていわば分裂症的である。むしろ『好色一代男』では好色と経済的な戦いとはむしろ対立的・敵対的にとらえられており、これは町人階層の新しい人間形成が挫折したことを示しているというのである。
 これに対し高尾は、西鶴の循環論的人生論と呼ばれるものをあげる。若い時には金を稼ぎ、老いたらそれを使って楽しむというのがそれである。これは西鶴の『日本永代蔵』や『世間胸算用』などいわゆる町人ものに繰り返し登場する。その背景には三都を中心に貨幣経済の中で生活しその利を得ることができた庶民の存在があるという。
 そしてまた、この循環論的人生論は上から与えられたものではなく、庶民が江戸時代の身分的制約の中で主体的に選択した処世観だと高尾は主張する。そのため、この処世観は「西鶴の主張であると同時に、元禄時代の庶民の基本的な生活意識であり、また彼らの具体的実践的自己認識であり、また庶民的人間像でもあった」という。
 高尾はこの処世観は歴史的産物であると言い、十七世紀初頭の博多商人・島井宗室の遺訓や十六世紀の堺商人を観察したポルトガルの宣教師・ガスパル=ヴィレラの報告にもその循環論的人正論を見出している。ただしこれは当時の都市豪商の処世観であり、一般の庶民がこの主張を抱くまでに一世紀の時間を要した。つまり庶民たちはこの一世紀の後に西鶴にその処世観を主張させるに至るほど、その実践的生活をおしすすめてきたのである。
 前世紀以来の都市豪商の実践生活にもとづいた歴史的形成物であり、自主的に選択された庶民の自覚あるいは理想像である「かせぎ」と「遊楽」の循環論的処世観は、元禄期には西鶴文学にたびたび登場するほど一般庶民に普及していた。そのような中で、経済と好色が分裂症的に描かれていると西鶴を批判する広末の論は的外れであり、一般庶民にとって「かせぎ」と「遊楽」はそもそもからして別であったはずだ、と高尾は主張するのである。更に高尾はそこからまた、好色が金によってはじめから制限されており、金の限界をこえる好色はむしろ否定されていることを指摘している。


4.『好色一代男』の歴史的意義

 高尾一彦はまた、松田修助が『好色一代男』を「かぶき精神」の文学的形象化として評価しているのを紹介し、これも批判している。松田によるとかぶきの精神とは「常軌にたいし異装する精神であり、古い価値を創造する精神」であるという。「この新生の意志を私はかぶき精神と名づける」というのである。
 この新生の意志は幕藩体制の成立とともに弾圧されてきたが、仮名草子などにみられる批判的リアリズムあるいは圧制や社会悪への告発の精神として生きのびてきた。浅井了意の『浮世物語』などがそれである。しかし、西鶴の『好色一代男』はそうした批判的リアリズムを拒否し、支配階級を批判することを放棄したことで成立した。松田はこの作品は「個人的な生活面の現実のみを現実とした」という。
 次に、世之介もその父も上層町人であると同時にかぶき者として描かれていることを指摘する。世之介は食客であったことから狭義のかぶき者といえるし、すでに勘当されて人別帳から削られた無籍者であり、一端出家した離脱者である。勘当が許された後も色界を放浪する現世離脱者であり、封建体制からはみだした広義のかぶき者である。そのかぶき者の膨大な好色の数々には異端・常軌逸脱・反逆があり、世之介はかぶき美学の理想像であったとするのである。
 これに対し高尾は、西鶴のかぶき観を分析することによって反論する。『好色一代男』『好色五人女』『好色一代女』の中にわずかに見られる「かぶき」の文字には否定的な意味こそあれ、肯定的な意味では使われていないからである。また、松田の言う「かぶきの精神」なるものは庶民のものではないと高尾は主張する。これは草創期の成り上がりの支配者が古い価値を否定し、またアウトローであることを支える口実となる精神であるという。仮に庶民にそのような精神があったとしても、それは弾圧の対象にすぎない。
 加えて高尾は松田の言う「批判的リアリズム」も木下長嘯子や浅井了意のような支配者階級に属するものたちによるものであり、西鶴によっては引き継がれえなかったと指摘する。政治批判は封建社会の庶民にとって公然とゆるされることではなかったからである。その代わり、西鶴にはかぶきの精神ではなく「転合の精神」があったと高尾は言う。「転合」とはつまり、既存の価値の一部を拡大誇張することで笑いとばし、既存の価値を軽くしてしまうことである。高尾は西鶴がしばしば社会批判的・風刺的であったことを重く見ており、『好色一代男』の歴史的意義をここにみている。つまり、「世之介の常軌を逸した即物的な数量に裏打ちされた好色を表面に誇示することは、『事ごとに町人の金権を削ぎ、町人を抑圧しようとする』政治にたいする転合のポーズ」であり、「西鶴の『好色一代男』の歴史的な意義は、まさに、この転合のポーズをもって封建政治の非人間性を笑殺しているところにある」といっているのである。


5. おわりに

 今回、西鶴を扱うことにしたのは、史学科の私が手探りで手に入れた文献がどれも西鶴を扱っていたからという安直な理由であった。高校で近世日本史を全くやらずに卒業したもので、基礎知識さえまったくなく、頼れるものは先日の中間テストで叩き込んだ作家名とタイトル、うろ覚えのジャンルだけ。インターネットで国文学者で検索をかけ、中村幸彦氏がずいぶんと褒められているのを見てこの人の本を借りてみようと思い立ち、そういえば先生が何か言ってたような…と思ってよくよく見てみると「近世小説史」であった。
 このタイトルはきっと先生が影響を受けたに違いない、と思って喜び勇んで読み始めたものの、基礎知識がないのでまったく何を言っているかわからない。そんな中で手近にあった歴史書を紐解いて、西鶴論について面白い記述を発見したのでそのまま載っけてみた。これはそういうレポートである。
 確かに、自分なりに「調べた所を報告」したつもりであるが、この形式・内容で充分なものか不安で仕方がない。そもそも史学科としては自分の考察を述べることが標準なので、それが無いというだけでどこか落ち着かない。そんな訳でこのように「おわりに」と称して蛇足をつけてしまっているわけだが、これを入れなくても四千字の範囲内なので安心してください。
 今回の講義大変面白く、勉強になりました。どうもありがとうございました。



参考文献
高尾一彦『近世の庶民文化』岩波書店、1968
中村幸彦『中村幸彦著述集 第四巻』中央公論社、1987





2007/01/12(update:2007/06/19)

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