古代イスラエル史 「術語掌握のための基礎作業」


<申命記改革>

申命記改革とは、ユダ王国の王ヨシヤによって行われた宗教改革のことである。「申命記的改革」ともいう。彼の治世第18年(前659年)に神殿の修築の際に発見された、いわゆる「申命記法典」に基づいて行われた。

<申命記法典>

申命記法典とは原申命記であると言われている。申命記はモーセの説教であるが、その主要部分が成立したのはヨシヤの祖父ヒゼキヤによる宗教改革の時代である。ここには士師時代のアンフィクティオニー(諸部族の宗教連合)の理念が、その契約の神学と聖戦の伝統とともに伝えられている。

<申命記史家>

ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記の著者。歴史記述を生業とした官僚グループではないかとみられている。ヨシヤ王の宗教改革前後から特定の思想を奉戴する集団へと変貌した。

<ヒゼキヤの宗教改革>

「彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった(列王記下・8章5節)」とあるように、ヒゼキヤは稀代の名王として称えられている。側近の預言者イザヤとともに偶像崇拝を否定し、アッシリアの影響を退けた。この改革は彼の治世第14年(前701年)、ヒゼキヤがアッシリア王センナケレブに敗れたことによって、実質的に終わりを告げた。

<ヨシヤ王>

ソロモンから数えて16代後の南王国ユダの王(位 前640-609)で、ヒゼキヤの孫。列王記下によると、前2代の王が神に背いたとされているのに対し、ヨシヤは最も敬虔な王として描かれており、また敬虔な人々によって支持された。その彼の最も大きな業績が「申命記改革」であり、預言者エレミヤによっても支持されている。

<内容>

申命記改革とは、礼拝所をエルサレムに集中させ、地方聖所を排して偶像を棄てるというものだった。前721年以来アッシリアの領地となっていたサマリヤの異教的祭壇を破壊したのである。この改革にはモーセの時のシナイ契約の更新という宗教的意義だけでなく、十二部族の宗教連合の徹底化としての大イスラエルの実現という政治的意義もあった。しかし、アッシリアの衰退に際して北上してきたエジプト軍を迎え撃ったヨシヤが戦死したことにより挫折した。



参考文献

キリスト教大事典 教分館 1985

古代オリエント事典 日本オリエント学会編 2004

日本福音ルーテル東京教会 (最終確認05/05/26)
http://homepage2.nifty.com/jelc-tokyo/index.htm

日本基督教団 大阪のぞみ教会 (最終確認 05/05/26)
http://www.osakanozomi.org/





2005/05/26

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