(1906−2002)

6月22日、オーストリア(現ポーランド領)ズーハ生まれ。
本名サミュエル。「ビリー」は母親のオイゲニアがつけた愛称。

ウィーンで新聞記者、ゴーストライターを経て脚本家となるが、
ナチスの台頭によりパリへ。そこでドイツ映画界からの亡命者達と
出会う。

活動の場をハリウッドに移し、「ニノチカ」「教授と美女」他、脚本家として
多くの作品を手がける。
或る時、俳優と監督の独断でシーンをカットされ、ストーリーが台無しに
なったことから、自作の脚本は自ら監督すると決意。
「少佐と少女」で監督デビュー。以後全ての作品で脚本と監督を兼ねる。

シリアスなドラマからコメディ、サスペンス、伝記ものと、あらゆるジャンルをこなすが、
独特のユーモアと遊び心は、どの作品にもちりばめられている。

3月27日夜、米カリフォルニア州 ビバリーヒルズの 自宅で、肺炎のため逝去。
(95歳)