戦場にかける橋のあった町 カンチャナブリ

*** 2003年2月21日〜2003年2月26日 ***



☆タイに行きタイ
☆カンチャナブリというところ
☆戦場にかける橋

☆ゴルフはつらいよ
旅は続くよ


☆タイに行きタイ
タイに行ったことのある人の感想は両極端だ。気に入った人は、「とても刺激的。食べ物も美味しいし、また行きたい。」と言う。それに対し、気に入らなかった人は、「暑いし、なんだか不衛生。やっぱりハワイのほうがいい。」なんて言う。
私は前者のほうで、タイが気に入ってしまった。南国特有(タイ特有?)のいい加減でのんびりしたところになにかほっとしてしまうのだ。もちろん、バンコクは大都会で東京以上にごちゃごちゃとしているが、なにかほっとするものがある。タイには清濁併せ持つなにかがあるのだ。まあ旅行者の単純な思い込みかもしれないけれど。そんなわけで、一年に一回はタイに行かないとなんだか損をした気になってしまう。
だからといってそんなにタイのいろいろな所に行ったわけでもない。振り返ってみると、バンコク4〜5回、ホアヒン4〜5回、プーケット2〜3回、チェンマイ2回、パタヤ2回、ラヨーン1回くらいのものだ。実は今回も最初はまたホアヒンに行こうと思ったのだ。年をとると億劫になってしまって新たな土地に行きたいという意欲が薄れるてくる。これではいけないと思い直し、気合をいれて、しばしガイドブックをながめてみた。
今回はあまり日数をかけられない(せいぜい5日)ので、バンコク近郊になる。それで、バンコクからバスで2時間のカンチャナブリという町にした。

☆カンチャナブリというところ
カンチャナブリはバンコクの西に位置する。列車でもバスでも2時間くらいだ。バスの便のほうがずっとよく、バンコクの南バスターミナル(サーイ・ターイ)から頻繁に発車している。
ちなみに料金は62バーツ(約180円)。バンコクのホテルからバスターミナルまでタクシーで150バーツ(約450円)かかったので、どうも変な感じだ。とにかく長距離バスは安い。
ガイドブックによると、カンチャナブリの郊外にはジャングル・リゾートがあったりするので、バンコクからカンチャナブリまでの道程を私はのどかな田園風景を予想していた。ところが、予想と違って意外と開けている。大きな町、小さな町が続いている感じだ。カンチャナブリに近づいてようやく山並みや田園風景も見えてきた。

カンチャナブリの郊外はとても自然に恵まれているそうで、ジャングルや滝があったりして、バンコクからの人気観光スポットらしい。
それ以上にカンチャンブリを有名にしたのは、あの「戦場にかける橋」なのだ。

☆戦場にかける橋
このタイトルの映画をほとんどの人は知っているだろう。だが、この映画を観たことのある人はそれほど多くないかもしれない。
私も観たことがなかったので、ビデオを借りて観ることにした。
時は1942年。アジアの盟主たる日本は東南アジアに進出、いや侵略していき、ここカンチャナブリではタイからビルマ(現ミャンマー)への物資輸送のための泰緬鉄道なる鉄道を建設していた。そのための主な労働力は連合軍捕虜(主に英国人)。難所であるクワイ河の橋の建設は建設技術の未熟さもあってなかなか進まない。日本軍幹部が捕虜達の自主性を渋々認めることにより、建設は劇的に進捗するようになり、ほとんど捕虜達のおかげで橋は完成した。しかし、完成と同時に連合軍のゲリラ部隊により、橋は爆破されてしまう。
まあそんなストーリーなのだ。
映画を観ていない人でも主題曲「クワイ河マーチ」は知っているだろう。あの「サル・ゴリラ・チンパンジー」のメロディだ。

●現在のクワイ河鉄橋


もちろん当時の橋ではなく、また位置も少し違うのだろうけれど、クワイ河に橋がかかっていて、一日に列車も2本走っている。
泊まったホテルから歩いて10分ほどなので、散歩がてら行ってみたが、もうびっくり。一大観光地となっているのだ。日曜日ということもあったのだろうが、橋の近くは出店がいっぱい出ているし、橋を歩いて渡る人も大勢だ。
バンコクから車で2時間ということもあって日帰りで観光に来ている人も多いのだ。多種多様な民族が入り混じっているが、やはり目につくのは欧米人。映画の影響もあって、ここは欧米人にとっては特別な観光地なのかもしれない。
橋は歩く部分は木製で、そんなに丈夫そうにも見えないし、幅もあまり広くないので人とすれ違うときはちょっと恐い。

●戦争博物館
映画では捕虜の生活の悲惨さはそれほど強く伝わった来なかったが、実際はかなりひどい状況だった。
鉄道建設に投入された約3万人の連合軍捕虜の多くが熱帯ジャングルの疫病にかかり、また医薬品不足もあって約1万6千人が死亡したということだ。(アジア人の強制労働者は10万人!死亡)
そんな当時の状況を後世に伝えるべく、クワイ河のほとりに戦争博物館という小さな施設がある。
当時の捕虜収容所を再現した竹で作られた小さな小屋の中に、当時の写真や絵などいろいろな資料が展示されている。当時の悲惨な生活ぶりが生々しくてショッキングだ。
見学にきているのはやはり欧米人が多い。日本人の私はどうにもいいようのない暗い気持ちになってしまった。
                                                                   

●連合軍共同墓地









この地で命を落とした連合軍捕虜の共同墓地がある。
一面の緑の芝生の中に多くの墓が整然と並んでいる。一つ一つの墓に名前や生年・没年、そして所属軍隊のマークが刻まれている。
英国、米国、オーストラリア等々。
黙祷を捧げる欧米人の姿をちらほらと見かけた。
           

☆ゴルフはつらいよ
戦争の話は終わりにして、次はゴルフの話。
外国にきたからにはゴルフをしなければならない。しかもここはタイ。日本人にとってはゴルフ天国なのだ。
しかし、なんともつらいゴルフになってしまった。

●フェリックス・リゾート
今回泊まったホテルはフェリックス・リゾート。日本でネットでいろいろと探して決めたのだが、決め手は「周辺にはゴルフ場が点在している。」との記載。
町なかのホテルではなく、町から車で10分くらいの田園地帯にある。到着してみると、想像以上によいホテルだ。クワイ河(現地の発音はクウェー河)に面し、眺めが素晴らしい。設備も充実していて大きなプールも2つある。これで朝食付1人1泊3000円だから日本人的には大満足だ。
さて、肝心のゴルフ。1階のロビーにゴルフ場の案内がある。いくつかのゴルフ場が掲載されていて、特別料金でプレーできると書いてある。プレー代は平日600バーツ(1800円)前後、週末1000バーツ(3000円)前後といったところ。
問題は交通手段だ。まあ、ゴルフ場は点在しているわけだし、5分か10分車で走ればよいのだろう。まあ500バーツ(1500円)くらいで送迎してもらえるだろう、とフロントに聞いてみたが、答えは一番近いゴルフ場(ニチゴ・ゴルフ場)で1800バーツ(5400円)とのこと。
しかも30分くらいかかる。
ここで私はうーん、と唸ってしまう。5000円も30分も日本であればとても好条件。しかし、ここはタイ。プレー代の3倍もの交通費を払うというのはどうも納得できない。
5000円というのはタイの物価感覚では30000円くらいに相当する。
「ゴルフ場が点在」という言葉を信じず、もっとゴルフしやすい場所を選ぶべきだったのだ。

●トゥクトゥクをゲット
そんなことがあってその日の夕食は町でとった。食事を終えてホテルに戻るためにトゥクトゥクに乗った。トゥクトゥクというのは、タイではポピュラーな乗り物で、バイクに荷台と屋根を付けたような奇妙で可愛い乗り物。ホテルに着いて運ちゃんに聞いてみた。「ゴルフ場往復してくれる?」
すると運ちゃんは非常に乗り気で、ニチゴならば500バーツで行けるという。タイのよさはこういうところにあったりする。ホテルで1800バーツと言われたのが瞬時に500バーツになってしまう。
もちろん、乗用車とトゥクトゥクとの違いはあるのだが。



●日曜日は込んでいる
さあ、足も確保したし、あとはプレーするのみだ。翌朝ホテルのフロントに予約の確認をすると、コンペが入っていて午前中の予約は取れないという。うーん、暑い国の日中ゴルフはきついのだ。仕方なしに昼過ぎのスタートを予約した。

●トゥクトゥクは恥ずかしい?
運ちゃんには再度昼頃にホテルに迎えにきてもらい、ようやくいざスタート。大人2人を乗せ、ゴルフクラブまで運ぶとなると、トゥクトゥクではちょいと厳しい。しかしトゥクトゥクは田園地帯を独特のエンジン音を響かせて走っていく。まあ時速50kmくらいだろうか。だから道路の真ん中は走れず、脇のほうを申し訳なさそうに走っていく。当然他の車にどんどん追い抜かれるわけなので、抜かれるときは排気ガスをたっぷり浴びてしまう。普通の車なら30分はかからないだろうが、やはりたっぷり40分かかって、ついにニチゴ・ゴルフ場に到着した。
入り口からクラブハウスまでは距離がけっこうあるのだが、敷地内を歩いている従業員やキャディさんが振り返る。そしてトゥクトゥクを見てニヤニヤとしている。最初はこのニヤニヤ笑いの意味がよくわからなかったが、じきにわかった。このゴルフ場はけっこうバブリーで駐車している車も高級車が多い。そうなのだ。日本的にいえば、あの川奈ゴルフコースに軽トラックで乗りつけたようなものなのだ。
うーん、ちょっと恥ずかしい。
でもそうした気持ちは態度には表さず、さっそうと正面玄関に乗りつけたわけなのだ。

●めちゃくちゃ暑い
タイには季節が3つあるという。よく冗談で言われるのはhot、hotter、hottest。本当は乾季、暑季、雨季の3つの季節だ。今(2月下旬)は乾季から暑季へ向かう時期で、一番暑い時期ではないが、やはり暑い。日中のゴルフはさすがにしんどい。
プレーがスムーズに進行すればまだよいのだが、日曜日ということもあって、けっこう詰まってしまう。タイではプレーヤー5人というのは珍しくなく、彼ら(韓国人、中国人、タイ人)はとてものんびりとプレーする。こちらは2人。すぐに詰まってしまう。たまに抜かせてもらって、さあどんどん回ろうと思うと、またしても5人組に遭遇してしまう。

●ああ、日射病
日曜日はそんな感じでしんどいゴルフだった。
ことゴルフに関して懲りない私は当然ながら、月曜日も火曜日もチャレンジした。平日なのでさすがに空いている。朝のうちはけっこう涼しくて快適だ。しかし、9時くらいになると暑い、暑い。
プレー内容はいいとして、ここからがまたたいへんだったのだ。
バンコクに戻るのは火曜日だが、やはりゴルフをしたい。それで早朝にプレーを終え、愛車のトゥクトゥクでホテルに戻り、直ちにチェックアウトして町のバスターミナルに向かう。
そして2時間のバスの旅。このあたりから体調に異変発生。とにかく寒いのだ。バスの中はエアコンがかなり効いてはいるが、女房は平然としている。
寒さに耐え、バンコクに到着し、タクシーでホテルに。(16時くらいだったか)
部屋に入るともう駄目。かなり熱はあるし、体の節々が痛む。ベッドにもぐりこむが、腰が痛くてじっとしていられない。ごろごろと寝返りを打ち続ける。
もう食欲など全然ない。胃腸が全く活動を停止した感じだ。ひょっとして昨晩の屋台の生水が悪かったのかとも思うが、もうあとの祭り。夢うつつで目を開けると、寿司(近くのショッピングセンターで買ってきたらしい)をぱくつく女房の姿が見えた。うーん、あんたは偉い。

翌日の飛行機は早朝発なので、根性で4時に起き、空港に行く。熱はだいぶ下がったが、腰は痛く、胃腸は機能を停止したままだ。
(なんか旅行記だか闘病記だかわかんなくなってきたなあ。)
夢うつつで飛行機に乗り、日本に到着。電車に乗り、東京に着き、タクシーに乗り、ようやく自宅だ。
もうふらふら。胃腸は相変わらずいっさいの食べ物を受け付けないままだ。
結局火曜日の昼から丸3日間なにも食べられなかった。
今思えばあれは日射病だったのだろう。冬の日本からタイに飛び、3日間連続のゴルフは中年男にはちょっといきすぎだったか。

旅は続くよ
この文章を書いているのは3月の下旬。
私が旅行で体調を崩すことはそんなに珍しいことではない。意外と体は弱かったりする。それで、その都度ちょっと弱気になる。
俺はこういう旅行に耐えられる体力がないのかと。

アメリカが戦争を始めたので、なんとなく世の中の空気は重い。海外旅行者も激減だ。でもこんなときは、旅に出て外から日本を見つめるよい機会なのだと思う。
さあ次の旅はどこにしましょうか。頭の中で私の次の旅は始まっている。


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